第18話 「十和田湖」 レイク・ザ・ドラゴン

 十和田湖。青森の南にある、青森と秋田にまたがる湖である。


 青森は、異世界との融合により地層の断絶が起こり、岩手県や秋田県と分断されたが、十和田湖周辺は断絶が起こっていない。そのため秋田側と交流ができる珍しい場所である。


 湖の周辺には八甲田山という山脈がそびえているため、青森市からまっすぐ南進するということができない。八甲田山に造られた道路に沿って進むことになる。


 車で、だいたい1時間30分。市街地を離れてしばらくすると景色は完全なる山道となる。ぐねぐねと曲がりくねり、きつい上り坂が連続するようになる。


「すごい道路だね」

「楓さん、車酔いしてないですよね?」

「大丈夫、今回は酔い止め飲んだはんでからね。平気平気」


 軽ワゴンのエンジンがうなりを上げ、なんとか坂道を踏破する。するとやがて、たくさんの水をたたえた大きな湖が見えた。


「あれかー!」

「うおー、でっけー!」


 太陽光が反射し、きらめる湖。青々とした自然の中に巨大な湖がある光景は、素直に美しいと思えた。


「……おや」


 奈津が声を上げる。不審そうな表情だ。


「どうしたの、奈津?」

「ええ。今、ホークアイのスキルを使ったんですが、何やら妙なんです。湖全体を、薄い膜みたいなのが覆っている」

「膜……?」


 目を凝らしてもフィーナにはよくわからない。ホークアイだからこそ見破れる、魔術的な壁か何かかもしれない。


「注意して近づくとしましょう。やはりあの湖、何かありますね」



◆◆◆



 十和田湖のほとり、車を停められそうな広い場所に車を停め、4人は湖の前に立った。周囲は木々に囲まれている。


「やっぱり膜がありますね。ドーム状に、十和田湖を覆っているように見えます」

「膜……か。人為的なものなのかな、やっぱり」

「分かりません。ちょっとタッチしてみましょうか」

「ちょ、ちょっと?!」


 奈津は空中に向けて指先を突き出す。どうやら膜に触っているらしい。


「大丈夫なのそんなことして?!」

「何事もやってみなくちゃ分からないでしょう」

「危険なものかもしれないのに……」

「危ないと分かっていても忍者は挑戦するものです」


 フィーナに「膜」は見えないが、奈津は何度も空中に腕を突き出したり、手を振ったりしている。だが何か異変が生じる様子はない。


「特に人体に害はないらしいです。とりあえず、先に進んでみてもいいかもしれません」

「……オッケー。行こう、みんな」


 フィーナが先行する。それに続き、3人も湖に向けて歩き出した。


「あ、あれ? おかしいわね、どうなってるのよ?」


 歩き出した4人は愕然とした。


 景色が違うのだ。


 湖のほとりにある土産物店やレストランがある建物は、ぐしゃぐしゃに破壊されている。


 地面には何かが暴れたらしき破壊痕が生々しく残っている。さらに、ドラゴンのような翼や尻尾の破片が血まみれで散らばっている。


 そして、地面に何人か人間が横たわっている。装備を見るに、おそらくは冒険者だ。


「大丈夫ですか!? しっかり!」


 慌てて真冬が倒れている人に声をかけるが、やがて無言で首を振った。


「……ダメね。みんな、死んでるわ」

「どうなってるんずな? こったの、車の中じゃ見えなかったべな!」


 楓の言う通り、こんな光景はここまで確認できなかった。


 顔を伏せていた真冬が、思い立ったように声を上げる。


「もしかしたら、先ほどの膜というのは、『誤認』のスキルなのかもしれない」

「『誤認』?」

「景色とかをそっくりそのまま擬態させてしまうスキルよ。卓越した誤認スキルは、人間を別人のように変装させたり、壊れた建物を新品同然に見せかけることができると聞いたことがある」

