第161話 元同業者は、すべてを失い路頭に迷う

「おい、出ろ!」


 牢に入れられてすでに7日目。獄吏の言葉に、ついにこの首を縛られるのかと、覚悟を決める。罪状は、おそらく不敬罪。知らなかったこととはいえ、大国の王女殿下を貶めようとしたのだから、妥当と言えば妥当なのかもしれない。


 そう思っていたら、思わぬ展開が待っていた。


「カッシーニさん。釈放です。帰っていいですよ」


「は?」


 何を言っているのだろうと、総督府の役人を見た。そうすると、役人は言った。


「実はな、ハルシオン王国のアリア王女殿下から、総督閣下に恩赦のお口添えがあったそうだ。ご自身も知らなかったことだから、そのことで罪に問うのはあまりにも気の毒だと……」


 役人は、「よかったな」と気安く肩を叩いて言葉を掛けてくるが、心には何も響かなかった。要は、情けを掛けられたということだ。悔しい以外の何物でもない。


 だが、釈放してくれるのに断るバカはいない。さっさとその場から立ち去り、まず店に向かった。罪は許されたものの、王女に無礼を働いたことはすでに町中に広まっているだろう。そうなれば、商会の存続は危うい。そう考えて。


(図らずも、あの小娘にしようとしていたことが、自分に返ってきたということか……)


 笑えないな、と我ながら思った。


 そうしているうちに、店の建物が視界に入ってきた。だが、いつもなら置かれている幟や店員の姿は見えない。嫌な予感がして、早足で駆け寄ると……


「はぁ……やっぱりか……」


 閉ざされた扉に貼られた1枚の紙。


『当カッシーニ商会は、6月30日をもって閉店いたしました。永らくのご愛顧、ありがとうございました』


(あの晩餐会からたった3日で潰れたのか……)


 最悪の予感が的中して、ため息がこぼれる。そして、中に入ってみると、店の中には何も残されていなかった。商品は元より、日頃使っていた執務用の机も椅子といった備品も、そして、隠していた秘蔵のワインまでも……みんな、根こそぎ何も残されていなかった。


「はは……ははは……」


 乾いた笑いが口からこぼれた。しかし、誰も聞く者はいない。ただ一人、置いてけぼりを食らったような気分だ。そして、駆け出した。店がこんな状態なら、家も同じようになっているのではないかと思って。


(テレサ……ジョアンナ……無事でいてくれよ……)


 先程の店の有様は、恐らく借金取りの仕業だろう。何せ、年商の3倍を超える負債を抱えていたのだ。潰れると判断した瞬間に、少しでも回収しようと動き出したはずだ。それならば、妻と昨年生まれたばかりの娘も、無事で済むとは思えない。


「はあ……はあ……」


 坂道を一気に駆け上ったせいか、息は大きく乱れていた。だが、そんなことよりも、家族の無事を確かめるために、家へと急ぐ。そして、あと少しのところで、1台の馬車とすれ違った。


「へっ?」


 偶然にも、馬車の中にいる女性と目が合った。妻のテレサだった。


「い、一体、どういう……」


 呆然として立ち尽くしていると、馬車が止まり、彼女は娘を抱きかかえて降りてきた。……そして、彼女の横には、オリヴェーロがいた。


「おや?カッシーニさん。生きて出られたんですな」


 それはよかったですね、とニコニコしながらオリヴェーロは言い放つ。だが、その視線は冷たい。敗北者を嘲るような、そんな目をしていた。


「そんなことより……どうして、テレサと一緒に……?」


「ん?決まってるじゃないですか。彼女はわたしの愛人なんですから」


「あ、愛人!?」


 思わぬ言葉に動揺して声を荒げる。どういうことだと、テレサを見るが、彼女はサッとオリヴェーロの後ろに隠れてしまった。そんな様子を見て、オリヴェーロは、クククと笑った。


「あ、言っておきますが、わたしたちの関係は、あなたの没落とは関係ありませんからね。あなたは知らなかったでしょうが、このテレサは、わたしがあなたの動向を知るために潜らせたスパイなんですよ。まあ、好みのタイプでしたから、このように子供も授かりましたけどね」


 嘘だろ……そう思った。だが、テレサは相変わらずオリヴェーロに寄り添い、こちらを見ようとしない。


(そうなると、娘と思っていたジョアンナも、俺の子じゃないというのか……)


 ここまで走ってきた疲れと相まって、膝が崩れて地面についた。そして、理解した。これですべてを失ったと。


 そんな落ちぶれた姿に、オリヴェーロは満足したのか、金貨の詰まった布袋を放り投げてきた。そして、おもむろに言った。


「……可哀そうなあなたに、忠告しましょう。その布袋を拾って、早くここから立ち去った方がいい。くれぐれも、ご自宅には戻ろうとは思わないように」


「え?」


「ご自宅には、今、借金取りが押し寄せていて、金目のモノを運び出している最中でして……。出所するのがあと30分早ければ、せめてもの情けで、何とかして差し上げれたのですがねぇ……」


 オリヴェーロが言うには、愛人が退去するまで屋敷に立ち入らないようにと借金取りに圧力をかけていたらしい。つまり、彼女が退去した今、歯止めが効かなくなって押し入っているだろうと。


(ははは……つくづく、選択ミスばかりの人生だな……)


 今日だって、もし店に行くよりも先に家に向かっていれば、最低限の資産を持ち出すことはできたのだろう。小娘への対応といい、嫁選びといい、経営の失敗といい、間違ってばかりの人生だ。


 だから、考える。もう間違えないために、どうすればいいのかを。


 もう用は済んだとオリヴェーロは馬車に戻り、その馬車は坂道を下って去って行く。無一文となった今、最早他に選択肢はなく、投げつけられた革袋を拾って、一先ず坂道を下って町へ向かうのだった。

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