第37話 「白神山地」 モノノケ・イン・ザ・ウォーターフォール
「おや?」
来た道を引き返していた奈津が、何かに気づき、屈む。
「どしたの?」
「興味深いものを発見しました。先ほどの怪物の体の一部のようです」
拾い上げたのは、怪物の羽の一部だった。
「あら。いつの間にか、羽なんてちぎれ飛んでたのね」
「もしかしたら、フィーナさんの爆破魔法でちぎれたのかもしれません」
「ホントに―? あたしの攻撃も無駄じゃなかったなぁ」
真っ黒な破片は手のひらに乗るほど小さい。4人が顔を近づけて観察していると、羽はみるみる小さくなっていってしまった。
「あ、あれ?!」
「どしたんずな? どんどんちゃっこくなってぐべな」
破片は、ごく小さな、風に吹かれて飛んでいきそうな、薄い透明な破片に変わっていた。
「何でこうなったのかしら。あの怪物の体から離れたから、形が変わったってこと?」
「……僕によくわかりません。ただ、もしかしたら怪物の謎につながる手がかりかもしれません。一回、依頼人のお寺まで戻りませんか? あの住職なら何か知っているかもしれません」
「あ、賛成! 相談してみよう!」
怪物がどんな物の怪なのか、今だ不明だ。何だって手がかりになるはずである。奈津は小さなビニールパックを懐から取り出し、透明な破片をその中に入れた。
車に戻ると、力尽きたように楓がシートに体を沈めた。
「楓、大丈夫なの? どこか痛む?」
「あぁ、大事ねぇ。ただ、
「今日は早く休んだ方がいいでしょうね。辛いなら、到着まで寝てていいですよ」
「うん……」
楓は力なく目をつぶる。激しい死闘を演じた津軽の鬼も、こうしてみると年頃の娘のような寝顔だった。
◆◆◆
久平寺に戻ると、住職は暖かく迎え入れてくれた。手短に、フィーナ達は怪物のことを報告する。
「──なるほど。そうでしたか。これがその怪物の体の一部だと」
「そうなんです。最初は真っ黒なかたまりだったんですけど、みるみるうちに透明なかけらになっちゃいました」
「ふむ」
住職は奥から虫眼鏡を取り出してきて、小さなかけらを隅々まで観察する。
「これはどうやら、虫の羽のようですな」
「虫?! なんでそんな?」
「……お伺いしてもよろしいでしょうか。怪物は、何か気になることを話してはいませんでしたか。その正体につながる何かを」
ううん、と4人は頭を捻る。正体につながる情報。何かあっただろうか──と考えていると、楓が「あ」と声を上げた。
「そういや、あいつ、言ってらったな。自分の事
──「ええい、忌々しい! キサマごときが! この朽葉様に!
楓はその言葉をはっきりと覚えていた。住職の眉がぴくりと上がる。
「成る程。ふったち、ですか」
「ご存じなんですか?」
「聞いたことがあります。青森や岩手に伝わる物の怪です。年を経た動物が巨大化したものです」
住職はメモ帳とボールペンを出してきて、さらさらと書き記した。
“経立”──。
「これで、ふったちと読みます。年を
「そんなのがいるんですか。聞いたことなかった」
「年を経た動物というのは、どんな動物なんですか?」
「様々な動物が経立になるようです。サルの経立、ニワトリの経立……珍しいものだと、魚の経立というのもおったようです」
つまり、あの怪物は、何かしらの生き物が年を経て変化したということになる。
「あれはなんの経立なんだろう」
「この羽が、元の生き物のヒントになるんじゃない?」
住職も含めて、小さな羽のかけらを皆でじっと眺める。すると楓が、顎をさすりながら言った。
「……もしかして、あいつは「蚊」なんでねぇか?」
「蚊ぁ?!」
「蚊ですか。ありえるかもしれませんな」
ピンとこないフィーナだが、住職は頷いている。
「この羽は昆虫の羽に見えます。空を飛び、血を吸う昆虫となると、「蚊」ぐらいしかいないかもしれません」
「んだべ? そう思うべ?」
