第164話 女商人は、家出娘に頭を抱える

「……どうやら、生き残れたようね」


 翌朝。改めて引継ぎ式を行うために、町庁舎を訪れたアリアは、顔を大きくはらして、左腕を三角巾に吊り下げて、右手で松葉杖をついているボンの出迎えた。横にはイザベラもいる。


「昨夜は、うちの人が飛んだ失礼を。さらに、引継ぎ式の延期に応じていただいて、誠にありがとうございました」


 そう言って、謝罪の言葉を述べるイザベラ。どうして、ついてきたのかと訊ねると、昨日のようなセクハラをさせないためだという。


(いや……そんな状態で、いくらボンでも、セクハラはさすがに無理なんじゃ……)


 アリアは、率直にそのように思った。しかし、そのことを口に出すほど、愚かではない。


「そ、それじゃ、始めましょうか。どうぞこちらへ」


 そう言って、二人を町長室へ案内した。その部屋の中、執務机の上には、『引継ぎ書』が置かれていた。


「こちらの書類にサインをしてもらうんだけど……大丈夫?」


 すでにアリアの方はサインを終えている。名前を書くだけとはいえ、ボロボロのボンができるかといえば、心配になってくる。しかし……


「大丈夫ですよ、アリアさん。そのために、右腕は残しましたので」


「ひっ!」


 その残酷な一言に、アリアは思わず声を上げた。


「そ、そう……。それじゃ、あとは二人にお任せして、わたしは……」


 これ以上付き合ってられないと、アリアは一歩、二歩と出口に向かって後ろずさんだ。そのとき……


「お姉さま!!どういうことですか!?辞められるだなんて!!」


 突然、扉がバンと開けられて、そこに立っている女の子を見てアリアは驚いた。


「ル、ルーナちゃん!?なんで、ここに?」


「なんでって、お姉さまの側で為政者としての心構えを学ぶためですわ!ちゃんとお父様の了解も取りましたし。……それなのに、どういうことなんですか。村長の職を辞されるって!!」


 そんなの困りますというルーナに、アリアは「新町長はあっちだから」と告げるが……


「アリアさん。その娘はあなたを慕ってきたのですよ。それなら、面倒見てもらわなければ……」


 ボンの側に置いて、間違いがあってはいけないでしょ?と囁くイザベラ。どうやら、新町長の方では、面倒を見ない方針らしい。


「あのね、ルーナちゃん。わたし、政治家を引退したのよ。側にいたって、為政者としてのお勉強はできないと思うから、国に帰ったら?」


 アリアは、これから商人一本で行くつもりだと説明した。だから、父親の跡を継ごうと志しているのなら、ここにいても得られるものはないと。しかし……


「いやです。それに、もう国には帰れませんので」


 どこか吹っ切れたように、告げるルーナ。その態度にアリアは違和感を覚えて訊ねる。


「あれ?さっき、お父様の御了解を得たと……?」


「ええ、『勘当』の了解を得ましたよ」


「か、勘当!?」


 聞き捨てならないキーワードに、アリアは声を上げて、どういうことかと迫った。


「聞いてくださいよ!あの頑固親父、女は政治に口を出さずに黙って婿を取れって言うんですよ。しかも、その相手というのが、親の七光りだけのキモ豚!ありえませんよね!?」


 だから、断固拒否して、大げんかの末に『勘当』を勝ち取ったのだと、ルーナは誇らしげに答えた。


(気持ちはわかるけど……)


 アリアも一国の王女だ。だから、本当なら同じような悩みを抱いていた可能性があるだけに、他人事とは思えなかったが、彼女を匿えば、折角開拓したルワール藩との交易話がおじゃんになってしまうことも考えられる。


 ゆえに、軽々に判断することはできない。しかも、すでに村長の職を辞しているのだ。責任を取ることもできない。


「アリア、ちょっといいか?」


「レオ?」


 ルーナの後ろに現れたレオナルドが手招きをしているのが見えたので、アリアは彼女に待つように告げて部屋から出た。部屋から出たアリアは、そこで1通の手紙を渡された。


「これは?」


「あの娘の父親からだそうだ。ヤンを介してさっき届けられた」


 このタイミングで届くということは……と思い、アリアは急ぎ開封して中身に目を通した。そこには、迷惑をかけることへの謝罪と、そのうえで「娘の好きなようにさせてやって欲しい」と書かれていた。


「はぁ……そういうことなら、仕方ないわね」


 この手紙がある限り、ルーナの家出がこのオランジバークとルワール藩の交易に影響を及ぼすことはないだろう。そう判断して、アリアは彼女の受け入れを決めたのだった。

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