第23話 バラ焼きと満月

 結界の中に閉じ込められていた人は、大いに無事を喜び、家族と連絡を取りあった。


「いやあ、本当に助かった。ありがとうなあ」

「お嬢ちゃんたち、強いのねぇ」

「ホントありがとうな! 嬢ちゃんたち、命の恩人だ!」

「建物は壊れたけどよ、命が助かって良かった! なーに、建物はまた建てりゃいいんだ」


 そんな風に口々に言ってくれる。


 一斉に感謝されると、フィーナは胸の奥がむずむずしてたまらなかった。恥ずかしいではなく、照れくさいでもない。嬉しさで、むずむずとしてしまう。


「皆さんが無事で、良かったです。いやほんとに!」


 フィーナはそんな風にして、一人一人に声をかけた。


 十和田湖には、事件を聞いて駆けつけて来た周囲の住民が集まってきた。すると、そのうちの一人の男が一部始終を聞いて感激し、フィーナ達にこう言って来た。


「あんたら、よくやってくれたな! 十和田の救世主だ!」

「いやいや、そんな、大げさですって」

「気に入った。あんたら4人、ウチに来い。俺は食堂を経営してんだ。今日の夕飯、おごってやる」


 いやあそんな、とフィーナは断ろうとしたが、男は「いやいや食ってけ、ウチで飯食ってけ」と聞かない。


「いいじゃない、フィーナ。せっかくだからご厄介になりましょ。お腹も減って来たことだし」

「わーい、夕飯代が浮くじゃあ! 行くべし!」


 そう言われると、フィーナも何だか空腹になってきた。戦いが終わり、ほっとしたのか、ぐうぐうと腹の虫が鳴り始める。


 それなら──と、フィーナは男の提案に甘えることにしたのだった。



◆◆◆



 男は、小笠原おがさわらと名乗った。十和田湖から少し離れた場所にある、食堂の店主だ。


 店は小さく、町の食堂という趣がある。


「すみません、小笠原さん。ごちそうになります」

「なに、あの湖にはウチの親戚も閉じ込められてたんだ。あんたらは恩人なんだよ。さあ、何でも好きなモン食ってってくれよ」

「ふむ……おすすめのメニューは何でしょう?」

「おすすめ? そうさな、ここのおすすめはバラ焼き定食だな」

「バラ焼き……?」


 フィーナは首をかしげる。確かにメニュー表には大きな手書きの文字でバラ焼き定食とある。初めて聞く言葉だった。


「バラ焼きってのは、牛のバラ肉と刻み玉ねぎをあえた炒め料理よ。十和田で有名な料理なのよ」

「へぇぇ、そうなんだ。美味しい?」

「そりゃもう、絶品よ」

「うわー、食べたい! ねえ、みんなもバラ焼きでいいかな?」


 異論は出なかった。それで、注文はバラ焼き定食と決まった。小笠原は「バラ焼き4人前ね、あいよぉ」と景気のいい声で厨房へと引っ込んでいった。


 壁際に据え付けられた小さなTVからは、相撲中継が流れている。店内には地元のライブやイベントのポスターが貼られている。昔ながらの食堂だ。ずっと前から、変わらずこの佇まいなのだろう。


「なんかいいね、こういうの」

「は? 何がよ?」

「いや、なんていうか……こういう風に、助けた側の人から、お礼をしてもらうって、何だか素敵だなって思ってさ」

「まあ、そうね。そういえばフィーナ、あんたお礼を言われてた時も、ヘラヘラ笑ってたわね」

「何だよヘラヘラって! 真冬がクールすぎるんですぅー!」


 そんな風に言い合っているうち、バラ焼き定食がやってきた。


 白いご飯に味噌汁。きゅうりの漬物。そして、広い皿に盛りつけられたバラ焼き。小さな器には肉に付ける用の生卵がある。実においしそうな匂いを放っている。


「さあ、冷めないうちに食えよ。俺のおごりだ」

「ありがとうございます! いただきますー!」


 バラ焼きを一口ほおばる。肉の旨味、玉ねぎの甘味。生卵のまろやかな風味。そして甘辛いタレが口の中で溶け、体中に美味しさが広がっていくようだ。


「おいしい! おいしーい!」


 美味しすぎて、フィーナは足がバタバタ動いてしまう。真冬が絶品と言った理由もわかった。これは絶品だ。


「十和田にはあちこちにバラ焼きの店があるのよ。ここの店もいいわね、タレがいい味出してる」

「はぁー、ぇじゃぁ! バラ焼きってぁも初めて食べたけど、気に入った!」

「ほっとする味ですね。これはいい」


 皆、いちように笑顔になっている。フィーナは箸が止まらなかった。バラ焼き。白米。バラ焼き。白米。肉と米のハーモニーだった。


「もぐもぐ……うーむ、こりゃ旨すぎるね。もぐもぐ。青森に来ていいことの一つは、おいしいものがいっぱいあるってことだねぇ。もぐもぐ」

「食べるか話すかどっちかにしなさいっつうの」

「ごめんごめん。もぐもぐ……」


 あっという間に4人はバラ焼き定食を食べつくした。店主の小笠原は笑顔で「旨そうに食う嬢ちゃんたちで良かったよ」と言ってくれた。


「それにしてもズルいなぁ。真冬とか奈津は、子供の頃から青森にいたわけでしょ? こんなイイものを幼いころから楽しめたなんてなぁ」

「……そうね。私も子供の頃、一回だけ、親に連れられてバラ焼きを食べたことがあったっけ」

「へえ?」


 家族で食べるバラ焼き。それはさぞ楽しいだろうな、とフィーナは思う。


「いいですね、それは。きっと楽しかったでしょうね」

「さあ……どうかしらね」


 奈津の言葉に、真冬は遠い目で答える。


「私とあまり意見が合わない親だったからね」


 真冬は多くを語らなかった。その瞳は窓の外を見つめていた。



◆◆◆



 食事を終え、店主に礼を言うと、「いやありがとうはこっちだぜ」と逆に礼を言われた。


「十和田湖を守ってくれてありがとうなぁ。感謝してるぜ。なんかあったらまた頼むぜ」


 店主は皆と握手し、笑顔で見送ってくれた。


 帰り道はすっかり夜道だ。空には煌々とした満月が見える。行きの時は自然いっぱいな道だと思ったが、帰り道は町明かりのない暗い山道だ。


「それじゃ、帰るわよ」

「うん、運転よろしく」


 軽ワゴンはエンジン音を轟かせ、青森市に戻るため出発した。


 ──良かった。フィーナは心からそう思う。


 ククリに決着を着けられたことも。そして、力ない人々を救えたことも。


 青龍から信頼してもらえたことも。救った人から「ありがとう」をもらったことも。すべてが良かったのだ。


「十和田に来たらさ、また4人でバラ焼き食べようよ!」

「あら、何? ハマったわけ?」

「そりゃもちろん! ハマるに決まってるさ! だっておいしかったし!」

「確かにがったなぁ」

「ええ。また来たいですね」


 満月が照らす山道を走る軽ワゴンの中で、4人はそんな風に言い合うのだった。

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