「虫の経立というわけですか」
「ただでさえ鬱陶しい虫なのに、物の怪なんかになられちゃたまらないわね」
「でもこれで、あいつの正体が推理できたよ」
蚊──ありふれた虫。空を飛び、血を吸い、時には病気を媒介する、か弱いが恐ろしい虫だ。
「正体の見通しが立てば、対策も立てられましょう。一歩前進ですな」
「そう簡単にいくといいけど」
「物の怪とはそういうものですよ。よくわからないからこそ恐ろしいのです。逆に言えば、正体や名前を暴き、解き明かすことが、物の怪に立ち向かう方策なのです。そこに攻略のカギがあるはずです」
住職は、ゆっくりと、噛んで含めるようにして言った。
黒い怪物、朽葉に立ち向かうための作戦会議は、住職も交え、それからも続いた。
◆◆◆
翌日。4人は再び白神山地の遊歩道にやってきていた。
むろん、怪物へのリベンジをするためである。
「勝てるかしら、こんな簡単な作戦で」
「この作戦くらいしか思いつかないよ、これでいこう」
「
「この戦いの主役は楓さんです。ヤツは楓さんを気に入っているようですから。どうか気を付けて」
「ふふん、任しときへ」
しばらく歩くと、遊歩道に魔物や獣の死体が転がっているのが見える。昨日より数が増えていた。
「この先にいます。皆さんお気をつけて」
低い声で奈津が警告する。
「楓、危なくなったらすぐに逃げるのよ」
「
ニッと歯を見せて朗らかに楓は笑った。
やがて、怪物の姿が見えた。昨日のように不意打ちは仕掛けてこない。
怪物は、木の上で悠々と魔物の血を吸っていた。4人の姿には間違いなく気づいている。
「おォ、性懲りもなく、また来やがったな」
血を吸い終わった魔物を木からゴミのように投げ捨て、歌うように言う。
「おう、来てやった。リベンジってやつだ!」
楓は応じるように声を張り上げた。怪物は「ハハハッ」と笑い、翼を広げた。
「バカなヤツだなァ。なんべんやっても結果は同じだってのに。だがよく来てくれたな。鬼、お前の血は朽葉様の好みの味なんだ。今度こそ死ぬまで血を吸ってやるよ!!」
それが始まりの狼煙だった。怪物は猛スピードで楓に迫ってきた。
せめて少しでもダメージを与えてやろうと、フィーナと真冬が魔法を放ち、奈津が手裏剣を投げつけるが、向こうがあまりにも速すぎて全て避けられてしまう。
「いただきまァす!!」
楓の首を掴み、怪物は空中へ舞い上がる。
「また昨日と同じパターンだ!」
「追いかけるわよ。作戦失敗もありえるからね」
ほかの3人は、怪物を追って駆けだすのだった。
──白神山地の上空。猛烈なスピードで飛行しながら、怪物は楓の首にかぶりつく。風に乗って、鮮血が線を引いて宙に舞った。
「こんのぉ……!!」
「クックック、旨い旨い。鬼の血はまろやかだなァ。バカな奴だ、殺されるためにまた来たようなもんだ」
怪物は嗤った。すべてをあざ笑う、奈落の底のような笑顔だ。
「鬼よ。お前も、朽葉様と同じ物の怪だろ。本当にバカだな、人間なんぞに味方して。あいつらは物の怪のエサだ。ただの栄養源にすぎない。物好きな鬼だよなァ」
楓の血を舐めながら、怪物はそんなことを言う。
その言葉が、楓には我慢ならなかった。
「……
「違う? 違うだって? ハハハ、鬼のくせに笑わせるな。お前だってバケモノで怪物で物の怪じゃないか」
「そっちこそ笑わせんなッ!! 弘前の鬼は、人間の友達だッ!!」
拳を握りしめ、楓は怪物の脳天をしたたかに殴りつけた。その衝撃で、怪物の姿勢が揺らぐ。
「がッ?!」
「鬼に生まれついたら、人間をエサに
怒りに任せて楓は何度も何度も何度も怪物の頭を殴った。殴り続けた。
「フィーナも、真冬も、奈津も、みんな
「キサマ、ど、どこからそんな力が、ぐはッ」
怪物の飛行がふらつき、落下していく。
きりもみ回転しながら、楓は怪物もろとも重力にひかれて落下した。
