第32話 「竜飛岬」 岬の老獣人

 奈津は、父と味覚が合わなかった。


 例えば奈津は椎茸が好物なのだが父はキノコ類が大の苦手だった。好みまでは遺伝しなかったのだろう。


 ある時、奈津が夕食を作って出したら、父から文句を言われたことがあった。


「おい、何で椎茸が入ってるんだ。抜いてくれ」

「あ、ホントだ。父さんの分まで入っちゃったね」

「俺がキノコ嫌いだって知ってるだろう。全く、気が利かんな」

「何だよ、細かいことでブツブツ言わないでよ」

「細かいとは何だ」


 些細な喧嘩が始まってしまった。よくあることだ。だがその時の喧嘩は少し長引いて、翌日の朝になってもお互いにむっつりと無言のままだった。


 微妙に喧嘩が続いている状態のまま、奈津は仕事に出かけた。


 そして家に帰ると──帰るべき家はもうなかった。家は土砂崩れに巻き込まれ、父は帰らぬ人になっていた。


 奈津は、父と喧嘩をしたまま別れることになったのである。



◆◆◆



 冒険者ギルド──集合時間より早く来た奈津は、ふと父のことを思い出す。


(あの時、ちょっと言い過ぎたかな……)


 後悔のような、未練のような、そんな思いが胸をよぎる。すると、背後から肩をトントンと叩かれた。 


「あら、奈津。どうしたのよ?」

「うわぁ?!」


 後ろを振り向くと、いつのまにかパーティが勢ぞろいしていた。


「み、皆さんお揃いで……」

「今来たところだよー。っていうか何やってたの?」

「い、いや、その、何もしてませんよ」

「ずいぶんボーっとしてらな?」

「い、いえ何でもありません。行きましょうか」


 奈津は無理やり大声を出し、ギルドの受付へ向かうのだった。



◆◆◆



「こんにちわ、「ブルー」の皆さん。実はですね、皆さんをご指名の方がいらっしゃるのですよー」

「指名ですと?!」


 フィーナは思わず声を上げてしまう。


 依頼人が、パーティを指名することはたまにある。そのパーティが信頼されている証だ。フィーナ達の名が売れて来たという証でもある。


「いやー、あはは。これは嬉しいね。どんな依頼なんです?」

「はい。竜飛岬にお住まいの方から、魔物の討伐依頼が」

「竜飛か……なかなかに遠いわね」

「遠いんだ。どれくらい遠いの?」

「ここからだと車で2時間半ってところかしら」

「2時間半……!! 遠いねぇ!」


 だが、わざわざ指名してくれているのだ。助けを求めている人がいる。これは受けるしかあるまい、とフィーナはやる気が出て来た。


「ちなみに、依頼人の名前を確認していい?」

「はい。えーっと依頼人は……ピート・カッカースア、という男性ですね」

「ん? なんか聞いたことありますねそれ」


 フィーナには聞き覚えはない。うーん、としばらく考えたのち、「あ」と奈津は声を上げた。


「真冬さん、あの人ですよ、あの人!」

「え、何? どの人?」

「ヨルムンガンドを倒す方法が、『魔物見聞録』という本に書いてありましたよね。その作者の名前ですよ!」

「…………ああ! そういえば!!」


 真冬の顔に理解の色が広がる。


「驚きね。その人、竜飛に住んでるのね。すごい偶然」

「わはは、とんだ偶然だじゃ。せばだばそれじゃあ、本を書いてくれたお礼、言いに行かねばなぁ!」

「ホントだね。それじゃ、依頼受けよう!」


 そんな風にして、次の仕事は竜飛へ向かうこととなったのであった。



◆◆◆



 軽ワゴンは青森市を発ち、北西へ向かう。ひたすらに海沿いの道路を走るのは何とも気持ちのいいものだった。心なしか、車の中にも磯の香りが漂ってくる気すらしてくる。


「竜飛って、どんな場所なんだろ」

「青森の北西……端っこね。津軽海峡に突き出た岬よ」

「へぇぇ。岬かぁ。景色は良さそうだね」


 目的地までは分岐もなく、ひたすらまっすぐに進むだけだ。


 青森市から車で2時間半ほど。その道のりはなかなかに長い。日光に照らされた海がきらきらと輝いている。


 フィーナが道端に目をやると、狸か、イタチか、よくわからない獣の遺体が転がっていた。


「うひゃっ、な、なんか動物が死んでたよ」

「ああ……車に撥ねられた動物でしょうね。青森だもの。今の季節、それくらい普通よ」

