第6話 「岩木山」 4月のゴブリン

 4月後半、うららかな春の日差しが暖かく感じられるようになってきたある日。


 フィーナと真冬は冒険者ギルドで待ち合わせをしていた。2人でこなすクエストを探すためである。


 フィーナがギルドの駐車場に着くと、すでに真冬が壁を背にして待ってくれていた。


「ごめんごめん、待った?」

「あら、おはよう。別に大丈夫よ、私も今来たところだし」


 誰かと待ち合わせをしたり、一緒にギルドに入るというのはフィーナはほとんど経験がないので、何だか不思議な気分になる。だが悪い気分ではなかった。


「んじゃ、ちゃっちゃとクエスト見つけるとしよっか。いい依頼があるといいね、今度こそ!」

「そう願うわね」


 ギルドに入り、端末で依頼を調べる。二人で相談しながら依頼を選べるというのは、フィーナにとってとても気が楽だ。


「これとかはどうかなぁ?」

「この魔物はちょっと面倒そうです。今回はパスね」


 画面とにらめっこしながらクエストを探していく。そうするうち、一つの依頼が目に留まった。


「これは……なかなかいい依頼なんじゃないかしら」


 それは、山に出現するゴブリンを退治してほしいという依頼だった。ゴブリンが農作物を荒らして困っている――という、自治体からの依頼だ。


「ゴブリンはそこまで強くはない魔物ね。だいたい、群れを率いるリーダーがいて、そのリーダーを倒してしまえば戦意を喪失しておとなしくなる。私も何度かゴブリン退治はやったことがあるから勝手は分かるつもりよ」

「おっ、頼りになるぅ!」

「どうかしら。貴方さえよければこれに決めようと思うのだけれど」

「OK! このクエストにしよう」


 早速画面を印刷し、受注手続きを行う。


 ゴブリンが出るのは岩木山という場所だ。青森県の南西部にある、県内最高峰の山である。車なら40分ほどかかるだろう。


「んじゃ、早速行こう! いざ岩木山!」

「あまりハシャぎすぎないようにね」



 ◆◆◆



 岩木山は、青森市から弘前市を目指すようなルートになる。青森市の中心部から南西へ向かうと少しずつ建物は減っていき、やがて自然の中を抜ける幹線道路へ至る。


途中、「ちょっと寄るわよ」と真冬はコンビニに車を停めた。


「悪いけど、実は朝食を摂ってないのよ。軽く車の中で食べていいかしら」

「うん、いいよー。あたしも飲み物買っとこうかな」


 コンビニはあまり人が入っていなかった。魔物について書かれた雑誌や、マンドラゴラから抽出したエナジードリンクが多く置かれている。冒険者がよく立ち寄る店なのかもしれない。フィーナはミルクティーを手にし、パンのコーナーを見ると、お気に入りの商品があるのを見つけた。


「イギリストースト、あるじゃん!」


 イギリストースト。青森の全域で売られている、根強い人気を誇るローカル商品である。


 見た目は2枚重ねになったトーストで、マーガリンとザラメ状のグラニュー糖がパンの間に挟みこまれており、非常に甘い。パッケージにはなぜかイギリス国旗が印刷されているが、日本人がイメージする食パンは「イギリスパン」という別名があり、そこから付けられた名前だという。


「よし、買おう。せっかくだし」


 イギリストーストとミルクティーを購入し、真冬と合流すると、お茶とパンを持っている。よく見ると、彼女もイギリストーストを買っていた。


「お、真冬もイギリストースト買ってんだ! おそろいだね!」

「ええ。好きなのよ。このパン」

「へへ。わかるー。おいしいよねコレ」


 車の中で、二人でイギリストーストを食べる。マーガリンと砂糖の甘味が口に広がってほっこりした気持ちになれた。真冬はもぐもぐとイギリストーストを頬張っている。とても幸せそうだ。


「はむっ、むぐっ……おいしいわね!」

「真冬、これ好物なの?」

「青森の人間なら子供のころから食べた味だからね。好物よ」

「ちょっと砂糖がジャリジャリしてるのが旨いんだよね~」

「そう、そうなのよ。甘党の私にぴったりなの」


 それならちょっと知識を披露してやろうと、フィーナこの間ネットで見た雑学を語り出す。


「イギリストーストってさ、パッケージのデザインをするときに、イギリスって国の大使館の許可をもらってるんだってさ。知ってた?」

「ん、ええ、知ってるわよ。調べたことがあるもの。パン会社は最初は許可をとらずにイギリス国旗を使っていたのよね。しばらくしてから、問題になったら大変だと、慌てて事後承諾をもらいに行ったそうよ。そして快く国旗の使用許可をもらったとか」

「ぅおい! めちゃくちゃ知ってんじゃん! あたし以上に知ってんじゃん!」

「あっはっはっは! 何、私にマウント取ろうとしたわけ? ふふ、10年早いのよ!」

「ぐぅ~~悔しい~~!」


 唇についたクリームを親指で拭い、真冬は目を細めて笑ったのだった。



◆◆◆



 弘前市。かつての津軽における城下町であり、りんごを生産しまくるアップルシティでもある。日本のりんご生産量のうち、弘前市のみで6分の1を占めるほどで、並々ならぬ情熱を注いでいる。街中にはりんごの倉庫や卸売市場が点在し、大量のりんごが保管されている。


 自動車で街中を走ると、桜が咲いているのが見える。


「へえ、綺麗だねー」

「青森の桜の見ごろは4月後半だから、ちょうど見ごろね。そういえば、桜まつりというイベントが始まるのよ。確か、今日からじゃなかったかしら」

「桜まつり……ニュースで見たことある。お城のそばの公園に、桜がたくさん植えられていて、お花見をやるんだよね」

「そうよ。本当に綺麗なんだから。ただ、死ぬほど混みあうんだけどね」


 弘前城、その周辺の弘前公園。4月後半から5月上旬のあたりには桜が満開を迎え、春の風物詩となっている。異世界と融合を果たした今では、様々な異種族が集まり、桜や食事や酒を楽しむ大型イベントとなっている。


