第16話 「八戸港」 しあわせは寿司のかたち
「で? どうする? どうすれば出産を助けられるかな?」
低い声を上げて唸るクラーケンを前に、フィーナは3人に聞いた。
「赤ん坊を引っ張り出すしかないわね」
「そう簡単にいくべか? なんか、粘液とかで滑りそうな気がするんだけど」
「素手で引っ張るのは危険でしょう。ロープを使うべきです」
奈津が腰から下げたウェストポーチからロープを取り出す。
「滑り止めがついてるロープです。こいつを赤ん坊にどうにか結び付けてください。あとは綱引きの要領で引っ張ります。これでどうでしょう」
「よし、それでいこう!」
真冬は引き続き氷結魔法を唱え続け、クラーケンの動きを制限する。その隙に残り3人でクラーケンの赤子にロープを結びつけることにした。
3人は触手を掻き分けながら進む。ぬるりとする粘液が体に着くが、今は前に進むしかない。
「くう、気持ち悪いなァこれ」
「がんばってください、あともう少しです」
何とか赤ん坊の元へとたどり着く。赤ん坊は体が産道に引っかかり、苦しそうな声を上げている。フィーナは手にしたロープを赤ん坊の体に何重にもして巻き付けた。
「いい子だから落ち着けよぅ、今そこから出してあげるからね」
滑ってロープが外れないか確認していると、クラーケンが突如嫌そうに暴れ始めた。
「オオオオオオオォォォォ──」
「うわっ落ち着いて! 落ち着いてってば!」
触手を地面に叩きつけ、フィーナ達に向けて黒色の墨を吐きかける。
「ぶわっ! 何これ! 墨!?」
「何なんずやー! もぉぉ!! |
脚を取られ、楓が派手に転ぶ。フィーナが駆け寄り、手を取って何とか立たせる。
「しっかり!」
「大丈夫! それよりロープば引っぱるべ!」
楓、奈津、そしてフィーナは綱引きの要領でロープを引く。だが、赤ん坊は全く動かない。
「だぁぁ! もぉ! 全然動かねぇでばな!」
「諦めないで! このまま引っ張り続けるよ!」
「3人で頑張れば赤ん坊はきっと出てきます! もう少しです!」
◆◆◆
その様子を、建物の中から、依頼者である漁師達は見守っていた。仕事場である港を完全に見捨てきれず、逃げる準備はしつつも、ギリギリまでその場に残っていたのだ。
「おぉすげえ、触手を凍らせてるぞ」
「ははあ、赤ん坊が生まれるとこだったんだな」
「おっ、ロープで引っ張る気だぞ」
「ああ、墨吐かれちまった」
いつの間にか、漁師たちは冒険者たちを心から応援していた。そして、懸命にロープで赤ん坊を引っ張りぬこうとする作業がなかなか上手くいかないことに歯がゆさを感じていた。
「全然動いてねえ、あれじゃ上手くいかんぞ」
「あの人数じゃ無理なんかもしれねえなあ」
「いけると思ったんだがなあ」
皆、腕を組み、眉間にしわを寄せて見守っている。
そのうちに、一人の漁師が声を上げた。
「──俺らで手伝ってもいいんじゃねえか、アレ」
力強い提案だった。見てるだけなんて我慢ならん、という意思に満ちた言葉だった。
「俺らは魔物と戦えねぇけど、綱引きならできるだろ」
「……そうだな。これじゃ、あの冒険者さんたちがあまりに可哀そうだ」
「ああ、そうだな」
「それじゃ、やるかい」
「ああ。あいつらを手伝ってやろうぜ」
「おぉ、やろうやろう」
「そうなったら急ごうぜ、おい」
「おぉ、行こう!」
そんな風にして、海の男達は頷きあった。
◆◆◆
フィーナ達は懸命にロープを引っ張っていたが、なかなか赤ん坊は動かない。
何度も墨を吐かれ、その度に手と足を取られる。クラーケンの悲痛な叫びも相まって、どんどん心が折れそうになっていた。
「くうぅ、厳しい……とんでもない難産じゃん」
その時、背後からエンジン音が響いた。
「おーい、おーい!」
見ると、先ほど話した漁師が軽トラックでやって来ていた。
「漁師さん……何で来たんです?!」
「そりゃ手伝いに来たに決まってるだろ。ロープ引くくらいなら俺たちにもできる」
