第165話 総務部長は、狼狽える

 早朝のブラス商会——。


 会頭であるアリアから急な呼び出しを受けて、営業部長のトビア、総務部長のクロエ、製造部長のガスパロがそろって会頭室へと続く廊下を歩いていた。


「一体何の呼び出しだ?クロエちゃん、聞いてるかい?」


「いえ、ガスパロさん。残念ながら、なにも……」


「もしかして、特別ボーナスの話じゃないか?カッシーニ商会が潰れて、うちの売り上げは急上昇しているし、万々歳だな」


「トビア。残念ながら、違うと思うわよ?もし、それなら支払い手続きが必要だから、わたしの耳にすでに入っているはずだし……」


 そう言いながらも、一体何の話だろうと考えるクロエ。目の前で肩を落としているトビアに何の関心も抱くことはなかった。


「まあ、答えはこの扉の向こうにあるから入りましょう」


 クロエは、会頭室のドアを開けた。


「朝早くから、集まってもらってごめんね」


 開口一番、アリアはそう言うと、いつものように席を勧めた。その様子は特段おかしい所はなく、そのことが余計にクロエの目には怪しく映る。


(は……!もしや、身売りの話では?)


 クロエは、アリアが勇者に復讐を果たすことを何よりも優先していることを知っている。


 そして、今、このブラス商会はポトスでも五指に入る優良商会といえるだろう。当然、商会を買いたいという申し出があっても可笑しくない。もし売れば、アリアは途方もない大金を手に入れられる。それを資金に勇者を追いかけるということも……。


(でも、わたしたちは……)


 商会が新オーナーの手に移った場合、自分たち幹部が引き続き今の職を継続できるとは限らない。


(もしかしたら、すでに新オーナーから決断を告げられたから、ここに呼ばれているのかも……)


 クロエは想像の羽を広げ過ぎて、解雇を告げられる自分の姿を思い、今にも泣きそうになった。


「ど、どうしたの?クロエ!」


 クロエの様子がおかしいことに気づいて、アリアは慌てた。


「いえ、なんでも……」


 愛用の眼鏡をキッと上げてごまかしたクロエ。さすがに、妄想で泣きそうになったとは言えなかった。だから、話題を変えるべく、話を切り出した。


「それで、会頭。ご用件とは?」


「え?ああ……要件ね」


 さっきから泣きそうになったり、キリっとしたりするクロエに、意味が分からず、一瞬戸惑ったアリアであったが、改めて威儀を正して口を開いた。


「実はね、オランジバークに新しい商会を設立しようと考えているの」


(やっぱり!)


 クロエは、自らの悪い予感が的中したと悟った。つまり、このブラス商会は身売りだ。


「そ、それで、この商会はどこに買われるんでしょうか?」


「「「えっ?」」」


 何を言ってるんだろうとクロエを見た、トビア、ガスパロ、……そして、アリア。そんな三人を前にクロエは持論を展開した。


「つまり、わたしがこの商会を売ったお金で、自分の商会を設立しようとしていると?」


「はい……。そして、わたしたちはクビに……」


 その言葉に、トビアはどうしようとアタフタし、一方でガスパロは特に変わりなく堂々とアリアの言葉を待っている様子だった。


 三者三様。その姿をアリアは確認し、課題が一つ解決したことを知った。


「馬鹿ね。こんな優良商会、手放すわけないでしょ?」


 アリアはまず、そのことを明言した。その上で、これからの方針を説明した。


 すなわち、オランジバークに本店を置く商会を設立し、このブラス商会は看板をそのままに、子商会とすることを。


「今年の暮れから来年の春までには、念願の船ができるわ。塩だけじゃなく、他の交易品を扱って手広く事業を展開したいのよ」


 そのためには、今までのように塩交易だけに時間を割くわけにはいかないと告げるアリア。そして……


「そのために、このブラス商会の会頭は……クロエ、あなたに任せるわ」

 

 アリアは、クロエの手を取り、ニッコリと笑ってそう言った。


「え……?」


 しかし、クロエは自分が何を言われたのか、理解が追い付かず、唖然とした顔でそんなアリアを見つめるのだった。

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