第20話 「十和田湖」 ラドン攻略作戦

 ククリ・サナトは、十和田湖の岸にテントを張り、折り畳み椅子に座って、ゆっくりとコーヒーを飲んでいた。


「生き残ったのはラドンか。だと思った」


 湖を泳ぐ大きな龍を見てつぶやく。


「私が用意したほかのドラゴンをすべて食い切ったからな。さぞ満腹だろ。あとは、この湖の主である青龍を食えばOKだ」


 ククリが行おうとしている儀式。それは、ドラゴン同士を食らい合わせ、美しさと凶暴さを兼ねた龍を作り出すものだ。


 ククリの心の奥底にある、とある「欲」。今回の事件は、それに端を発している。ククリはある欲望を満たそうとしているにすぎないのだ。


 コーヒーの傍らには、小さな手帳があり、細かな文字で日記が記されていた。


 シャープペンシルで、その日あったことを記さずにはいられない。それがククリの性分だった。豆粒のように小さな文字で、病的なまでに手帳は埋め尽くされている。


 最近は文字だけではなく、イラストも描かれるようになった。もっぱら龍のイラストだ。


「ずっと昔からこの湖を守ってきた龍。そいつが不可欠だ。そいつを食らえばラドンの「格」が上がる。ただの怪物ではない、神格のようなものが得られるはずだ」


 コーヒーを飲み干し、ククリは辺りを見回す。


「青龍は森に逃げ込んだか。このまま待つのも面倒だ。そろそろ、しらみつぶしに探させるとするか」



◆◆◆



 森の中は涼しく、湿気が少ない。木々に囲まれた場所は、フィーナにとっても居心地が良かった。


 フィーナ達は、奈津の帰還を待ちながら、森の中でぽつぽつととりとめのない話をしていた。


「それにしても、湖に神様がいるなんてびっくりだよ」

「ふっふっふ。そうじゃろう、そうじゃろう」


 得意げに青龍は笑った。


「昔はこの辺りにも、当たり前のように神やら物の怪やらがいたんじゃよ。だが今じゃ神なんてものはいなくなってしまった。東にいる櫛引の八幡神も、西にいる高山稲荷の奴も、もうすっかり姿を消してしもうてな。寂しいもんじゃ」

「何で青龍さんは生き残れたんです?」

「わしにも分からん。十和田湖には霊力がまだ少し残っておるのかもしれん。この湖は昔は神聖な場所でな。山伏が集まる霊地だったんじゃ。湖に魚などおらんかったし、道も整備されとらんかったし、女も立ち入り禁止だったぐらいじゃ」

「そうだったんですか? ぜんぜん想像できないや」

「じゃろうな。時代が下るうち、湖には人工的に魚が放たれ、観光地となった。十和田湖は姿を変えた」


 青龍は小さく笑った。寂しそうな、だがどこか嬉しそうな笑顔だった。


「じゃが、仕方あるまい。時代が変われば人も変わるし、神も変わる。そして今では青森は異世界と一体化しておる。土地が移ろいゆくのは当たり前のことであろうよ」

「……青龍さん。もしかして、この世から神様がいなくなったのは、人間が神様を必要としなくなったってことですか?」


 フィーナが尋ねると、青龍は頷く。


「そうじゃな。人は何かを崇拝せずともよくなった。じゃから、わしもこのような、幼子の姿でしか動き回れん」

「そう……だったんですね」

「まァ仕方あるまいよ。邪龍におとしめられるよりはマシじゃ」


 呵々かかと青龍は笑い、寝そべる楓に話しかける。


「それにしてもあれじゃな、まさか津軽の鬼の生き残りがいるとはな。とっくに絶滅しとるかと思った」

「津軽の鬼はしぶてぇんだ。簡単に滅びるわけねぇべな」

「ふふん、違いないな。……お岩木岩木山の様子はどうじゃ?」

「お岩木も、異世界と一体化してまってる」

「そうか……」


 青龍は目をつぶる。


「何もかも、変わっていくものじゃな」


 そこへ、奈津が帰って来た。足取りは軽い。


「お、奈津!」

「ただいま帰還しました。いろいろと分かったことがあります」


 寝そべっていた楓も起きてくる。


「どうだったんず?」

「この結界を作り出している装置のようなものを見つけました。十和田湖の南側に、乙女の像という像があるんですが、そこの近くです。ですが、魔物に守られてます。それをどうにかしないと装置はブチ壊せないですね」

