第3章 女商人は、悪総督を懲らしめる
第69話 大商人は、受けた恩に報いる
執務室の窓から外を見る。人口22万人。新大陸の玄関口・ポトスの夜景は今日も輝いていた。
だが、この歳になってみれば、その輝きを『美しい』と単純に思うことなどできない。人々の欲望が交差し、弱い者たちの無数の涙が積み重なって、あれはできているのだと理解している。そして、その頂点に自分がいることも……。
「会頭」
……そうたそがれていると、背後から声をかけられた。振り返ると、懐かしい人が立っていることに気づいた。
「おお、クリスじゃないか。いつこちらへ?」
クリス・アズナーヴル。一見若く見えるが、年齢不詳の国家調査官……いわばスパイだ。男の姿をしているが、本当に男なのかもわからない。
「先程の便で到着しました。まずは、ご挨拶をと思いまして……」
「それは、うれしいことを言ってくれるじゃないか。まあ、寒いから中に入り給え」
儂がそう言うと、「ではお言葉に甘えて」とクリスはソファーに腰を掛けた。
「それで、今回の訪問はやはり仕事か?」
グラスに酒を注ぎながら尋ねると、「そうです」と彼は答えた。つまり、調査の対象は儂ではないということだ。もっとも、そうと思わせておいて、ということもあるから、油断はできないが。
「たまには、バカンスで来ましたとは言えんのかねぇ……」
二つのグラスのうち、一つを渡しながらそう言うと、彼は苦笑いをしながら受け取った。
「そういえば、大賢者様はお元気にされているか?」
以前、クリスと会ったときに、大賢者様の弟子であると言っていたことを思い出して、尋ねてみた。
「ええ。今も師匠は現役ですよ。今はハルシオン国王の依頼で動かれているようですし……」
もっとも、ここ5年は会ってませんので、人伝で聞いた話ですけどね、とクリスは笑って言った。儂はただ「そうか」と答えて、グラスに口をつける。
大賢者ユーグ・アンベール——。
儂の古い友人であり、娘を救ってくれた恩人でもある男の名前だ。
「……オランジバーク、でしたっけ?師匠の御子息がおられるというのは。そういえば、まだ支援をなされているのですか?」
「ああ。受けた恩を思えば、それくらいはさせてもらわなければ、と思ってね」
「それは、律儀ですね……。もう25年近く昔の話なんでしょ?」
「まだ25年だ。まだまだ恩を返せたとは思っていないよ」
そう言って、グラスを再び傾ける。
不幸にも、母親は男の子を産んですぐに亡くなった。その女性の方と何があったのかまでは聞いていないが、すでに、大賢者様は本土に戻られており、人をやって知らせようともしたが、修行の旅に出て行方が分からなかった。
そこで、その子を引き取った叔父に相談し、これまで陰ながら支援を行ってきたわけだ。
「お父様……あっ、お客様がいらしたのね。失礼しました」
娘のレベッカが何か用事があったのだろうか。姿を現したが、クルスの姿を見てそのまま退室していった。
「お嬢様も大きくなりましたね。もうそろそろご結婚も?」
「……いや、まだだ。なかなか、いい相手がいないのでな」
儂がそう言うと、クリスは何やら考え込んだ。不吉な予感がして、睨みつけて言った。
「言っとくが、君には嫁がせるつもりはないぞ」
顔は良いが、彼は根無し草だ。娘が不幸になると思って先にくぎを刺す。
「あっ……いや、大賢者様の御子息と年齢的に釣り合いが取れるのでは、と思っただけで……」
大賢者の御子息?確か、今年で24歳になるはずだ。レベッカの方が少し上だが、決しておかしな話ではない。だが、人となりを知らなければ判断はできない。いくら恩人の息子だとしても、娘が不幸になるというのであれば、話は別だ。
よし、明日、ブラスに聞いてみるとするか。何度も行っているのだから、何も知らないということはないだろう。
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