第110話 奴隷商人は、汚水の臭い漂う地下を彷徨う
「……冗談じゃない。折角ここまできたというのに……」
ポトスの地下を流れる排水路を西に向かいながら、カスト・アルバネーゼは誰に聞いてもらえるわけでもない呟きをこぼした。
親もなく、孤児院で育った後に身を起してから10年余り。ようやく、このポトスで成功を収めて財を成したのだ。こんなところで終わってたまるかと、くじけそうな心を励ました。
「くそ……。ニーノの奴、失敗してたのか。まんまと騙された……」
目の前にいれば、八つ裂きにしてやりたいが、今はそんなことを言っている場合じゃない。捜査の手が及ぶ前に店に戻って、逃走資金を確保してポトスを脱出する必要があるのだ。
「しかし、まだついている。俺はまだ捕まっていない」
汚水がシャツやズボンに突き、その臭いが鼻を突き、さっきから度々不快な気持ちになってはいるが、他の連中と違い、自分はまだ捕まっていないのだ。そう思えば、まだツキは残っているともいえる。
そして、振り返る。自分が他の連中と異なり、こうして逃走している理由を。
総督の挨拶が終わった直後に、急にお腹痛くなりトイレに駆け込んだら、外から「全員逮捕する」という声が聞こえてきた。
嫌な予感がして、急いで用を済ませた後にトイレから出ようとすると、そこには女装した男たちに連れていかれる客たちの姿が……。
「しかも、運よく裏口から出たところに排水溝のマンホールがあるときたもんだ。どうやら、奴らも想定外だったようだ」
ここまで来るのにすでに1時間は経過しているが、追手の姿は見えない。ツキはまだ続いているように思えた。
「お……ここか?」
こんなこともあろうかと靴底に忍ばせていた魔導地図は、このタラップの上がカストの店がある西七番街付近であることを示していた。
カストはタラップに手を伸ばした。そして、さあ、登ろうと思ったところで、ふとしたことが頭をよぎる。
(ひょっとしたら、待ち構えられているかも?)
逃走してから、1時間余。予め、段取りをしているとなれば、ここにも捜査官の姿はあるかもしれない。それならば、このまま昇らずに、市外に抜ける道を探した方がいいのではないかと。
(手持ちは20万G。あと、宝石類が少々。やはり、逃走資金としては心もとない……)
魔法カバンを確認してみると、金目のモノはそれだけしか残っていなかった。ポトスを出た後、最近、発展著しいと言われている北部に逃げ込もうと考えていたが、この資金では早晩行き詰ってしまうだろう。
(だったら、昇って逃走資金を確保して……)
カストは覚悟を決めて、再び、タラップに手を掛ける。すると、突然、背後に人の気配を感じた。
「お……おまえは……」
振り返ったカストの顔が驚愕で固まる。その男は、ニーノの傍にいた。つまり、捜査官の手の者だ。
「ここは臭いし……無駄な抵抗をやめて、大人しく捕まってくれると嬉しいのだが?」
レオナルドの言葉に、カストは懐から短銃を抜く。
「どうやって来たか知らないが、一人で何ができる!!」
そう言いながら、1発、2発、3発……とレオナルドに向けて発砲する。しかし、どういうわけか、弾はレオナルドの目前で宙に浮いたように止まり、それ以上は進もうとしなかった。まるで、そこに壁があるかのように。
カチャ、カチャ……
6発目を発射して、弾切れの音がした。カストは、その理由に思い当たった。
「もしかして、魔法か?」
銃の弾をこんな形で防ぐ魔法など聞いたことも見たこともないが、目の前の現象はそれ以外であるとは考えられない。レオナルドは肯定も否定もしないが、この期に及んで楽観的に考えるほど、カストは愚かではない。
(……となれば、これ以上抵抗しても無駄か)
こんなことができる魔法使いというのなら、勝ち目は全くないだろう。カストは銃を捨てると、両手を上げて降参する意志を示した。
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