第102話 番頭は、追い立てられる
4月21日深夜——。
アルカ帝国の国境の門に、2台の荷馬車が近づいてくる。
「止まれ!!」
門を守備する兵士がアルカ語で声を上げると、御者は指示に従った。
「むぐ!!」
「んんっ!!」
荷台に乗せられている攫われた女たちが、なんとか気づいてもらおうと猿轡越しに声を出そうとするが、それは無駄な抵抗。
「へい……どうぞ、お通りを」
最初から荷馬車に攫われた帝国の女性が載せられていることを知る兵士は、金貨が詰まった革袋を受け取り、静かに門を開ける。
「むぅ!!むぅ!!」
女性は必死で気づいてもらおうと頑張ったが、荷馬車は帝国領の外、スピーナ街道をゆっくりと進み始めたのだった。
(ははは!!!やったぞ!!これで、お嬢さんは俺のもんだ!!)
帝国領を出てからおよそ30分。ブラス商会の番頭だったニーノは、これから待ち受ける成功の日々を信じて疑わなかった。
なにせ、今回の一件で、アルバネーゼ商会が後押ししてくれるのだ。ブラス夫人は、ニーノがわずか10歳の娘の婿になることに嫌悪感を示していたが……
(そんなのは関係ない。力こそすべてだ!!)
ニーノは、今にも踊り出したい気持ちを抱いて、暗い街道を荷馬車と共に進んだ。
ヒュン!!ヒュン!!
そのときだった。闇夜を引き裂くように、無数の矢が飛んできた。
「ぎゃ!!」
「うぐっ!!」
ニーノは辛うじて躱したが、荷馬車をひく御者や護衛の傭兵たちの多くはそうもいかず、射貫かれてその場に崩れ落ちた。
「誰だっ!!」
ニーノが叫んだ。すると、暗闇の中からぞろぞろと武装した兵士たちが現れる。
「その姿は……先住民かっ!?」
どこの部族かまではわからないが、その独特な装束からニーノは断定した。しかし、どうして攻撃されたのかまではわからない。すると、集団の中から身なりの立派な青年が馬に乗ったまま前へと出てきた。
「わたしは、ネポムク族の族長ヤンである。待っておったぞ、我が同胞を攫った極悪人よ」
静かだが、怒りが籠ったその言葉。ネポムク族と聞き、ニーノは昨年までブラスがやってきたことに思い当たり、誤解を解こうと弁明を試みる。
「ま……待ってくれ!!それは、俺たちじゃない。誤解だ!!」
見れば、ざっと100名以上の兵に取り囲まれているのがわかる。一方、味方は30名ほどで、すでにその多くが先程の攻撃によって負傷している。
戦えば、勝ち目がない。ニーノはそう理解した。
「ほう……誤解とな?」
「はい。わたくしどもは、ポトスの真面目な商人でして……」
ニーノは、いつものように本性を隠して、人畜無害な商人であることをアピールする……が。
「じゃあ、彼女たちに訊くが良いかな?」
いつの間にか荷馬車の中から、攫ってきた女どもが連れ出されていた。睨みつける彼女たちの猿轡は今まさに外されようとしていた。ニーノは、慌てて走り出した。
「では、皆の者。あとは、手筈通りに」
ヤンが部下に命じると、その半数がこの場に残って残党たちの捕縛と女性たちの保護に取り掛かり、もう半数はヤンと共に……駆け出したニーノを追ってスピーナ街道をポトス方面に進む。
「よいかっ!!決して当てるでないぞ。ギリギリの所に打ち込めよ。日頃の鍛錬の成果を見せよ!!」
「はっ!!」
(冗談じゃない!!)
ニーノは走りながら耳にするその声に戦慄を覚える。ゆえに、必死で逃げるが、そもそも相手は騎馬で自分は徒歩。はなっから勝ち目などあろうはずがない。
「うぐっ!!」
そして、1キロ近く逃げたところで、矢が右太腿を掠めて、ニーノはバランスを崩して転倒した。
「馬鹿野郎!!掠めたぞ。もっと精度を上げろ!!」
「はい!!すみません!!」
後ろからそのような言葉が聞こえた。
(どうして……どうして、俺はこんなところで……)
ポトスに帰れば、輝かしい未来が待っているはずだった。かわいいお嬢さんも自分のモノになるはずだった。それなのに、現実は残酷で、こうして今、狩りの獲物のように惨めに追い立てられている。ニーノは神を呪った。
それでも、逃げなければ命が終わる。
ニーノは、再び立ち上がり、足の痛みを我慢しながら走り出した。
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