「そ、そういうもん?」

「動物の遺体があるのはありふれた光景ですよ。青森市では見る機会はあまりないかもしれませんがね」


 市街地から離れる、というのはこういうことなのだとフィーナは改めて思う。


 景色は次第に、民家や船が立ち並ぶ港町へと変わっていった。


 やがて、「義経海浜公園」と書かれた大きな看板が見えて来た。


「1000年ほど昔、このあたりに、源義経という侍が逃げてきた……という逸話が残っているんです」


 解説してくれるのは奈津だ。


「あ、それちょっと聞いたことあるかも。太宰治の『津軽』にも書いてあった気がする!」

「よくご存じですね、フィーナさん。まさにそれです。義経はここからさらに北に渡って逃げたと、まことしやかに語られているんですよ。……まあ、個人的には、そんなのあるわけないだろと思っているんですけど」


 苦笑しながら奈津は続ける。


「死んでしまった悲劇の英雄が、生き延びていてほしい。そんな心理から作られた作り話。と、僕は思ってます。ここらへんの人はそれを固く信じ、公園まで作ってしまったわけですが」

「でもちょっとわかる気がするなぁ。死んじゃった人が、どっかで生きてるんじゃないかって……そう思う気持ちは、あたしもわかるよ」

「……そうですね」


 車は公園を通り過ぎ、急な上り坂へ至る。あまりに急な坂で、背中がシートに押し付けられるくらいだ。その坂が終わり、道路が平らに戻ってしばらくすると、依頼人の家がぽつんとあった。


 立派な一軒家である。海が一望できる場所だ。景色的には最高の立地だ。


 車を降りると強い風が吹きつけて来た。遮るもののない岬は、海風がダイレクトにやってくる。目の前には崖があり、海がある。津軽海峡である。波がはじける音が聞こえてきた。


「うおー、すごいね! うひゃー、風がすごい!」

「竜飛だもの、風は吹くでしょうよ」

「ねぇ! 何かある! 何だべ、これ?」


 楓が見つけたのは、石でできた大きな碑だった。


「何だろうね、これ。何か、詩みたいなのが書いてあるよ」

「あ、これは」


 気づいた奈津が苦笑する。


「『津軽海峡冬景色』ですね」

「え?」

「この目の前に見える海は津軽海峡といって、それを歌った歌があるんです。このボタンを押すと歌が流れるみたいですよ」


 言われて見て見ると、確かに石にはボタンがついている。書いてある文字は、歌の歌詞ということだろう。


「なんか、あたしも曲名は聞いたことある気がする」

「よし! 押してみるべし」


 迷わず、楓はボタンを押した。


 その瞬間、大音量で『津軽海峡冬景色』が流れ出した。


 想像以上に大きな音だった。夏の盛りを過ぎた竜飛岬に、切なく儚げな歌声が響き渡った。


「あっ、これあたし聞いたことある!!」

「ほんと? この歌も有名になったものね」


 テレビで何回かこの歌が流れ、妙に耳に残る歌であったため、フィーナもこの曲に聞き覚えがあったのだ。


「ははあ……良い歌っこだのぉ。沁みるのぉ」


 楓も頷きながら聴いている。


 結局、フィーナ達は終わりまで聴き終えてしまった。竜飛岬にぴったりな曲だとフィーナは思う。冬の歌だが、いつ聞いてもいい曲だ。胸に迫る力強い曲だ。


 すると、後ろから声をかけられる。


「おお、もしや、私が依頼した冒険者かね?」


 振り向くと、そこには年老いた獣人が立っていた。


 白い毛を持つ、狼型の獣人だった。口元は髭で覆われている。杖を突き、声はしわがれているが、その瞳は健朗そのものだ。


「あっ、そうです! 私たち、「ブルー」です」

「そうかそうか。依頼人のピート・カッカースアだ。よろしく」


 ピートは優しく微笑んだ。


「それで、魔物を退治してほしいということでしたけど」

「うむ、そうなのだ」


 神妙な顔でピートは頷く。


「正確に言うと、退治というのは違うかもしれない。魔物を……そう、収穫すると言ったほうがいい」

「収穫……?」

「詳しいことは中で話そう。上がってくれ。お茶でも入れよう」


 老獣人に手招きされ、4人は家へ入るのだった。

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