第19話 「十和田湖」 こどくの湖

「青龍……大権現?」


 フィーナはあっけにとられてしまう。目の前の小さい少女は人間にしか見えない。


「知らぬか。分からぬか。まあ無理もあるまい。わしもすっかり力を失ったゆえにのう」


 青龍と名乗る少女はため息をつく。


「一応、聞いたことくらいはありますよ。十和田湖には青龍が祀られてると。海や川や湖では、龍が祀られることは多いですけど……まさか貴方がそうなんですか?」

「うむ。まったくもってその通りじゃ」


 奈津の質問に、少女は胸を張って答える。


「しかし、わしがいくら口で説明しようと、おぬしらは信じぬであろう。だからこうして証拠を見せることにする。よう見ておれ」


 少女が腕を突き出す。すると、その腕にみるみるうちに鱗が生えだす。爬虫類のような群青色に変色した腕はざわざわとした雰囲気をまとい、爪は伸び、肥大化する。それは龍の腕だった。


「ひ、ひえぇ……」

「どうじゃ。信じたか。わしこそ、この十和田湖を鎮護する龍よ。水あるところに龍もあり。十和田は、わが家も同然なのじゃ」



◆◆◆



 神とか、妖怪とかいう類のものは、本当に世界に存在するらしい。フィーナもそれは何となく聞いたことがあった。


 しかしそれらはそもそも力を失っており、さらに異世界の魔物の勢力に押されて、世界にはほとんど存在しないとも言われている。


 だが、いるのだ。確実に。岩木山に棲んでいた楓がそうであったように、この青龍もまた、十和田湖にずっと存在し続けていたのだ。


 4人は青龍に自己紹介を済ませる。


「ふうん、冒険者か。やはりな。面白い連中じゃな。まさか鬼までいるとはのう。鬼は、とっくに絶滅したものかと思ったぞ」

「ふふん。ところがどっこい、ここに一人生き残りがいるんずや」


 楓は胸を張る。側から見たら可愛らしい女子二人だが、彼女らは鬼と龍なのだ。不思議な光景だが、ここは「青森」である。不思議なことなど何もないのだ。


「よかろう。状況を教えてやる」

「その前に……あなたは、青龍大権現なんですよね。ってことは神様ってことになるんですか?」

「まあ一応そうじゃな。うむ。気軽に青龍とでも呼んでくれ」

「それはいくらなんでも気軽すぎません?」

「肩肘を張らずとも良い。楽にせよ。わしが許す」


 思った以上にフランクで軽い神様のようだった。


「それより、今の十和田湖の状況じゃ。全く、面倒なことになっておる。1週間ほど前、ククリ・サナトという男がやってきてな。それが全ての始まりじゃった」

「ククリ!!」


 四人が一斉に反応する。


「知り合いのようじゃな」

「……そいつを追っかけて、あたしたちはここまで来たんです」

「そのククリという男はな。あろうことか、この十和田湖に、大量のドラゴンを解き放ちおった。周囲にバレないように、目隠しの結界まで張ってな。そうして、そのドラゴンどもを互いに殺し合わせたんじゃ。おぞましい光景じゃった」