そこは水場だった。どぶんと体全体が冷たい水につかる。楓が起き上がると、そこは滝のすぐそばだった。
──
楓は一歩踏み出す。だが、楓も血を吸われた影響か、うまく歩けない。
「ククク、生きのいい鬼だ。二度とヤンチャな真似ができないよう、きっちりトドメを差してやろう」
怪物はばしゃばしゃと水をかきわけて近づいてくる。
手の届く距離まで近づいた時、楓が不意に懐から切り札を取り出した。
スプレー型の、殺虫剤であった。
「?!」
「お前が掛け軸さ入ってる間、人間はいいものを発明してんだ」
それは、虫型の魔物にも作用するよう、成分を調整された最新型の薬剤だ。
楓は怪物の頭を掴むと、ノズルを怪物の口の中に突っ込み、一切の迷いなくトリガーを引いた。
「?!!!!!」
ぶしゅるるるると景気のいい音が鳴って、殺虫成分が怪物の口の中へ、体内へ、勢いよく浸透していった。
「ごぼッ、がぼォ、な、何をッ!!」
怪物は殺虫剤のボトルを払いのける。だが、もう立ち上がれない。足腰が定まらず、水辺に倒れこんでしまう。
「キサマァ、何をした!!」
「昨日のお返しだ!!」
楓は一歩、また一歩と距離を詰める。秋の色になった落ち葉が、風に吹かれて水に落ちていく。
水浸しになりながら、血の匂いを漂わせながら、楓は怪物の目の前に立った。手を伸ばせば届く距離だ。楓の「間合い」である。
「決着着けるべし!!」
荒い息をつきながら、怪物は楓を睨みつけた。
「──上等だ!! ブチ殺してやるよ、鬼ィ!!」
怪物がだしぬけに楓の右頬を殴りつけた。一瞬意識が飛びそうになるが、踏みとどまり、お返しとばかりに楓が怪物の脇腹を蹴り飛ばす。よろめく怪物に頭突きをし、さらに顔面を殴る。
鋭い痛みが体中に走る。血が糸を引く。暗門滝の目の前で、妖怪と妖怪が、互いを殺すつもりで暴力を振るいあう。
怪物のどす黒い右拳がパンチを放ってきた。楓は咄嗟にそれを受け止め、怪物の右腕をへし折った。ボキリという重い音が鳴る。
動揺した怪物の動きが止まった。それは楓にとって最大の好機だった。
「うらァァァァァァッ!!!!」
すかさず渾身の一発が、怪物の左頬に続けざまに叩き込まれた。
「が、あ、ァ」
ばしゃり、と怪物は水に倒れこむ。それきり、断末魔の声も発さないまま、怪物の姿は急速にしぼんでいった。
後には、暗門滝の水が流れる音が、ただ厳かに響き渡るだけであった。
「おーい、楓ーーー! 大丈夫ーーーー?!」
遠くからフィーナの声が聞こえた。真冬も、奈津も一緒になって駆けつけてきている。
「おう、片付いたじゃ」
「上手くいったのね。良かった」
真冬がほっと安堵の息を漏らす。
「あの怪物は? 死んだのですよね?」
「うん。これが、怪物の正体だ」
楓は水の中から小さいものを拾い上げた。
それは、体長5センチほどの、大きな蚊の死骸であった。
「ははぁ。やっぱり朽葉は、蚊が化けたものだったんだ」
「んだなぁ。いやあ、強い物の怪だったじゃ」
楓の体が力なく、へなへなとよろめく。それを慌ててフィーナが抱き留める。
「大丈夫?! って、また血が出てんじゃん!」
「あはは……鬼でもさすがにコレは
全身水浸しで、血まみれなのに、楓はからからと笑っている。
「しょうがないわね。ほら、回復ポーション使ってあげるから」
「おぉ、
「でも、すごいよ。作戦成功だ。今回は楓のお手柄だね」
それを聞いて、ふふんと楓は鼻を鳴らす。
「んだべ。
「よく言うわ、ボロボロの血まみれのくせに」
「まあまあ。楓がいなかったら勝てなかったよ。お疲れ様、楓」
仲間と歩きながら楓は思う。
──弘前の鬼は、人間の友達だ。これからもそんな自分であり続けよう。
──こんな風に、誰かに支えられながら歩くのは、なかなか嬉しいものだもの。
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