第56話 独裁者は、敗走する

「な……なんだと!?全滅しただと……」


 ここは、アッポリ族の居住地の手前。ネポムク族討伐の本陣を据えるためにやってきていたダネルの耳に驚愕の知らせが飛び込んできたのは、夜が明ける直前だった。


「何かの間違いじゃないのか!?アッポリ族を制圧するために派遣した先遣隊は、3千はいたはず。しかも、2時間前に占領は完了したと申していたではないか!!それなのに、なぜだ!!」


 その知らせが虚報だったとは思えない。目論見通り、ラモン族とゾエフ族では反乱がおこり、オランジバークは盗賊に占領されたという知らせも入っている。ゆえに、ネポムク族がただちに動員できるのは、精々数百のはず。こんな短時間の間に、全滅するということなどあり得るはずはないのだ。


 しかし……


「どうやら、間違いではございませんぞ。ネポムク族の村の手前には、おびただしい数の首が晒されています。ざっと見ても2千近くはあるかと……」


 先行して進んでいた参謀のケトンは、その話を肯定した。この男が言うのであれば、間違いないのだ。ダネルは、呆然として馬から落ちかけた。


「陛下!!」


 ケトンが慌てて駆け寄り支えたため落馬は免れたが、ダネルの顔からは血の気が引いていた。


「ば……ばかな……一体何が起こったのだ」


「……隙を見て脱出した者の話では、『悪魔のようなたった一人の男』によって短時間の間に殺られたようでございます……」


「悪魔だと!?」


「はい……。何でも、ある者は業火に焼かれて消し炭になり、ある者は生きたまま地中に引きづりこまれ、ある者は雷に打たれて、そして、ある者は氷の刃に串刺しにされたとか……。それらは、全て魔法によってなされたそうです。ゆえに、悪魔だと……」


 そんなに多くの魔法を操れる者など聞いたことはない。だが、ケトンの様子を見る限り、冗談ではないようだ。今、この地には5千の兵がいるが、そのような敵がいるのであれば、敵うとは思えない。


「……退却するぞ」


 迷いはなかった。ケトンもそれがわかったようで、「それがよろしいかと」と言って、兵に指示を出すためにこの場を離れて行く。犠牲だけで何も得ることができなかったのは痛いが、これ以上の損失を出すわけにはいかない。


 ダネルは、騎首を翻した。


 ジャーン!!ジャーン!!ジャーン!!


 左右から銅鑼が鳴り響いた。……とほぼ同時に、喊声と喚声が聞こえてきた。


「何事だ!?」


 ダネルは左右の者に尋ねるが、誰も答えれるものはいない。そこにケトンが再び現れる。


「ケトン……。これはどういことだ?」


「ゾーラ族の兵です!!その数2千!!……陛下、ただちにお逃げくだされ!!」


「何を言っておる?2千なら、こちらの方が数では上ではないか!!蹴散らせ!!」


「恐れながら……。兵士たちの逃走が相次いでおります。敵兵の中に、ローブを纏った男を見かけたようで……」


 ローブの男。それは、アッポリ族に駐屯していたジャラール兵を虐殺したという『悪魔』のこと。兵士たちは、その姿に怯えて戦意を喪失したようだ。本物か偽物かわかったものじゃないが。


「ここは、某が食い止めますので、陛下はどうかダレルパレスへ……」


 ケトンは悲壮な決意を瞳に宿して、そう言った。恐らくは、今生の別れになるだろう。だが、それを口にするのは野暮というもの。


「……わかった。後で会おう」


 ダネルはそれだけ告げて、供周りの者と共に先を急いだ。その姿が見えなくなるまで、ケトンは黙って見送ったのだった。

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