 喫茶店の男の話は間違ってはいなかったらしい。湖のほとりに散らばっていたドラゴンの遺骸の破片もその証拠だ。


「しかし、どうしてククリはそんなことを?」

「うむ。あくまでこれは推測なんじゃが」


 青龍は眉をひそめる。


「あれは、この湖で蠱毒をやろうとしていたのではないかと思うのじゃ」

「こどくぅ?」


 楓が首をかしげる。フィーナもあまり詳しくは知らない言葉だ。


「えーっとごめんなさい、その蠱毒っての、何?」

「蠱毒というのは、呪術の一種よ。壺や箱に、虫や小動物を入れ、互いに殺し合わせる。最後に生き残ったモノには、強い呪いの力が宿ると言われてるわ」


 疑問には真冬が答えてくれた。聞くだけでおぞましい情報だ。それをドラゴンでやるというのは、一体どんな企みなのか想像もつかない。


「殺し合いを強要されたドラゴンどもは、1体のドラゴンにすべて食われてしまった。おぬしらも見たであろう。火を噴く龍を」

「うん、会ったよ。えらい目にあったよ」

「あれはラドンというドラゴンじゃ。ヤツめ、十和田湖を我が物顔で泳いでおる。忌々しい話よ」


 口をゆがめ、青龍は怒りをあらわにする。自分の家を乗っ取られたも同然だろう。その憤りは空気すらも震えるようだった。


「ククリの狙いは、一体何? こんなことしていったい何になるんだろう」

「わしにもわからぬ。だがラドンはわしのことも食らいつくそうとしているようじゃ。幸い、この木々の中までは入ってこんがな」

「そういえば、ラドンには攻撃が効かなかったわ。どうしてか分かる? 青龍さん?」

「ククリの仕業じゃろうな。奴が張った結界は、ドラゴンどもに力を与えておる。特に魔法の耐性がズバ抜けて高くなっておるのではないか」

「面倒な話だじゃぁ!」


 楓が声を上げる。フィーナも同感だった。ククリを探すどころではない。まずはラドンをどうにかしなければ、活路はない。


 フィーナ達が言葉を失う中、奈津は唇に手を当てて尋ねる。


「その結界というのはどういったものなのです? ククリが常時展開しているものでしょうか。それとも何か道具を使っているのですか」

「詳しくは分からぬが、おそらく、十和田湖に結界を発生させている装置があるのじゃ。北側から魔力を感じる。わしが調べに行きたいが、そうするとこの森の中の避難民を守る者がいなくなる。ここを長時間留守にはできんから、調べられずにおる」

「なるほど。では、僕が調査に行って来ましょう。みんなはここで待っていてください」


 力強く、奈津は宣言した。絶望的な状況など意にも介さない様子だ。


「奈津、一人で大丈夫?」

「僕は忍者の端くれです。気配を消すくらいお手の物です。それに僕には「ホークアイ」があります。近づかなくても怪しいモノを見つけることができる。なあに、危なくなったらすぐ逃げますから安心してください」

「むうぅ。悔しいけど、調べものだば、忍者の仕事だべなぁ」


 奈津の表情は明るい。危険に満ちた調査だというのに、「ちょっとコンビニ行ってくる」くらいの雰囲気だ。


「無敵なんてものはこの世にはありません。必ず攻略法がある。僕はそう信じています。そうですよね、フィーナさん?」


 いつも通りのクールで冷静な表情。その佇まいに、フィーナは背中を押された気がした。


「……そうだね。やれることはあるはずだよね」


 頷く。フィーナの口角が上がる。諦めるものかという、不屈の心が湧いてくる。


「うん、その通りだ! 結界があるとか、ドラゴンが出るとか、そのくらいで絶望してらんないよね! 因縁の相手がここにいるんだもん、諦められるかっての!」

「それでこそフィーナね。安心したわ」


 青森は何だって起こる場所だ。だが、その不思議や理不尽に立ち向かってこその冒険者なのだ。


「では、これより調査してきます。みんなはどっしりここで待っててくださいね」

「気を付けて、奈津。危なくなったらすぐ逃げて」

「ケガに気を付けへぇよ!」

「はいはい。気を付けて行ってきます!」


 奈津は足音もなく、静かにに森の奥へ消えていった。


 すると、遠巻きに様子をうかがっていた何人かの人々が現れた。


「あんたら、冒険者なんだってな?」

「ええ、そうです」

「そうか……だったら頼む、十和田湖をもとに戻してくれ」


 中年の男性と女性。着の身着のままで逃げ出してきた、そんな風に見える。


「私たちは十和田湖の近くで店をやってるんだ。あのククリとかいうやつが現れてひどいもんさ。ドラゴンの殺し合いに巻き込まれて、何人も死んだんだよ」

「俺たちは必死に逃げ出して、青龍さんに助けてもらった。ここに匿ってもらってるんだ」

「なるほど……そうだったんですね」


 皆、憔悴しきっている。怯え切った表情だ。


「わしからも頼む。力を貸してほしい、冒険者よ」


 青龍も言葉を続けた。もちろん、フィーナの答えは決まっていた。


「もちろんです。冒険者として最善を尽くします。安心してください、皆さん!」

「亡くなった人の魂の安らぎのためにも、できることをするわ」

「任せときへ! その代わり、無事解決できたら、何か飯でもおごってけぇじゃぁ」


 真冬も楓も、フィーナと心は同じようだった。


 死ぬかもしれない恐怖。大事な人を失う絶望。フィーナにもそれは痛いほどわかる。


 冒険者として、諦めるわけには絶対にいかない。胸を張って、フィーナは目の前の非力な人たちを励ますのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る