第162話 母は、娘の不良化にショックを受ける
「本当に辞めちゃうのかい?」
「寂しくなるわね……」
「もう、そんなこと言わないでよ。別れがつらくなっちゃったじゃない……」
多くの仲間たちの優しい言葉に、エレノアの頬から涙がこぼれる。
勤務最終日。私物をまとめたカバンを手に、エレノアは同僚たちに見送られていた。思えば、16年間、色々あったなと思いながら……。
だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。エレノアは、意を決して集まってくれた皆に告げた。
「それじゃ、行くね……」
仲間たちに背を向けて歩き出したエレノア。その先には、大賢者ユーグ・アンベールの姿があった。
「お幸せに!!」
その声はメルのものだった。「いや、別に寿退社じゃないからね?」と思いながら、エレノアは否定することなく、ユーグと共に去って行った。
「……よかったのか?」
「ん?なにが?」
「いや、別に辞めなくてもよかったんじゃないか?ポトスまでは半月もあれば辿り着くし、長期休暇ということにしても……」
あんなに名残惜しそうにしていた姿を見せられて、ユーグはそう思って訊ねてみた。「なんなら、ルクレティア政府を通して工場の経営者に圧を掛けるが?」……とも。しかし、エレノアは首を左右に振った。
「狙われた以上、もうここは安全じゃないわ。だとしたら、皆を巻き込むわけにはいかないの。皆、いい人ばかりなんだから……」
寂しそうにそう語るエレノア。そんな彼女にユーグは理解を示し、ただ「そうか」とだけ答えた。
「さて、湿っぽい話はおしまいにして……ポトスの様子はどうなの?此間の手紙では、ハラボー伯爵が迎えに来たと、そのクリスさんは言ってたのよね?」
その次の手紙はまだなの?とエレノアは催促する。クリスというのは、オルセイヤ王国に仕える国家調査官だが、ユーグの弟子で、国家機密に触れない程度にアリアの近況を書いた手紙を送ってくれているのだ。
「……一応は、届いているが」
そう言って、懐から1通の手紙を取り出すユーグ。だが、心なしか顔が引きつっている。
「どうしたの?アリアの身に何かあったの?」
「いや、アリアちゃんは無事だよ。まあ、無事過ぎるというか、逞しいというか……」
「逞しい?」
どういうことなのかと思って、エレノアはユーグから手紙を受取り、中身に目を通した。そこには、クリスの囮捜査に協力して総督に色仕掛けをするわ、主のいなくなった商会を半ば遺族を脅迫して乗っ取るわ……それはもうとんでもないことが書かれていた。
さらにいうならば、ハラボー伯爵が「あなたは王女だ」と言っても全然信じてくれずに手を焼いているとも……。
エレノアは唖然とした。
「一体、何が起きてるのよ!!あの貧相な体で色仕掛け?それに、遺族を脅迫しての商会乗っ取り?もしかして、グレた!?」
何せ、未開の地に騙されて連れていかれて、捨てられたのだ。『お淑やかで、人を騙したりしない優しい子』が、『世紀末の不良娘』に化けてもおかしくはない。
「しかも、あんなに信頼していたハラボー伯爵の言葉も信じないほど、人間不信になってるだなんて……」
エレノアはがっくりと項垂れて言う。「フランツに会わせる顔がないわ……」と。
そんなエレノアを見て、ユーグは内心で冷や汗を流す。
(息子よ……。まさか、おまえがアリアちゃんを悪の道に引きずり込んではいまいな……)
そんなことになっていたら……と思いゾッとする。その場合は、自分も友人であるフランツに会わせる顔がないと。
「と、とにかく、一刻も早くポトスに向かった方がいいようですね」
「ええ……。娘がこれ以上人の道から外れることがないように、一刻も早く指導を……」
そうは言っても、ポトス行きの船の出航は明後日だ。そこから、10日余りの旅の後に着くのだから、会えるのは半月以上先だ。つまり、7月20日前後になるだろう。
だが、二人の歩みは気が急ぎ、自然と速くなるのだった。
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