「なるほど、ありえるね。膜の外側にいれば、十和田湖は平和なままに見えるってわけだ」

「じゃ、このことを早くギルドに報告しないと!」


 フィーナは叫び、引き返す。だがさらに異変に気付いた。


 車を停めた所に戻れないのだ。


「何だ、これ……出られなくなってる」


 先ほど、膜があったらしいところに、見えない壁のようなものがあって、体が空中でぶつかってしまう。


「……ブラスト・ボルケーノ!」


 即座に爆破魔法を使うが、まるで効果がなかった。


「なんてことだ。一度入れば出られない仕組みか」


 眉間にしわを寄せ、奈津が吐き出すようにつぶやいた。


「すみません、この膜はもっと慎重に判断すべきでした」

「いいよ。どのみち、中に入るつもりだったんだし」

「それに、これではっきりしたわね。これは間違いなく何者かの仕業よ」


 フィーナも同感だった。ここまで手の込んだことをする「誰か」がいるのだ。


「人間の遺体だけじゃない……魔物の亡骸も散らばってる。ドラゴンが殺しあっているという話、あながちデタラメでもなさそうだね」


 フィーナの脳裏にククリ・サナトの顔がちらつく。


 その時、楓が湖を指さして叫んだ。


「うおおあああああ! なんじゃありゃあ!?」


 ほかの3人が振り向くと、そこに大きな「龍」がいた。


 巨大な、あまりに大きな龍だ。湖から顔を出し、大きく裂けた口を開ける。サメのようにも、ワニのようにも見える。そのあまりに巨大な口は、奈落の底を思わせた。


「魔物……!!」


 とっさに、フィーナと真冬は魔法を放つ。


「フローズン・アイス!」

「ブラスト・ボルケーノ!」


 氷と爆炎が轟く。湖に轟音が響き渡る。


 だが、龍はびくともしない。まったく何事もなかったかのように、フィーナ達を睥睨している。


「あ、あれ、効いてない?!」

「どうなってんのよ?!」


 龍は「オォォォォン」とひと鳴きすると、お返しとばかりに口から火炎を放射してきた。


「あちちちち!」

「マズい! いったん逃げよう、みんな!」


 フィーナに続き、4人は湖のほとりを全速力で駆けた。


 だが、龍は目をぎらつかせてフィーナ達を追い回した。隕石のように飛来する火炎弾が、雨のように降り注ぐ。真冬が氷結魔法で相殺してくれるが、いつまで保つか分からない。


「どうなってんずや! なして魔法が効かないのさー?!」

「私が知るわけないでしょッ! とにかく走るわよ!」

「ひとまず森に逃げ込みましょう!」


 目の前にある、鬱蒼とした森に逃げ込む。龍はそれ以上は追ってこず、湖の中へ帰っていった。


 4人は地面にへたり込み、口も聞けず、しばらく荒い呼吸を繰り返すしかなかった。


「何だありゃ、何なんだよぅ、あのドラゴン。なんで魔法が効かないんだろ」

「はあ、はあ。こんなんじゃ、ククリの居場所を調べるどころの話じゃないわよ」


 どうなってんだろ──額の汗をぬぐいながら、フィーナは考える。だが結論など出るはずもない。


「でも、みんなひとまず無事で良かったよ」

「……そうですね。何とか五体満足です」


 全員の無事を喜ぶしかない。そう思って立ち上がろうとしたフィーナの背後から、声がかけられた。


「何じゃ。また冒険者がやってきおったか」

「誰?!」


 振り向くと、小さな女の子が立っていた。


 青い着物を着た10歳くらいの少女だ。黒髪のおかっぱ頭。切れ長の瞳。一般市民という感じではない。


「とりあえず、わしについて参れ。この辺りの市民を、森の奥に避難させとる」


 少女は背を向け、すたすたと歩いていってしまう。


「あの、ちょっと……あなた誰?! ちょっと待ってって!」


 何が何やら分からぬまま、フィーナ達はその少女の後をついていくしかなかった。



◆◆◆



 森の奥は開けた場所になっていて、様々な人が座りこんでいた。


 子供、老人、成人男性……年齢も服装もバラバラだが、おそらく近隣の住民であろうことはわかった。


 着物の少女は腰に手を当てる。


「この者らは、十和田湖の近くで土産屋や料理屋をやっている者でな。龍どもに追われていたのを、わしが匿ってやっているのよ」


 無惨な遺体と化した冒険者を見たから、こうして避難している市民を見るとフィーナは安心感を覚える。だが分からないことだらけだ。フィーナは単刀直入に尋ねることにした。


「……ねえ、貴方はいったい何者なの?」

「わしか。うむ。わしも、先ほどの龍と同類じゃ。しかし人を食うような野蛮な真似はせぬぞ」


 ニッと笑って少女は言った。


「わしは青龍。この十和田湖に祀られる、十和田青龍大権現じゃ。十和田湖が何だかピンチなので、お節介を焼いていたところじゃ。覚えとくとよいぞ」

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