漁師達は車を降り、当然だと言わんばかりに綱の端を持った。楓が額をぬぐいながら、感激の言葉を漏らす。
「お、おっちゃん……!」
「おっちゃんじゃねえよ、俺はまだお兄さんだバカ」
楓に突っ込みを入れながら、漁師の一人が軽トラックの後ろにロープの端を結び付けた。
「俺らで引っ張るだけじゃなく、軽トラでけん引もしたほうがいいだろ!」
これは本来ならフィーナ達の仕事だが、漁師たちの申し出は何よりありがたいものだった。フィーナは漁師に感謝を伝える。
「すいません──助かります!」
「ようし! んじゃあ引くか!!」
ロープを軽トラで引っ張り、さらに漁師達、そしてフィーナ達で力いっぱい引っ張る。すると、少しずつロープが動き始めた。
「いけるぞ!」
「頑張れ!」
「もうちょいもうちょい!」
漁師とフィーナ達で、声を張って励ましあう。
「オオオオオオオオ!!」
すると、クラーケンが悶え、触手を振り回して暴れ始めた。氷結魔法も完全に振り切っている。
「まずい!」
ロープを引きながら、フィーナは息を吸い込んだ。
「勘弁ね! ブラスト・ファイアワーク!」
渾身の爆破魔法を、クラーケンが死なないよう調整して、クラーケンの体全体に直撃させる。触手の動きが弱まり、一瞬静かになる。その瞬間、赤ん坊の体が完全に外に出た。
「生まれた!!」
小さな、子犬ほどのクラーケンの赤子が、コンクリートの地面の上で小さな鳴き声を上げていた。
◆◆◆
子供が生まれてから、クラーケンは嘘のように静かになった。
クラーケンは触手で子供を抱きかかえ、感謝を伝えるかのようにひと鳴きすると、しずしずと海へ飛び込み、太平洋へと消えていった。
「どうにかなったわね。一時はどうなることかとヒヤヒヤしたわよ」
「奈津、今回は助けられたね。ありがとう」
「いえ、こちらこそです。それより皆さん大丈夫ですか?」
「うえぇ、体中ぐちゃぐちゃだあ」
粘液やら墨やらで、フィーナも真冬も楓も奈津も、体中大変なことになっている。
「冒険者さんよ、ほんとに助かったぜ。あんたら、強いんだなぁ」
「いやーほんとに助かった、これでまた仕事ができる」
漁師達は口々に感謝を伝えてくる。真冬は一礼し、笑顔で応えた。
「こちらこそ、あなた方には助けられました。本当にありがとうございます」
「はは、なーに、あれくらいなら安いもんよ。気にすんな気にすんな」
若い漁師が、粘液やら墨まみれになったフィーナ達を見て、苦笑しながら提案する。
「あんたら、それじゃ家には帰れねぇだろ? 近くに俺の家あるから、シャワーでも入ってくか?」
願ってもない提案だった。フィーナ達はその言葉に甘えることにした。
「……それじゃ、お言葉に甘えて、シャワー借りさせてください!」
◆◆◆
若い漁師は快く家の浴室を貸してくれ、しかも服の洗濯と乾燥も行ってくれた。服が乾くまでの代わりの服も貸してくれ、フィーナは恐縮しっぱなしだった。
「すみません、なんかお世話になっちゃって」
「なんもなんも。恩人さんにこれくらい当然でしょ」
屈強な漁師はそう言って笑った。
漁師の好意のおかげで、ひとまず服と体を綺麗にすることができた。真冬はほかほかと体から湯気を漂わせながら、ほっとした表情を見せた。
「お風呂、ありがとうございます。あんなに汚れる仕事は久しぶりでした」
「はっはっは、いいってことっす」
「ありがとー、おっちゃん!」
「だから俺はおっちゃんじゃなくてお兄さんだって言ってるだろーが」
そんなやり取りを見ながらフィーナは思う。
たまにはこんな風に、依頼人から助けられる仕事があるのもいいもんだ──と。
そうして、身なりを綺麗にしてフィーナ達は漁師の家を後にした。八食センターで食事でも取ろうかと思う、と告げると漁師は笑って「そりゃいい」と言った。
「あそこはうまい店が多いからなぁ。楽しめると思うよ」
漁師に改めて感謝を告げ、フィーナ達は八食センターへ向かった。
