第111話 未亡人は、混乱を極める

 翌朝。まだ陽が昇って間がないというのに、ポトスの町は騒然とした。


 大通りに突然掲げられた国王旗。その旗の下に本国の兵隊が隊列を組み、総督であるジュリオ・リヴァルタ侯爵を筆頭に、最近頭角を現しつつあった商人・カスト・アルバネーゼやこの町の有力者を幾人かを総督府に連行していく。


 しかも、連中は裸足で、手首には手錠がはめられていた。目にした者は、只ならぬことが発生したと勘づき、噂話に花を咲かせては、あっという間に町中に騒動を拡散していった。


 ゆえに、その連行された罪人の中に、ブラス商会を事実上牛耳っている番頭、ニーノ・ガストーニがいるという知らせは、比較的早いタイミングで、商会の名目上のオーナーである故ブラスの妻であるヴァンナ夫人の元に届けられた。


「奥様!!」


 知らせを受けて、ヴァンナはめまいを覚えて倒れそうになるが、侍女であるサラに支えられて何とか踏み止まった。しかし、狼狽は隠せなかった。


(ああ……どうしてこんなことに……)


 先月、突然カルボネラ商会から絶縁されて、夫は悲嘆するあまりに自殺した。事業を立て直すためには、心ならずも番頭であったニーノを頼らざるを得なかったが、今度はその彼が逮捕されたという。


(これから、どうしたらいいの?だれか、教えてよ……)


 ヴァンナは、このポトスでも大店として有名な商人の娘であったが、家業の勉強をしたこともなければ、商会のことにはこれまで一切関与したことがなかった。そのため、従業員たちが不安そうにこちらを窺っていることに気づきはしたものの、どうすることもできない。


 ついにヴァンナは、皆の視線に居た堪れなくなり、しばらく考えたいと言って、亡き夫の執務室に籠る。しかし、妙案が出るわけでもなく時間だけが無意味に過ぎていった。


(どうしよう……本当にどうしよう……)


 こうなれば、ニーノに代わる誰かを立てるしかないのだが、誰が適任なのかがわからない。そもそも、それ以前に従業員の名前と顔が一致しない。


(いっそ、くじ引きで決めようかしら?)


 冗談みたいなことを本気で考えだした時、突然、執務室の扉が前触れもなく開けられた。


「奥様、大変です!!国家調査官の方が……」


「えっ!?」


 名前はわからないが、従業員にそう告げられて顔を上げると、そこには身なりの整った大柄な男が立っていた。


「国家調査官のダグラス・ロレンツィ少佐です。人身売買禁止法違反の疑いにより、これより御商会の家宅捜索を開始します」


 そう言って少佐は、ヴァンナに令状を見せる。それには間違いなく『ポトス高等裁判所』が発行した正式な令状だった。


「どうして……」


 意味が分からないと、ヴァンナは呟くが、少佐とその部下たちは彼女を相手にすることなく、淡々と手際よく商会の事務所の引き出しや棚、そして、金庫に至るまで、捜索の名の下に荒らしていく。


「待ってくれ!これを持ってかれると、今日明日の取引が……」


 中には、仕事熱心なあまりに押収されそうになる帳簿の引き渡しを拒もうとする者もいたが……


「公務執行妨害です。それ以上、邪魔をすれば逮捕しますよ?」


 そう言われてしまい、観念して大人しく引き渡した。


「奥様!!何とかしなければ、このままでは、我が商会は倒産してしまいます!!」


「倒産?」


「ただでさえ、カルボネラ商会に切られたのです!!その上、人身売買に加担していたなどという噂が立った日には……」


(馬鹿な……。そんなはずはないわ。だって、うちはポトスでも五指に入る塩商人で……)


 少し身なりのいい従業員が青ざめた顔で迫ってきたが、ヴァンナは今一つ理解が追い付かなかった。これくらいのことで、自分の商会がビクともするはずがないと思って。そうしていると……。


「少佐!!ありました。ブラスが人身売買で得た利益を記した裏帳簿です!!」


 若い調査官の声が聞こえて、連中は一斉にそちらに向かった。


「ほう……これは……」


「総督への賄賂まで記されていますな……」


 調査官たちが囁き合っているのが耳に入ってきた。


「入り口をすべて閉じろ。聞き取り調査を行う。中にいる者を誰一人出すな」


 ロレンツィ少佐はそのように部下に命じると、そのままヴァンナの元にやってきて告げた。


「ヴァンナ夫人。御足労ですが、総督府までご同行願います」


「えっ!?」


 どうして自分が連行されなければならないのか。そう思っていると、手首に手錠がはめられた。


「この書面、見覚えはないですか?」


「え……あっ!」


 それは、ニーノがアルカ帝国に行くからと言ってサインを求めてきた書類。帝国のノワール藩主にあてた委任状だ。


「ニーノは、今回、この委任状で帝国に入国して、罪のない多くの女性を攫ったと自白しました。ここに、サインがある以上、知らないというセリフは通じませんよ?」


「うそ……」


 ヴァンナの顔から血の気が引いた。もちろん、そんなつもりでサインなどしたつもりはない。


「……人身売買は大罪です。最悪、死罪となる場合もありますので、もし、お別れを告げる方がいるのであれば、今のうちに……」


 それは、少佐がかけた情けの言葉だった。しかし、心の余裕を失い、パニックを起こしたヴァンナには通じることはなかった。


「知らないわ!!どうして、わたしが逮捕されなければならないのよ!!」


 ヒステリーを起して、ヴァンナは激しく叫んだ。


「おまえたちも、何をボケッとしているのよ!!早く助けてよ!!」


 周りで立ち尽くしたままで動こうとしない従業員に向かって、強く命じるが、誰も動こうとしない。それどころか、汚らわしいモノを見るような目でこちら睨んでいる者すらいる。


「お願いだから、給料も上げるから……お願いだから……助けてよ……」


 そして、最後の方は力を失い、縋るように周りに助けを求める。しかし、誰も動くことはなく、ヴァンナはロレンツィ少佐に連れられて、商会を後にするのだった。

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