第174話 女商人は、薬が効くようにと神に祈る
「それじゃ、行きましょうか」
マグナレーナの言葉にアリアは頷くと、あとに続いて部屋を出た。
夜は10時半を回っている。マグナレーナの部屋は、蝋燭が煌々と照らされており明るかったが、今歩いている廊下は、蝋燭の数が少なく薄暗い。しかし、それゆえに人の姿は少なく、国王の寝室に向かうまで、誰かに見咎められる可能性も少ない。
もっとも、アリアの姿はメイド姿である。だから、もし顔を知る誰かに見られたとしても、王女であるとバレる可能性は低いだろう。
(それに……)
すでに、王位継承争いの大勢は決している。ベルナール王子邸の方角を見れば、ここからでもわかるくらい煌々と輝いていた。侍女たちの話では、その灯の下で、前祝いの祝宴が開かれているらしい。ゆえに、それまで王妃を監視していた者たちもそちらに行っているようだと、部屋を出る前にレオナルドから聞いている。
「さあ、ついたわ」
案の定、誰に止められることもなく、父である国王の寝室に辿り着いたマグナレーナとアリア。もちろん、護衛の兵士が扉の左右を固めていたが、「国王陛下にお話があるの」と告げれば、扉を開けてくれた。
「……どうやら、情けを掛けてくれたようね」
部屋に入り、扉が閉められたのと同時にそう呟いたマグナレーナ。どういうことかと、アリアが訊ねると、通常ならどういう要件か訊ねてきて、通して問題ないか、ベルナール派の宮内大臣に確認に行くのだという。
「まあ、傍から見れば、今のわたしって敗北者だからね。陛下に懺悔したいのだろうと思ってくれたんじゃないのかしら?」
「ホント、明日すべてがひっくり返るのに、呑気な物ね」と、マグナレーナは不敵に笑った。そんなマグナレーナの顔を見て、アリアは緊張した。
(もし、治らなかったらどうしよう……)
レオナルドは「治る」と言ってたが、本当にそうなのか?もし、あの時聞いた病気の話に抜けがあったり、勘違い、聞き間違いがあったら……。そう思うと、足が震える。
だが、そんなことは、治ると期待しているマグナレーナに言うわけにはいかない。
(大丈夫。絶対に治る!治るんだから!!)
一つ息を大きく吸って、吐いて。アリアは、自らの気持ちに喝を入れて、魔法カバンから薬の入った壺を取り出した。そして、ベッドの上の父の側に近づいて、ネポムク族で使われている布を巻きつけた細い棒の先に薬を適度に塗りつけて、まず左耳の穴に入れた。
(これくらいでいいのかしら?)
大体、これぐらいの量だとヤンからも聞いているが、それでも不安がないわけではない。足りなかったらいけないとも思い、もう一度上乗せして塗ることも考えた。しかし……
(ダメよ。わたしは素人なんだから、言われた通りにしなければ……)
アリアは思い直して、ベッドの反対側に回って、今度は右耳の穴に同じ方法で薬を塗った。
「終わったの?」
「はい。あとは、明日の朝を待つだけです」
それまで静かに見守っていたマグナレーナに声を掛けられて、アリアはそう返した。「大丈夫、これで問題はない」と、自分自身に言い聞かせながら。
「それじゃ、戻ろうか」
優しく声を掛けられて、アリアは頷き部屋を後にしようとした。……が、そこで、一度振り向いた。
「どうしたの?」
「いえ、父の顔をもう一度見たいと思って……」
もし、明日になっても目覚めなければ、永遠に会えないのではないかと思って、ついそう言ってしまったアリア。そもそも、失敗した場合、こうやって優しく接してくれているマグナレーナが許してくれるのかもわからない。
ただ、近づいたとしても部屋は薄暗く、至近でも見えづらいだろう。それでも、見ておくべきか、アリアは迷った。
「大丈夫よ。明日になったら、思う存分、あの人の顔を拝めるから」
アリアの気持ちを知ってか知らずか、マグナレーナはそう言って、早く戻ろうと急かした。あまり長居し過ぎると、さすがに扉の外の衛兵たちも不審に思うだろうと言って。
(神様、お願いします。どうか、パパの病気を治してください)
やむなく、マグナレーナの言葉に従うことにしたアリア。部屋の扉に向かいながら、心の中で祈りを捧げて、マグナレーナの後に続いて部屋を出るのだった。
翌朝——。
「ん……ああ、なんだか、よく寝たような……」
国王の寝室で、横たわっていた男が目を覚まして、体を伸ばした。まさか、1年以上経過しているとは知らずに……。
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