第31話 青森で一番熱い夏

 腹に響く──まずフィーナはそう思った。


 ドン、ドドン、ドンドン──ドン、ドドン、ドンドン──一定のリズムで刻まれる太鼓の音色は、フィーナの体内まで震わせるのではないかと思うほど大きい音だ。


 それに合わせ、車道にいる人が歩きながら笛を吹き、平たい楽器を鳴らした。フィーナが奈津に尋ねたところ、平たいものは「手振り鉦てぶりがね」という楽器とのことだった。金属の円盤状のもので、両手で打ち鳴らすことにより、シャンシャランという軽快な音を奏でていた。


 それに合わせ、楽器を持たない者が跳ね始めた。頭に笠をかぶった、お洒落な着物姿の人たちだ。右に二回、左に二回、軽快にジャンプしている。


「ジャンプしてる人がいるよ! なんか楽しそう!」

「あれは跳人はねとっていうのよ」


 思わずフィーナの体も動いてしまう。


 それだけではない。太鼓にも、笛にも、手振り鉦てぶりがねにも負けないボリュームで、祭の掛け声が響き渡った。


「ラッセーラー、ラッセェーラー!!」

「ラッセーラッセーラッセーラーッ!!!」


 車道にいる皆が叫んでいた。想像よりずっと力強い声だった。こんなに声を出したら翌日喉がガラガラじゃないかと思うほどだ。でもきっとこれでいいのだ。これがねぶたなのだ。この一連の音と声とメロディーが「ねぶた囃子」なのだ。


 そうしているうち、車道の向こうから、キラキラ光るおおきなモノがやってきた。


「来た!!」


 何メートルもある、紙と針金によってつくられた、巨大な人形。数人の曳き手ひきてにより、リヤカーの要領で運ばれるそれこそ、「ねぶた」と呼ばれるものであった。


「すっげーーーー!!」


 フィーナは思わず叫んでいた。楓も目を輝かせ、一心にその巨大さに目を見張っている。


 スマホを取り出し、フィーナは何枚も写真を撮った。撮らざるを得なかった。体が勝手に動いていた。


 それは、大きな武者をかたどったものだった。侍が、怪物と戦っている様子をあらわしたねぶただ。すげえ、カッコいい、とシンプルな言葉しか出てこない。


 何台も何台もやってくるねぶたは、いずれも勇猛な英雄の姿だった。


 ねぶたはただルートを進むだけではなく、時にぐるりと一回転し、あるいは道路にいる見物客にぐっと近づいてくることもあった。一台のねぶたが接近してきたとき、フィーナは思わず悲鳴を上げた。


「ちょっ! ぶつかる! こっちにぶつかるって!!」

「うるさいわねぇ、大丈夫よ」

「フィーナさん、怖がらなくても平気ですから」

「だってすごい迫力なんだもん」


 辺りはすでに真っ暗だった。だが、ねぶたがともしびとなり、辺りを煌々と照らしている。


 気づくと、いつの間にか、車道ギリギリに子供たちが集まっていた。子供たちは「鈴ちょうだーーーい!!」と跳人に向けて叫んでいる。


 すると、跳人達がポイポイと何か投げて来た。


「うわっなんか飛んできた!」

「鈴ですよ、鈴」

「なんで鈴を?!」

「跳人が体に付けてる鈴です。あれを拾うと幸運がやってくるって言われてるんです」


 子供たちは喜んで鈴を拾っている。よくよく観察すると、道路の脇に、コロコロと転がってくる鈴すらあった。跳人の着物からちぎれたものなのだろう。


 すると楓がニヤリと立ち上がり、大声で叫んだ。


「鈴ちょうだーーーーーい!!」

「楓! 子供かあんたは!」

「だって! ぁも鈴欲しい!」


 すると、また鈴がポイポイと投げられた。楓はハンターのように道路へ落下した鈴を拾い集めている。


 数分すると、楓は満面の笑みで戻って来た。両手いっぱいに鈴を持っている。


「しょうがない鬼だなぁ、ほんとに」

「えっへっへ。鈴ゲットだ」


 フィーナは何枚も写真を撮った。真冬も撮り、奈津も楓も撮った。「後でみんなに送るね!」と言い、猛然と撮りまくった。


 跳人を観察していると、いろいろな者がいて面白かった。見事なジャンプを繰り返す者もいれば、普通に歩いている者もいる。真冬に聞いてみると、「そりゃそうよ、ずっと跳ねてると疲れる人も出てくるでしょ」と答えが返って来た。


 しばらくすると、妙な格好の人が混じるようになった。顔を白く塗った者や、お面をかぶった者。ひょうきんな動きをしている奇妙な人だ。


「奈津、あれは何?」

「あれは化人ばけとですね。ああいう、仮装した人もいるんですよ。ねぶたには」

「わいぃ、驚いたじゃ。てっきりぁの仲間かと思った」


 一番ユニークだったのが、ガスボンベの仮装をした者だ。ガス会社の人がやっているらしい。両手をボンベの中に引っ込め、グルグル全身を回転させている。観客からは拍手が起こっている。


「うお、すごいよ。回ってるよ」

「毎年いるのよね、アレ。すごいわよね」


 その光景を見ていると、真夏の暑さも、人生の苦しみのようなものも、何だかどこかへ吹っ飛んでいくような気分がした。


 数えきれない写真を撮り、数えきれないくらい声を上げ、気づくと、ねぶた囃子のメロディが変わっていた。どこか切なげな音色だった。


「もう終わりね」

「あ……なんかメロディが変わったと思った。これが終了の合図?」

「ねぶたが終わる時には、囃子のしかたが変わるんです。「戻り」という囃子ですよ」


 祭りの終わり。


 ああ、終わっちゃうんだ──と思うと少しだけ悲しかったが、フィーナの心は満足で満たされていた。


「いいお祭りだったね」

「そうね。みんなで来れて良かったわ」

んだっきゃだよね。鈴もたげいっぱい拾えたし、ぁは満足だ」

「僕も久々に参加できて楽しかったです。やっぱりねぶたはいいですね」


 周囲の見物客の何割かは、帰り支度を始めている。


「行こうか、私たちも」


 フィーナ達は立ち上がった。気づくと、どっと疲れていた。だが心地のいい疲れだった。


「また来年も来よう! みんな!」

「その様子だと満足できたみたいね」

「もちろん! 来年は跳ねる側に回ってみたい!」


 帰り道を歩きながら、フィーナの心はまだ高鳴っていた。


 良かった、良いお祭りだった──。


 そんな、キラキラした嬉しさと満足感で、フィーナの心はいっぱいになっていたのだった。

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