「ふむ……」

「それから。ククリ・サナトらしき人物も目視できました」

「ほんとっ?!」


 フィーナが思わず身を乗り出す。


「ええ。十和田湖の西側、岸部になっているところを拠点にしているようです。テントを張って生活してるようですよ」

「あんにゃろう、キャンプ気分か」

「どうするべな。結界の装置を壊すんだば、ラドンも反応するかもしれねぇしな」


 フィーナは考える。ラドンを抑えつつ、結界装置を壊すとなると、二手に分かれるしかない。


「なら、チームを分ける?」

「私もそれを考えたわ。結界破壊班と、ラドン班に分かれるの。ラドン班は、結界班のところにラドンが行かないようにオトリになる。結界が壊れたら、ラドンを倒してしまえばいい」

「人員分けじゃな? よし、ならばわしはラドン側に加わろう。ラドンはわしを食いたがっているからのう」


 青龍が口をはさむと、楓がからかった。


「食われないでけぇよ。青龍?」

「ぬかせ。そっちこそしくじるなよ。楓、おぬしは何だか抜けてそうじゃからのう」

「何をー!」

「口喧嘩しないの。それじゃ、人員を分けるわよ」


 話し合いの結果、結界の破壊には春一と楓。ラドンのオトリはフィーナと真冬と青龍が担当することになった。


「結界を守る魔物は、見た所トロールタイプが5~6体。楓さんの腕力なら十分対処できると思います」

「気を付けてね、2人とも」

「そっちこそ気を付けてください。楓じゃないですけど、ラドンに食われないように。結界装置を破壊できたらスマホで連絡します」


 段取りはスピーディーに決まっていった。森に逃げ込んだ人々は、さらに奥に移動してもらうことになった。


「こんなことくらいしか言えなくてすまないが、頑張ってくれ。十和田湖をまた平和にしてくれよ」


 そんな風に励ましの言葉をフィーナたちにかけながら、十和田の一般市民は森の奥へ去っていった。


「それじゃあたしらも行くとしようか」

「行きましょう」

「行くべ、行くべ」

「各自、手元足元をしっかりしてよね。変な失敗をしないように」

「……ふふん。十和田湖の、怪物退治の時間じゃな」


 かくして、結界・ラドン攻略作戦が始まったのだった。



 ◆◆◆



 奈津と楓は、木々の間を進む。道とは呼べない悪路だが、忍者と鬼の脚力はそれをものともせずにスムーズに進んだ。


「楓さん、君の鬼の膂力にはだいぶ期待してます。露払いを頼めますか?」

「任しときへ。要するに、暴れろってことだべ?」

「まあ、そういうことですね」


 15分ほども走ると、目的地が見えてくる。


 小さな塔のような装置。奈津にだけは知覚できるが、そこから霧のように光が放射され、それが湖を包む結界になっている。そして装置を守るようにして魔物がいる。トロールという、身長2メートルほどの人型の怪物だ。それが6体いる。


 奈津と楓に気づき、トロールが不審な顔を向ける。


「ナンダ、オマエラ」

「鬼と忍者だ。おめェ達と喧嘩しに来たんだ」

「ちょっとした用事でしてね。良かったらそこをどいてくれると助かるんですけど」


 トロールたちは一瞬で戦闘態勢になる。手に持った、丸太のようなこん棒を携え、にじり寄ってくる。


「どうやらどいてくれないみたいですね」

「そりゃそうだべなぁ」

「じゃ、やりますか」

「おう、やるべ」


 奈津は、わずかに姿勢を低くして。楓は手の骨をぼきぼきと鳴らして。二人も、軽口を叩きながら、臨戦態勢に入ったのだった。

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