第36話 「白神山地」 血吸い
白神山地は、奥に進むともう戻ってこれないと言われるほど深い森林と化している。
もともと深い森ではあったが、異世界との融合によりダンジョンとなり、日々構造の変わる異界となっている。
だが入り口付近は比較的安全なため、腕試しで森に入る冒険者も少なくない。
怪物は、そんな白神山地の入り口付近に出現した。
コールタールのような、どす黒い見た目。四枚の羽で、おぞましい飛行音を発しながら空を飛ぶ。怪物は笑い声を上げながらその場にいた冒険者を襲い、血を吸い始めた。幸い死者は出なかったものの、出血多量で2名が重症となったという。
「ここだね、白神山地って」
弘前市から、車でおよそ40分。フィーナ達は白神山地の遊歩道に赴いた。緑色の森は、紅葉により黄色が混じり始めている。森は、市街地よりほんの少し涼しい。
「いいとこだのぉ。お岩木もいい山だども、こごもいいとこだじゃ」
深呼吸しながら楓が言う。
そこへ、冒険者らしき若い男が駆け寄って来た。
「おうい、ここは危ねぇよ。真っ黒な化け物が出るらしい」
「あたし達、そいつを倒しに来た冒険者なんです」
「おっと、そうだったか。こりゃ失敬」
男は軽く礼をし、非礼を詫びる。フィーナは怪物について尋ねてみた。
「怪物がどこにいるか、知ってます?」
「ここの奥を飛び回ってるって聞いたぜ。俺は興味本位でやって来たんだがな、やっぱりやめようと思って引き返すとこだ。俺の身に余る敵だぜ」
「ここの奥ね。見た所一本道だし、ここを進めば行き当たるかしら」
目の前には、元は遊歩道として造られた道が伸びている。紅葉したブナが森を染めている。異世界の木もブナに混じって生えており、独特の生態系を形作っている。
「気ィ付けろよ、あんたら。怪物も怖いが、最近は魔物の動きも妙だからな。変に凶暴化してやがるんだ」
「そうなんですか?」
「俺は白神山地の魔物を狩って暮らしてんだ。だから分かるよ。最近の魔物は何かおかしい」
男はそう言い残すと、足早に森を去っていった。
「……ひとまず、奥へ進んでみましょうか。何か見つけたら、僕が合図します」
奈津が先頭を引き受けることになった。他の3人に異存はない。そのまま一列になり、慎重に森の奥へと足を進める。
道のあちこちに、野生動物や魔物の死骸が散らばっていた。いずれも血を吸われている。
「おっかないね、こりゃあ」
「手当たり次第って感じするなぁ。悪食だの」
楓は不機嫌そうにフンと鼻を鳴らす。
しばらく歩いていると、不意に奈津が立ち止まった。
「皆さん。止まってください」
「どうしたの」
「……この先に怪しい人影があります。もしかしたら怪物かもしれません」
「オッケー。用心しよう」
4人は抜き足差し足で、より慎重に歩く。やや姿勢を低めて、いつでも攻撃に移れる腹積もりを整えながら。
10歩ほど前進した時、不意に奈津が叫んだ。
「伏せて! 皆さん! こっちに飛んできます!!」
ぶぶぶぶぶ、という耳障りな音が接近する。フィーナと楓は咄嗟にしゃがみこむ。
猛スピードで、真っ黒な人型の怪物が空を飛んで接近してきた。そのままフィーナ達の頭上を通り過ぎていくが、すれ違いざまに、伏せるのが遅れた真冬を勢い任せに引っ掻いていった。
「いッ……!!」
苦しそうに真冬はうめく。その肩には鋭い3つのひっかき傷が走り、真っ赤な血がにじんでいた。
「真冬っ!!」
「大丈夫、そんなに深くない!」
真冬をかばうようにフィーナは立ち上がり、怪物をはっきりと見据える。
コールタールを塗りたくったように真っ黒な、人の形をした姿。
2枚の細長い羽。2本の細い触覚。大きな瞳。単なる魔物とは一線を画す、底気味悪い外見だった。
怪物は少し目を細め、真冬の血がついた爪を舐める。
「惜しい、惜しいなァ。この朽葉様の攻撃をよけるなんて、やるじゃないか」
朽葉──住職が言っていた怪物の名と一致する。
「あんたよね、絵から逃げ出した怪物ってのは」
「ん? おォ、そうそう。その通り。よく知ってるねェ」
フィーナの問いに、怪物は楽し気に答えた。
「いや、まったく困った話さ。400年前、ちょっと牛とか馬とか人間の血を吸って殺しただけなのに、みんな大騒ぎしやがって。それでな、サムライのくせに陰陽道が得意という、
その口調はあっけらかんとしており、明るい。世間話でもするかのような口ぶりだ。
「しかしな、この朽葉様は、掛け軸に封じられながらも、少しずつ封印をこじ開けておったのよ。時を経た鉄が錆びるように、封印もまた錆びる。ようやく外に出られたわ。シャバの空気は旨いなぁ!」
はははは、と怪物は笑った。
──今ならやれる。フィーナは呼吸を整え、不意打ちをかました。
(ブラスト・ボルケーノ!!)