 そんな弘前城の傍を抜け、車は岩木山を目指す。遠くからでもうっすら見えていた山のシルエットがはっきりと分かるようになった。山に近づくにつれ、冒険者向けの武器屋やホテルがちらほらと現れる。


 岩木山は「津軽富士」という名でも知られる。青森の西側、津軽に住む者なら誰でも絶対に目にする山である。


 標高は1625メートル。途轍もなく高いというわけではないのだが、津軽平野という平らな土地の端にあるため、田畑の中に突如山が出現しているようにも見える。それが印象深く、山岳信仰の対象にもなってきた。


「あたしさ、少し前に、青森について勉強しようと思って、青森が出てくる小説を読んだんだよね。『津軽』っていう小説でさ。そこに岩木山の名前がちょっと出てきたなぁ」

「ああ、太宰治の本ね」

「そうそう! 太宰さんの小説」

「『津軽』は、まさしくこの辺りが舞台なのよね」


 太宰治の小説『津軽』には、岩木山についてこう書かれている。


 “したたるほど真蒼まっさおで、富士山よりもっと女らしく、十二単の裾を、銀杏いちょうの葉をさかさに立てたようにぱらりと開いて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでいる。”


「岩木山、確かに立派な山だなぁ」


 フィーナは車に揺られながら思う。あれを女性に例えるの、悪くないセンス。太宰治、いい文章書くよな──と。


 岩木山は道路が整備されており、8合目ほどまでは自動車で行ける。山のふもとに入ると、道の両サイドに、ぐにゃぐにゃとした枝をもつ木がずらりとたくさん生えている。


「これ、何の木なんだろ?」

「これは全部りんごの木よ。あともう少ししたら一斉に花が咲くの」

「うわー、そうか、これ全部りんごか! 凄いなァ」

「市街地から離れるとほんとりんごの木だらけな気がしてくるわね、この街。異世界と融合してもりんご作りまくってるんだから偉いもんよ」

「へぇー。りんご好きにはたまらないね」


 異世界出身者はりんごを知らない者もおり、珍しがって取り寄せる者もいる。弘前のりんごは新たな需要を開拓しつつあるのかもしれない。

 

「今回の依頼主は、ここから少し先の直売所にいるらしいわ。そろそろ到着ね」


 その言葉通り、10分ほど走ると道の途中に広い駐車場が見えた。農協の組合員が働く、果物や野菜の直売所である。


中に入ると、すぐに奥から眼鏡をかけた女性がぱたぱたと走ってきた。


「あ、どうも~。クエストを受けてくれた冒険者さんですよね」

「そうです。ゴブリンが出現すると聞いてきました!」

「そうなんですよ~。依頼させていただきました。ゴブリンがね、お岩木に住んでるみたいなんですけど、ふもとに降りてきて畑を荒らすから迷惑してるんですよぉ」

「なるほど」

「自警団に頼んでも、なかなかやっつけられなくて。冒険者にお願いすることにしました」


 治安を守るため、各自治体は自警団という自衛組織を結成することが多い。弱い魔物なら自警団で倒してしまうこともある。そこで処置しきれない魔物となると、冒険者の出番だ。


 ゴブリンは何匹も山の奥に棲んでいるようだった。徒党を組んで畑を襲い、農作物を荒らす。農家はゴブリン撃退グッズを買いそろえて対抗しているらしいが、なかなか上手くいかないそうだ。


「ゴブリンは逃げ足も速いし、動きが読めませんからね。大変だったでしょう」

「もう我慢の限界なのよ~。ゴブリンの退治、お願いできるかしら」

「了解しました」


 まるでクマかイノシシ退治みたいだな、とフィーナは思った。



◆◆◆



「さて、ゴブリンが出るのはこの辺だって聞いてきたけど……」


 自動車で岩木山の4合目付近までやってくる。背の高い木に囲まれた山道。残雪が道の脇に積もっており、風も冷たい。


「なんかすごいね、まだ雪があるんだ」

「岩木山だもの。場所によっちゃ6月くらいまで雪があるわよ。暖かい日もあるみたいだけど、今日はちょっと寒いわね。これだから春って面倒よね」


 フィーナと真冬は、ゴブリンの目撃が多い場所を目指し歩いてみることにした。


「にしても、ゴブリンってのは作物を荒らしたりするんだよね。迷惑な連中だねえ」

「そういうのはだいたい、奪った作物をボスに献上してるのよ。だから、ボスさえ倒してしまえば大人しくなるはず。もちろん、万全を期すなら全滅させるのが一番だけど」

「ボスか……この山のどこかにいるのかな」


 背丈の高い樹林が、目の前に広がっている。木々はじっと風に耐えているようにも思える。ようやく青森も暖かくなってきたと思われたが、山は今だ、雪の残党が居座っている。


 しばらく歩くと、立て看板が見えて来た。


 『この先、異世界植物群生林につき、注意』と書いてある。異世界との融合度が高い場所だから気を付けろ、ということだ。


「……ゴブリンの棲み処があるとしたら、この先かしら」

「かもね。気を付けて行こう」


 慎重に歩みを進めるうち、道の脇の雪が消えた。そして周囲の様子が明確に変化した。


 コバルトブルーのうねうねとした木。木の枝からぶら下がる触手のようなツタ。全長数メートルにもわたる、赤と黄色のまだらになった巨大な花。


 異世界の植物が密生する、鬱蒼とした森が広がっていた。

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