「いやあ、お腹減りましたねぇ……」
「ほんとねー。安心したらめちゃくちゃ腹ペコになっちゃったね」
「寿司食べたいよー寿司ー」
八食センターに到着するころには、空腹でフィーナの腹の虫がグルグル鳴り始め、もうおさまらなくなっていた。
「……行こう。寿司屋に」
目的地は寿司屋。そう決まった。
八食センターは単なる市場ではなく、様々な店が集まる複合施設だけあり、建物も立派だ。ショッピングモールにすら見える。入口に入ると魚が泳ぐ水槽が見え、海のロマンを感じさせてくれる。
通路を歩くと寿司屋が見えたため、「ここだここだ」と迷わず中に入った。職人が握るタイプの寿司屋で、どれもこれもおいしそうだ。
4人それぞれでお茶を汲む。奈津が「乾杯でもしますか?」と提案した。
「いいね、やるか」
「乾杯の音頭は誰が?」
「じゃあフィーナ、貴方やりなさいよ」
「私が?!」
「貴方、リーダーでしょ。こういうの向いてるわよ」
恥ずかしそうにしていたフィーナだが、咳ばらいを一つして、乾杯の音頭を取る。
「今回のクラーケン退治は本当にハードな仕事だったけど、みんなのおかげで無事に終わったよ。協力いただいた漁師さん達のおかげでもある。というわけで、お世話になった方々に感謝を表すると共に、あたし達の勝利を記念して──かんぱーい!」
かちん、と景気のいい音がして乾杯が行われた。それから各々が思い思いのネタを注文し始める。寿司初体験のフィーナは何が美味しいのかさっぱり分からないが、とりあえずマグロとサーモンの2つを注文した。
やがて注文の品がやってくると、思わず一同は感嘆の声を上げた。
「おぉ……すごいなぁ」
マグロもサーモンも色鮮やかで、ツヤがあった。新鮮な証拠だ。
フィーナ以外の3人は、早速寿司を口へ運ぶ。皆、顔がほころばせ、思い思いに感想を言っている。
「おいしいわね。お寿司って久しぶりよ、私」
「僕もですよ。いや、ほんと美味しいですねぇ」
「
「楓、落ち着いて食べなさいよ」
楓は脚をバタバタさせて美味しさを表現している。真冬も笑顔だ。美味しさには、人間は抗えないものだ。
だが、フィーナは注文したネタを前に難しい表情をしている。
「フィーナ、やはり魚はダメかしら?」
「あ、いや……緊張しているだけだよ。大丈夫大丈夫」
「大丈夫だって、難しく考えずに食べてみへんか」
「うん……ただ海産物っていうと、さっきのクラーケンの姿が頭をよぎっちゃうんだよね。この世界はすごいな、生の魚を食べようって、相当勇気ある行いだよ」
魚はゲテモノ──それがエルフの常識だ。フィーナは今、文化の壁に直面している。
「……いや、ここで怖気ずくのは冒険者失格だよね。これは戦いだもんね。注文したからには食す責任があるんだ! いただきます!」
意を決し、フィーナは自らが注文したサーモンを一気に口へ運ぶ。
「どう?」
「う、うむう……」
目を閉じ、とてつもなく深刻な顔で咀嚼するフィーナ。他の3人が見つめる中、フィーナはごくんと寿司を呑み込んだ。
「……美味しい。うん、美味しーい!」
頬をゆるめ、フィーナは笑った。
「ふふん、そうでしょ。美味しいでしょ。だから言ったでしょう? ほら、次はイカも食べてみなさいよ。絶品よ。八戸のイカは」
「イ、イカ?! イカってあのクラーケンみたいなヤツでしょ、大丈夫なの?」
「大丈夫だって、物は試しって言うでしょ」
「そ……そうだね。物は試しだよね。OK、食べてみる」
「すみません、ウニ一つお願いします」
「あ! 奈津のヤツ、ウニなんて頼んでら! 負けてられっか!
「なんの対抗意識なんですか。まったく……」
4人はすっかり笑顔になって、海の幸に舌鼓を打つ。
一時はどうなることかと思ったが、終わりよければ全て良しだな──と、フィーナは思うのだった。
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