爆破魔法が炸裂し、爆炎が吹き上がった。やったと思ったが、怪物の姿はどこにもない。
「ダメです、避けられました! 上です!!」
奈津の切迫した声。上を見ると、怪物が真上から迫る。避ける間もなく、フィーナは怪物の右拳をまともに食らってしまう。
「が、はっ……!!」
受け身も取れず、派手にフィーナは吹っ飛ぶ。再び空中に舞い戻ろうとする怪物へ、咄嗟に爆破魔法を唱えた。
「ブラスト・ファイアワーク……!!」
花火のように、大量の爆炎が空中に上がる。怪物の痛そうな悲鳴が上がった。
「いてェッ! くそォッ」
怪物の羽は一部が欠けていた。だが、飛行には問題なさそうで、再び真一文字に飛びながら向かってくる。
「やるな! ようし、次の狙いはお前だ! お前、人間じゃないだろ! お前の血なら栄養がありそうだ!」
怪物の狙いは楓だった。腕を伸ばし、その首を鷲掴みにする。獲物を奪い去る鷹のように、怪物は楓を掴んだまま空へ上昇していく。
楓の首が締まる。意識が遠のきそうになるのを、楓は歯を食いしばって必死に耐える。
「はっはァ! もらった!!」
怪物は大きく口を開けると、楓の首にがぶりと噛みついた。
「~~~~~~~ッ!!」
「旨い! 鬼の血は旨いなぁ~~!! 体中が潤うッ! 清らかなる奥入瀬渓流のごとしだ!!」
自らの血が飲まれていくのが楓にはよくわかった。痛みと苦しさで、目の焦点が合わなくなる。
それでも、どうにか楓は拳に力を込める。
(──こいつば野放しにしたら、今度はフィーナや、真冬や、奈津の血が吸われて
それだけはダメだ、と楓は腕に力を込める。そして渾身の力を込めて怪物を殴りつけた。
「ぐぁッ! てめェ、痛ェじゃねぇか!!」
「そりゃ
「ええい、忌々しい! キサマごときが! この朽葉様に!
バランスを崩し、怪物は楓を抱えたまま墜落していく。すると怪物の体がみるみる凍り付いていた。
「おっ、真冬の氷魔法か!」
下から仲間が協力してくれるのが分かった。楓は嬉しくなり、続けて一発、もう一発と怪物の脳天を力任せに殴る。
「ええい、くそ! 勝負はお預けだ!」
怪物は楓を蹴り飛ばし、空中で突き放す。そのまま翼を広げ、森の奥へと飛んで行く。
「あ! 待ちへんか! 逃げるんだか!!」
「おうとも! 逃げるさ! ハハハ、じゃあな! お前のことは覚えたぞ、鬼っこ! 次は絶対に吸い殺してやるからな!」
捨て台詞を残して、怪物は逃げ去っていったのだった。
楓は重力にひかれて墜落し、木に引っかかって、大きな音を立てて地面に激突した。
「楓!」
「楓、大丈夫なの!?」
フィーナ達は慌てて駆け寄る。
「……ああ、痛ってぇ。失血死するとこだったじゃ」
「動かないでください。今、手当をしますから」
奈津は跪き、回復ポーションを楓の傷口に塗る。
「いてっ、いてっ。もうちょい優しぐやってけぇ」
「贅沢言わないでください。ほら、動かないで」
「まったくとんでもない奴ね。あんなすばしこい動き、初めて見たわ」
「はぁぁ、焦ったぁ。ひとまずみんなが無事そうで良かったよぉ」
へなへなとフィーナが地面に座り込む。
気づくと、陽が陰り始めていた。冷たい風が木々を揺らし、4人の体を冷やした。
「夜の森は危険です。ひとまず今日の所は引き揚げましょう」
「そうだね、そうしよう」
楓は頭を掻き、怪物が飛び去った方向を睨みつける。
「……これで勝ったと思うなじゃ。次で絶対、決着着けてやるはんでな」
この借りは返す──楓は心に、強くそう誓ったのだった。
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