第34話 「竜飛岬」 夏の終わりとマンドラゴラ

「よし、それでは、諸君らをマンドラゴラ畑へと案内しよう」


 ピートは立ち上がる。だが、家の奥でかすかに、苦しそうな声が聞こえて来た。


 うめき声のような物音。咳払いも聞こえる。「いかんな」と呟き、ピートは早足で声の方へ向かう。


「少し待っていてくれ。すぐ戻る」


 そう言い残し、ピートはリビングから出て行ってしまった。


 仕方なく、フィーナ達はソファに座って待っていたが、なかなかピートは戻ってこない。


「様子見てくる」


 しびれを切らしたフィーナが席を立ち、ピートが向かったらしい廊下の向こうを覗いた。


 そこは寝室だった。


 一人の少女がベッドに横たわっていて、ヒューヒューと苦しそうな、か細い寝息を立てている。


「おっと、済まない、待たせてしまったかな」


 ピートはベッドの傍らで少女を看病していた。


「ピートさん、その子は……」

「うむ。私の子供のようなものだ」


 ばつが悪そうにピートは頭を掻いた。


 リビングに戻ると、ピートはゆっくりと説明してくれた。


「あの子はアリサという。私の子供だ。と言っても血はつながっていない。養子なんだ」

「そうだったんですか」

「親を魔物に殺された、孤児だ。私が引き取って面倒を見ている」

「アリサちゃんは病気なんですか?」


 奈津が聞くと、ピートは眼鏡をはずして遠い目をした。


「そうだ。魔物の毒にやられてね。タチの悪い毒で、高熱と全身の痺れに襲われるんだ。放っておくと死に至る」

「それじゃ、早くなんとかしないと」

「そうだ。私がブルーマンドラゴラを収穫したいのは、あの子を治したいためでもある」


 ピートは再び眼鏡をかける。穏やかな表情だったが、その瞳には確固たる意志が宿っている。


「私は、くだらないことでアリサと喧嘩してしまってな。アリサが薬の調合をなかなか覚えられないのを注意したら、口論になってしまった。それでアリサが家を飛び出したんだ。……それで運悪く魔物に襲われた」

「そうだったんですか……」

「この子の育ての親として恥ずかしいよ。後悔している。でも、喧嘩別れのまま永遠にお別れするなんて嫌だからね」


 アリサは苦しそうに息をつきながら、「父さん」と短く言う。そこから言葉は続かず、また深い眠りの中に戻ってしまった。


 ピートはフィーナ達に頭を下げた。


「頼む。ブルーマンドラゴラの収穫には人手がいる。力を貸してほしい」


 その頼みに真っ先に応えたのは、奈津だった。


「もちろんです。すぐに取り掛かりましょう」


 迷いのない返事だった。


「僕にも気持ちは分かります。喧嘩をしたまま家族と別れると……それがずっと心に残り続けるんです。残響みたいに、思い出が、心と体に響き続けるんです」


 奈津は立ち上がる。そしてはっきりと宣言する。


「治しましょう。アリサちゃんを」



◆◆◆



 ピートの家から少し離れた場所に、マンドラゴラの畑はあった。傍から見ると普通の畑にしか見えない。地面に植わった緑の葉が竜飛の風に吹かれ、たなびいている。


「あの中にブルーマンドラゴラがある。ただし気を付けてもらいたい。マンドラゴラは言わば意志ある植物だ。収穫の際、必死に抵抗してくる」

「抵抗って……?」

「収穫されると分かると、地面から這い出てきて、こちらを殴りつけてくる。逃げ出す個体も出てくる。だからマンドラゴラ収穫は骨が折れるんだ」


 100メートルほど離れた場所まで近寄ると、マンドラゴラ達はざわりと動き出す。もこもこと地面から姿を現すのはマンドラゴラの本体だ。


 植物で言う、「根」がマンドラゴラの本体だ。それは人の形をしていて、二足歩行を行う。気味の悪い叫び声をあげ、辺りを走り回る。


「動き始めてるじゃない!」

「今年のマンドラゴラは勘がいいようだ。我々が「収穫者」であることを察知している」

「やっちゃっていいですよね、ピートさん!」

「ああ、頼む!」


 フィーナが息を吸い込み、爆破魔法を放つ。


「ボルケーノ・ブラストーッ!!」


 ボウン、と畑に爆風が舞う。それを合図にして、マンドラゴラが一斉に散った。想像以上に彼らの脚は早かった。


「うわっ! こいつら脚が速いっ!!」


 甲高い叫び声をあげ、マンドラゴラは散り散りになる。向かってくるもの、逃げるもの、様々だ。


「結構な数がこっちに来るわよ!」

「ひええ、結構気味悪いなぁ!」

「──ブルーマンドラゴラは逃げていくようです。僕が追います!!」


 奈津の「ホークアイ」は、正確にすべてのマンドラゴラを視ていた。


 やってくるマンドラゴラ達を器用に避けながら、奈津は走る。


 ゴオオ、ゴオオと海風が奈津の髪を揺らす。遮るもののない竜飛岬はまさしく吹きさらしだ。


 奈津は全力で走った。じりじりとブルーマンドラゴラとの距離が詰まる。詰まっていく。


(──ピートさんは、僕と同じだ。たった一人の家族と喧嘩したことを悔いている。なら、僕がやらないと。僕みたいな人を増やさないためにも)


