第133話 勇者は、海を再び渡る
「うぐ……はぁ、はぁ……死ぬかと思った……」
シャウテンの町で、カミラとの悲しい別れから約半年。勇者アベルは、ただ一人でムーラン帝国の玄関口であるマルツェル港に到着した。船酔いが酷く、すでに残りのHPは0に近い。今なら蚊に刺されても死ぬというような状況だ。
「おい、お客さん。だから言ったじゃないか。船底は人がいるような場所じゃないぞって……。はぁ、仕方ない。これでも飲めよ」
そう言って、その優しい船員の男は、アベルにポーションを渡した。アベルは何も考えられずにそれを飲む。その瞬間、船酔いは解消されたが、今度はお腹が痛くなった。
「……あ、悪い。消費期限切れてたわ」
なにせ、長い航海だったのだ。そういうこともあると、男は笑って言った。しかし、それどころではないアベルは、一目散に船のトイレへと駆け込んだ。出だしから、幸先が悪いと思いながら。
「いや……本当に悪かったな。じゃあ、気を付けて行けよ」
トイレから出て船を降りようとするアベルに、先程の船員が言葉を掛けてくれた。だが、アベルは何も答えずにそのままタラップを降りた。
(悪いと思うなら、慰謝料を払えよ……)
そう思いながら、振り向くことなく町の中へと歩を進める。
「とにかく、ギルドに行こう。この国は、魔族との戦闘が激しいと聞くから、なにか仕事はあるだろう」
そう独り呟くアベル。……呟いて思う。もう聞いてくれる仲間は誰もいないということを。
(やっぱり、エデンに戻ってるのかな……)
シャウテンの町から一度は逃げ出したアベルであったが、実はその半月後にカミラを迎えに町に戻ったのだ。
しかし、住んでいた家にはすでに別の住人が住んでいた。無論、追われている身の上なので、人に聞いて回るわけにもいかず、アベルは諦めざるを得なかった。ゆえに、一つの可能性として、エデンに戻って子供を産んでいるのではないかと、いつも考えてしまうのだ。
「はぁ……」
そこまで考えて、アベルはひとつため息を吐いた。考えても仕方がないことだと思い直して。どのみち、カミラの性格を考えれば、例えエデンに迎えに行ったとしても、門前払いを食らうのは目に見えている。アベルが知る彼女は、そういう女だった。
「あれ?」
「ん?」
何か声が聞こえたので、振り返るとどこかで見たことのある顔があった。
「あっ、やっぱり勇者殿ではありませんか!」
その若い小柄な男は、突然大きな声で喜びの声を上げて駆け寄ってきた。
(えぇ……と、誰だっけ?)
アベルは記憶を辿ろうとするが、中々思い出せないでいた。すると……
「え?勇者だって!?」
「嘘だろ!?なんで、こんなところに?」
「でも、スメーツ様がそう言ってるのだから、そうじゃないのか?」
(スメーツ!そうだ、思い出した。確か、アリアをオランジバークに連れて行った時に、彼女に頼まれて途中のポトスまで同行させてやった留学生だ!!)
アベルの中で、過去の記憶と一致した。
「ところで、勇者殿。アリアさんの姿がないようだが、彼女は……?」
いきなり痛いところを突かれて、アベルは返答に窮した。まさか、未開の地に置き去りにしたとはいえない。
「別れた……よ」
ボロが出ないように注意して、最低限の言葉だけ告げる。すると、スメーツは勝手に申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさい。まさか、そんなことになっているとは知らずに……」
アベルは内心でホッとしたが、それを億尾にも出さず、いけしゃあしゃあと言った。「すでに思い出だ。気にするな」と。
「それよりも、君は何をしてるんだ?」
その身なりを見て、加えて先程の周りの反応を見てアベルは思う。スメーツには利用価値があると。
「ああ、ボクはこの町の領主の一族なんだ。実は、近くの山で魔族を見かけたというから、一緒に戦ってくれる人を募集しているんだ」
そういうスメーツの後ろには、すでに十数人の若者たちが集まっていた。どうやら、それなりには人望があるらしい。
だが、それならばこのチャンスを逃すのは得策ではない。勇者は戦ってこそ、価値があるからだ。
「なあ、スメーツ。俺も参加してもいいか?」
「え?」
思ってもみない言葉に、スメーツは驚いた。すると、アベルは言った。
「実はな、ここだけの話、金がないんだ。だから、仕事を探そうと思っていたんだが……お願いできないかな?」
どうして金がないかなどは言わない。そんなことは重要ではなかったからだ。要は、自分の力を必要とするか、しないかだ。
そう思っていると、スメーツは恐る恐る言った。
「……本当に、お願いしてもいいのでしょうか?ご迷惑にはなりませんか?……あと、そんなに多くの報酬は出せないのですが……」
報酬が少ないというのは引っ掛かったが、これも何かの縁だろう。アベルは、金のことは追々考えることにして、「問題ない」と答えるのだった。
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