第177話 王弟は、足元が崩れていくことを悟る

「……王妃陛下はまだか?」


 さっきから部屋の内と外を出入りする侍従官を呼び止めて、宮内大臣であるマイヤール伯爵が訊ねる声が、席に座って摂政会議の開会を待っているベルナール王子の耳にも届く。時刻は、13時10分を過ぎていた。


「も、申し訳ありません。もう少しお待ちいただくようにとのお言葉が……」


 侍従官は、額に滲み出た汗をハンカチで拭いながら、大臣に王妃の言葉を伝えた。


「はん!どうやら、勝ち目がないと見て、無駄な抵抗をしているようですな」


「まあ、いいじゃないですか。どちらにしても、ベルナール殿下をお認めになるしかないのですから」


「逃げれないように、いっそのこと、皆でお迎えに上がっては?」


 席に着く他の会議員から、そのような声が上がった。だが、よく見ると、それらは先日までケヴィン王子を支持していて、先頃寝返った者たちだ。少しでも、印象を良くしたいという思いでやっていることとは思うが、「虫唾が走る」とベルナールは心の中で思った。


(まあ、今更媚びても、手遅れなんだがな……)


 何しろ、主要ポストの数には限りがあるのだ。口先では「重く用いる」と言って連中を寝返らせたが、ベルナールにそのつもりは全くなかった。


(言いがかりをつけて、粛清しよう)


 目の前で繰り広げられる見苦しい光景に、すでに勝利を確信していたベルナールは、密かに決意するのだった。


「おっ、参られましたぞ」


 そのとき、誰かがそう言ったのが聞こえて、ベルナールは他の者と同様に起立した。ここまではいつもの通りだ。


「皆の者、待たせたな」


 部屋に入った王妃はそう言って、部屋の中央の指定席に行き……席に座らなかった。


「王妃陛下?」


 どうか、ご着席をというマイヤール伯爵の言葉に、なぜか王妃マグナレーナは何故か従わない。どうしたのかと思っていると、先程、彼女が通った入口から一人の男が、杖を突きながらゆっくりと入ってきた。


「こ、こ、国王陛下!!」


 誰が言ったのかはわからないが、その声に会議室は騒然とした。それもそのはずで、今日は彼が近々死ぬことを前提に、その後継者を決めるために集まっていたのだ。それなのに……。


(兄上っ!!)


 ベルナールはただ一人、いつもなら王妃が座る席に向かうフランツの姿を忌々し気に見つめた。


「……それで、宮内大臣よ。この集まりは一体何のためのものかね?」


 席に座ったフランツは、気色を失っているマイヤール伯爵に訊ねた。まさか、目の前に座る国王が死んだ後のことを決める会議とは、さすがに言えるわけがない。


 すると、マグナレーナがそんな言い淀む伯爵の姿をおかしく思ったのか、クスクス笑いながら当たり障りなく告げた。


「摂政会議ですよ。陛下は、今朝までよくお眠りになられていたから、こうして皆さんのお力をお借りしてこれまでやってきたのです。まあ、今後は必要ないでしょうが……」


 言い終えた後、マグナレーナはちらりとベルナールを見た。その顔は、明らかに勝ち誇っていた。しかし、ベルナールはまだ余裕を崩さない。


(大丈夫だ。兄上が復帰された以上、摂政会議は不要となるが、後継ぎがいないことには変わりない。すでに、ケヴィン王子派の切り崩しは終わっている以上、俺が次期国王に指名されるのは時間の問題だ!)


 心の中でベルナールはそう思い、今日この場で決定できないのは残念だったが、と気持ちを切り替えた。兄が復帰しても、認めざるを得ない状況をすでに作ったのだ。だから、問題ないと信じて。しかし……


「なるほど。それなら、丁度良かった。皆に、我が娘を紹介しよう」


「えっ!?」


 フランツの言葉に、それまでの冷静さを失って、ベルナールは声を上げた。同様に、他の連中も口々に驚きの声を上げていたようだが、驚きの意味合いはベルナールのみ違っていた。


(あの腐れ勇者め!)


 小柄な若い女がドレス姿で部屋に入ってきた。それは、間違いなく……殺したはずの王女だと気づくベルナール。勇者に騙されたことを悟って、心の中で激しく罵った。


「アリア・ハルシオンです。皆さま、よろしくお願いします」


 そう言って、ぺこりと頭を下げる王女。その姿に、一同は戸惑った。


「……アリア。あなた、王太子殿下になるんだから、これからはやたら滅多に頭を下げたらだめよ」


「あ……すみません。そうでした」


 まだ慣れないものでと言うアリアの姿は、初々しさを感じるものであったが、王妃の発言に一同言葉を失った。


「お、王太子だと……」


 ベルナールは、そんな中で言葉を零した。馬鹿な、今の今まで勝っていたはずなのに、何故だ……そう言わんばかりに。


 そして、そんな彼に、兄であり、国王であるフランツが告げる。


「ベルナールよ。余が眠っている間に、好き勝手したそうだな?いずれ、話を聞く故、それまで大人しく家にいるが良い」


 それは、謹慎しろと言う意味だった。足元がガラガラと崩れていくように感じながら、ベルナールは自身の王位への道が閉ざされたことを悟った。


 そして、こうなった以上、彼に味方してくれるものは誰もいない。

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