 足を動かしながら、風に吹かれながら、奈津はそんなことを思った。


(父さんのことは助けられなかったけど。でもこんな僕でも、目の前の命を助けるくらいはできると思う。それが僕の役目なんだと思う。忍者であり、冒険者でもある僕の、やるべきことはきっとそれなんだ)


 風向きが変わり、奈津の背中を押すような、「追い風」が吹いた。ブルーマンドラゴラは強風にあおられ、バランスを崩した。


「今だ!」


 奈津は懐から手裏剣を取り出し、動きの止まったブルーマンドラゴラに投擲する。


 手裏剣はまっすぐに跳び、マンドラゴラの頭頂部の葉を切り裂いた。


「ギャッ……」


 断末魔の悲鳴を上げ、ブルーマンドラゴラは倒れ、動かなくなった。


「ふう」


 ゴオオ、ゴオオという風が、強く、竜飛岬に吹いている。


 追い風のような、向かい風のような、そんな海風を体全身に感じながら、奈津はブルーマンドラゴラを回収した。


 奈津からブルーマンドラゴラを受け取ったピートは、深々と頭を下げて「ありがとう。助かった」と礼を述べた。


 ブルー以外のマンドラゴラもフィーナ達が無力化に成功していた。


「いやー、マンドラゴラの声ってほんと気色悪いね。しばらく聞きたくないや」

「みんな、お疲れ様。特に奈津、お手柄だったわね」

「ありがとうございます。光栄です」


 そうして、ピートの依頼を無事に終えることができたのだった。



◆◆◆



 マンドラゴラはピートの手により、丁寧にみじん切りされ、スープにされた。解毒にはこうして調理するのが一番効くのだそうだ。


 ピートはマンドラゴラのスープをアリサに飲ませた。土気色になったアリサの顔色は、心なしか落ち着いたように見える。


「これで一安心だ」


 ほう、と息を吐いたピートはふっくらと笑った。


「アリサちゃん、元気になりそうですか?」

「うむ。おかげさまでな」

がったのぉ。竜飛まで来た甲斐あったじゃ」


 ピートはフィーナ達4人の手を取り、丁寧に頭を下げて礼を述べた。


「本当に助かった。君らのおかげだ」

「いやあ、あはは。今回は奈津のお手柄だね!」

「私ですか」

「そうね。ブルーマンドラゴラを倒したのは奈津だもの」


 ピートの、そして仲間の笑顔を見ると、奈津の胸の奥がじんと熱くなった。


 奈津には家族はいない。蘇らせることも、取り戻すこともできない。だが、目の前の家族を助けることはできたのだ。それが無性に嬉しかった。


「……光栄です」


 恥ずかしそうにはにかみながら、奈津は小声でそう返した。


「おお、そうだ。そういえば、いいものがある。皆にも分けてあげよう」


 ピートは部屋の奥の棚から何かを取り出してきた。それは箱に入ったお菓子だった。


「これは?」

「うばたま、というお菓子だ。少し離れた所に菓子店があってね。そこで売っているんだよ」

「へええ、なんだかかわいいですねえ」


 真っ白な牛皮に包まれた、手のひらサイズの可愛い和菓子だ。砂糖らしき細かい粉がまぶされている。


「遠慮せずに食べたまえ。今、お茶を淹れよう。それとも和菓子は苦手だったかな」

「いえ、そんなことはありません。いただきます」


 4人は一斉にうばたまを口に入れる。ふわふわの生地の中にはこし餡が詰め込まれていた。ほどよい甘さが口の中に広がっていった。


ぇなぁ~! むふふ」

「本当ね、おいしい。いくらでもいけそう」

「……美味ですね」


 甘味に舌鼓を打っていると、奥のドアが開いた。見ると、アリサがよたよたと部屋に入ってきていた。


「あ、アリサ! どうした、寝ていないとダメじゃないか!」


 わたわたとピートが駆け寄る。アリサは寝ぼけまなこで辺りをきょろきょろと見回していた。


「う、ん……目が覚めちゃって……」


 アリサの顔色はだいぶ良くなっている。ブルーマンドラゴラの効き目はてきめんだったようだ。だが目はまだ虚ろで、ろれつが回っていない。


「まだ寝ていないとダメだろう。さ、戻りなさい」

「……その人たちは? おきゃくさん?」


 フィーナ達とピートを交互の見つめ、アリサは尋ねる。


「そうだ。アリサの体を治すために協力してくれた冒険者さんたちだ」

「ぼうけんしゃさん……」


 アリサはフィーナ達の顔をじっと見つめ、ぺこっと頭を下げる。


「あの、ぼうけんしゃさん。ありがとうございました」

「あはは、いいのいいの全然。それよりアリサちゃん、ちゃんと寝ていないとダメだよ!」

「んだ。寝ねぇと治らねェよ」


 丁寧に礼を言うアリサの姿に、奈津の頬が思わず緩む。


「アリサさん。ピートさんと仲良くしてくださいね」


 思わず、奈津はそう声をかけていた。アリサはこくんと頷いた。


 ピートはアリサを寝室に連れていき、すぐにリビングへ戻って来る。「ふう」とため息をついていた。


「元気になったのはいいが、好奇心旺盛な子でな」

「子供は好奇心旺盛なものです。アリサさんはきっと素敵なレディになりますよ」

「フフ。だといいがな」

「ちゃんとお礼を言える子供は、素敵な大人になると思います」


 微笑と共に、奈津はそう言った。


 窓の外からは、夏の終わりの竜飛岬が見える。混じりけのない青空が広がっている。風と波の音だけが、どこまでもこだましていた。

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