第199話 女商人は、母のお願いに絶句する

「ねぇ……あれ、どう見てもベルナールよね?」


 オランジバークのアリアの執務室を訪ねたエレノアが、信じられないモノを見たような顔をして、アリアに訊ねた。今すれ違い、階段を下りて行くその男を指差しながら。


「ん?そうだけど。それがどうかしたの?」


 しかし、アリアは何でもないような風に言ってのけた。エレノアは青ざめて言った。


「アンタ……何呑気なことを言ってんのよ!ゾンビかリッチかしらないけど、死体が動いてるのよ!早く、イザベラさん呼んでお祓いをしてもらいなさいっ!!」


 何しろ、強い恨みを持って死んだのだ。質の悪い悪霊になるに違いないと、エレノアは捲し立ててアリアに決断を迫った。アリアはクスクス笑った。


「大丈夫よ。だって、叔父様は生きていらっしゃいますから」


「は?」


 この娘は一体何を言っているのだろうと、エレノアは唖然として固まった。しかも、敵であった男を叔父様って呼ぶなんて何事かと思いながら。すると、アリアは事情を説明した。すなわち、レオナルドの魔法で蘇生させたことを。


「あんた……いくら何でも、それって……」


「ええ、パパに知られたら、とっても怒られるわね」


 何しろ、王家に仇なした反逆者を勝手に助命したのだ。バレたら、王太子の地位を剥奪されてもおかしくないほどの反逆行為ともいえる。


「でも、それがなに?別に、わたしは王太子の地位なんか欲しいとは思ってないのよ?なんで、パパの顔色窺って自分の気持ちを押さえなければならないのよ」


 アリアは、全く躊躇うことなく言い切った。その姿に、エレノアは娘がやはり不良になってしまったと確信した。かつて、ルクレティアにいた頃の『お淑やかで、人を騙したりしない優しい子』というイメージは欠片も残っていない。だが……


「わかったわ。あなたがそこまで腹を括ってるんなら、好きにしなさい」


 それはそれでいいのかもしれないと思いながら、エレノアは娘の決断に異を唱えることをやめた。そして、「話は変わるけど」と、ここに来た本当の理由を切り出した。


「え……?ユーグさんと同じ家に暮らしたい?」


 一瞬、何を言っているのか理解に苦しみ、アリアは傍に居たレオナルドを見た。しかし、彼も何も聞いていないのか、驚きを隠しきれないまま、首を左右に振った。


「いやね、一人だと寂し……じゃなくて、ほら!ぶ、不用心でしょ?」


「えぇ……と、お母さんなら大丈夫なんじゃない?」


 しどろもどろの母に、アリアは元騎士だったことを引き合いに出して、そのように言った。何しろ、かつては騎士団長とも互角に渡り合えるほどの剣術の達人なのだ。身分を偽っていたルクレティアでは公の場に剣を持ち歩くことは憚れたかもしれないが、ここではそんなことはない。だから、必要ないのではないかと思って。


「な、何言ってんのよ!そんなの昔の事でしょ?……誰かに守ってもらいたいなって思っても……」


 次第に、顔を赤くしながら一気に捲し立てるように早口で話すエレノア。さすがに、どういう理屈でこのような話をしているのか、アリアも理解が追い付いた。


「……パパのことはもういいの?」


 だから、まず確認した。あの王宮での再会の後、留まらずにオレンジバークへの移住を決断した辺りに感じた違和感。その正体は薄々気づいてはいたが……。


「ええ、もう未練はないわ」


 アリアの予想通り、エレノアははっきりそう言った。側妃にという話もあったが、会ってみて気づいたという。フランツへの思慕の念は、すでに過去のものになっていたということを。


「確かに……パパ、写真の頃と比べて頭も薄くなってるし、加齢臭もするし、幻滅したのはわかるけど……」


「……あんた、何気に酷いことを言うわね……」


 エレノアは、娘の残酷な物言いに少し引きながら、そんなんじゃないと言った。


「だけど、彼とこの先一緒に暮らしたいという気持ちは湧かなかったわ。だから、側妃の話は断ったの。今まで通り、別の道を行きましょうと言ってね」


 そう語るエレノアの顔には、迷いの色は窺えなかった。それなら、言うことはないとアリアは思った。


「でも、それでどうしてうちの親父と同棲したいって話になるんですか!?」


「ちょっと、レオ……」


「アリアは、少し黙ってて。これは、俺にとっても関係する話でしょ?」


 そうですよね、とレオナルドが念を押すように言うと、エレノアは「そうよね」と肯定した。


「だから、わたしはあなたにも許可を求めているのよ。それで、あなたはどう思うのかしら?」


 賛成なのか、それとも反対なのか。


 先程までのしどろもどろの様子が嘘のように、エレノアはまっすぐレオナルドを見据えて、問い質した。その強気な態度に、レオナルドの気勢は消沈し、飲み込まれた。そして、悟った。彼女の……その本質を見誤ったことを……。


「いや……お義母さまのご意見に……ボクが逆らえるわけないじゃないですか……」


 「Yes」か「はい」かどちらかを答えるように問われたような気がして、レオナルドは得体のしれない恐怖を覚えながら、力なくそう答えた。


 アリアは、「だから止めようとしたのに」と呆れ顔だ。魔法の実力ならともかく、何の後ろ盾もない異郷の地で、母は女手一つで自分を育て上げたのだ。人生経験において、自分たちが敵うはずはないのだと。


「それにしても、ユーグさんをよく説得できたわね」


 彼が亡くなった奥さん、つまりレオナルドの母親のことを思っていることはアリアも知っている。だから、話が落ち着いたところで感心しながら訊ねた。しかし……


「何言ってんのよ。それはこれからよ。だけど、一緒の家に住みさえすれば、いつかは過ちだって起こすでしょ?だから、あなたたちには手伝ってもらいたいのよ」


 エレノアは、何のためらいもなくそう告げた。その強引な手法に、アリアは絶句して、それならばまず通い妻的なことから始めることを提案するのだった。

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