第178話 母は、娘の近況を知りやけ酒をあおる
「えぇ……と、ここかしらね?」
店の入り口に大きく『ブラス商会』と書かれた看板が置かれている店の前を、エレノアはさっきからユーグと共にウロウロしていた。
「おい……。いつまでウロウロ彷徨うんだ?」
それまで黙って付き合っていたユーグが堪りかねて訊ねる。何しろ、すでに30分近くこんなことをしているのだ。入るのなら入る、入らないのなら、一先ず飯を食いに行く。お腹が空いていることもあり、そろそろ決断しろと暗に催促しているのだが……。
「わかってるわよ、そんなこと。……でも、緊張しちゃって。ああ、アリアが偶然通りかからないかしら……」
自分で偶然と言ってるんだから、そんな可能性は低いとわかっているだろうにと、呆れるユーグ。すると、店の中から、眼鏡をかけた若い女が出てきた。
「あの……当店に何か御用で?」
「へっ!?」
「いえ……さっきから、お店の前をウロウロされているので、どうされたのかと……」
そう言って、彼女は名を名乗る。クロエ・ベルナルディと。このブラス商会の会頭だという。
「えっ!?あなたが会頭?」
アリアが会頭を務めていると聞いていたエレノアは、話が違うことに驚き声を上げた。そして、間違った情報をもたらしたユーグを睨む。「アンタのせいで、恥かいたじゃないの」と小声で囁いて。
だが、それならば、いつまでもここに居ても仕方がない。
「ごめんなさいね。うちの娘がこの商会の会頭をしていると聞いてね……。でも、勘違いだったみたい。ホント、ご迷惑をおかけしましたわ」
エレノアは、そう告げて去ろうと踵を返した。すると、今度はクロエが慌てて言った。
「ま、待ってください!もしかして、あなたはアリアさんのお母さまですか?」
その言葉に、エレノアの足は止まった。
「うちの娘を……ご存じで?」
「ご存じも何も……我が商会のオーナー商会の会頭ですよ、アリアさんは」
そう言いながら、クロエはこれまでの事情と、アリアはオランジバークにいることを説明した。
「幸い、シーロさんが大学にいる日なので、お母様がお見えになられたことは彼に託して伝えてもらうことにします。ですので、どうかそれまで、ポトスにお留まりいただけたらと思いますが……」
シーロというのが誰かはわからないが、彼女の話だと、レオナルドの【転移魔法】で瞬間移動ができるから、数日以内には面会はできるだろうという。エレノアは問題ないと、宿泊先と合わせて告げて、ユーグと共に店を後にした。
「それにしても、アリアちゃんってやり手の商人のようだね……」
「そういうあなたの息子さんも、転移魔法って凄いじゃない。宮廷魔導士でも簡単になれるんじゃないかしら」
クロエから聞いた話を交えてお互いの子供のことを褒め合いながら、一先ず、昼食のために二人は近くの酒場に入った。
「ちょっと待って!?こんな昼間から飲む気?」
「いけないかい?誰かさんのおかげで、喉がからっからで、冷たいエールを飲みたいなぁ……」
店の前で逡巡して、暑い中をウロウロ歩かされたことを引き合いに出して、ユーグは悪びれずに言った。エレノアは、言い返す言葉が見つからず、そもそも、この人の奥さんでもないから、止める権利はないとも思って諦めた。
「おい、聞いたか?カッシーニの旦那、かわいそうに、用水路に浮かんでいたらしいぜ」
「ああ、それは俺も聞いた。借金取りに沈められたって話だろ?あの死神に関わったばっかりに……気の毒なことだ」
(死神?)
ユーグと共に座った席で、耳にした会話にエレノアは首を捻った。それは一体何なのだろうと。
「しかし、これで犠牲者は何人になるんだ?大物だけでも、前総督閣下、アルバネーゼ会頭、ブラス会頭とその家族……。そういえば、あの盗賊の親玉、マクブルームもあの女に関わったために、無惨な最期を遂げたと聞くぞ……」
(ブラス会頭?)
アリアが乗っ取った商会が『ブラス商会』だったことを思い出して、もしかして、アリアのことを言っているのではないかと思いながら、エレノアは引き続き、耳を傾けた。
「ああ、あながちウソじゃないらしいぜ。何しろ、あの盗賊団の残党があの女の手下になっているらしい。カッシーニの旦那は、それを指摘したらしいが……」
「怖いよな。開き直って、その盗賊団を使ってこのポトスを滅ぼすとまで言ったらしいぜ。捕まえた市民はアルカ帝国に売り飛ばすが構わないかと、総督閣下を脅したたとも……」
「ホント、あのアリアっていう女は、悪魔だよな」と、その男たちは言った。エレノアは頭を抱えた。
「どうしたの?何か悩みでも」
エールが入ったジョッキを片手に、呑気にカウンターから戻ったユーグがそう訊ねるが、エレノアはそんな彼から無言でジョッキを取り上げた。
「ああ!俺のエール!!」
ユーグは抗議の声を上げるが、エレノアは気に留めることなく、一気にそれを喉に流し込むのだった。
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