第7話 「岩木山」 人にもあらず、あさましき者

 岩木山は、山のいたるところが異世界化し、異世界植物群の密生地となっている。


 異世界樹林。そう言い換えてもいい。真冬はここまで深い樹林に遭遇したことはなく、やや面食らう。


「すごいわね……」

「おお、何だか懐かしいなぁ! エルフは林とか森に住むから、こういう景色を見ると嬉しくなっちゃうね」


 にこやかに笑うフィーナが、おっと声を上げてコバルトブルーの木を指さす。


「見て見て、あそこにヒトノメソウがいっぱい生えてる」

「ヒトノメソウ……?」

「目玉が生えてる草なんだよ。乾燥させると殺虫剤にもなるんだって」


 木の枝に寄生するように緑の草がたくさん生えている。真冬が覗き込むと、草の中から小さい目が現れ、真冬と目が合った。


「うひゃッ!! こっち見たッ!!」

「あはははは、慣れないと怖いよねぇ」


 青森は異世界と融合したとはいえ、ここまで大量の異世界植物に囲まれるのは真冬にとっても初めてだ。怪訝な顔をする真冬とは対照的に、フィーナは我が家のような面持ちで悠然と前へ進んでいく。


「あそこにあるでっかい花はキョジンニチリン。大きいのだと全長10メートルになるんだってさ。それからあそこにあるのはダッピジュ。年に6回も脱皮する木なんだよ」

「……こういうところに来ると、本当にエルフって頼もしいわね」

「あははは、それほどでもー!」


 その時、道の向こうで何か動いたのが見えた。木や草に隠れていたが、明らかに人型の何かだ。


「向こうに何かいる」


 慎重に近づくと、それは子供くらいの大きさの何かだった。2,3体が固まって歩いており、目の前を横切っていく。


 目を細めて真冬も遠くを見る。同じものを視認できたようで、すぐに真冬はフィーナの肩を軽く叩いた。


「あれよ、フィーナ。あれがゴブリン! ──さっそくお出ましよ!」


 真冬が叫び、走り出す。ゴブリン達はそれに気づき、一目散に逃げ始めた。


「おっ、あいつら逃げるつもりみたい!」

「追うわよ。リーダーの居場所をつかみたいわ」


 ゴブリンを追い、二人は山道を走る。

 少しずつ険しくなる道は決して走りやすいとは言えず、思うように追い付けない。


「連中、一目散に逃げてるね。こっちを撒こうっていう素振りはないみたい」

「見失わないようにしないと」

「うん、分かってる!」


 ゴブリンはどんどん道なき道へと入っていく。生い茂った草はフィーナ達の歩みを食い止める堰のようだ。爆破魔法で草を吹っ飛ばしながら無理やり進むが、なかなかゴブリンとの距離は縮まらない。


 そうこうしているうち、とうとうゴブリンを見失ってしまった。


「ダメね、向こうも足が速いわ」

「ひい、はあ……つっかれたぁ」


 立ち止まり、汗をぬぐっていると、近くから女性の声が聞こえてくる。


「おーい、おーい」

「……ん? 何か聞こえない?」

「おーい、助けてー」


 どうしても気になって声の方向を見ると、小さな林があり、その中に檻のようなものがある。


 フィーナの目にははっきりと見えた。檻の中には誰かが閉じ込められている。


「真冬、誰かが檻にいる! 助けないと!」

「……しょうがないわね」


 檻の中を見て、フィーナと真冬は驚愕した。中に入っていたのは一人の少女だった。


 顔立ちは幼いが、眼光は鋭い。吊り上がった瞳は猛禽類を思わせた。カエデの模様があしらわれた紅い着物を着ており、長い髪の色は燃え盛る炎のような緋色だ。口には2本の鋭いキバが生えている。


「ねえ、大丈夫? 見た感じ、どこかの魔族みたいだけど」

「おお、通りすがりの人! お願いだじゃ、ここから出してもらえねぇべか? ぁ、ずーっとここさ閉じ込められてまってさぁ」


 津軽訛りの少女は、弱弱しい声で懇願する。


「閉じ込められた……というのは、ゴブリンの仕業ね?」

「んだ。ぁだっきゃ、もう1週間もずっとここさいるんず」

「これは……特殊な檻ね。閉じ込めた者の力が吸い取られる、ドレインの魔術がかかってる」


 真冬が檻を触りながら呟いた。


「少し待ってて。檻、壊してあげる」


 フィーナは、出力を最小に弱めた爆破を繰り返し放つ。金属の柵はボロボロになり、手で簡単にへし折れるようになった。


「おお! 久しぶりの外! やったあ!」


 嬉しそうに少女が外に這い出てくる。


「わいぃ~~、死ぬ思いしたじゃあ。檻さ閉じ込められるとか、まんずこいじゃ本当にしんどい

「貴方、名前は?」

ぁ? ぁはな、楓っていうんだ。弘前さ棲んじゅう「鬼」の生き残りなんず!」


 楓と名乗る鬼はにやっと笑った。


「鬼? 鬼なんて本当にいたのね。初めて見たわ」


 真冬は目を丸くして驚いている。フィーナも聞き覚えはあった。鬼。日本にいたとされる魔物だ。


 鬼や天狗という、日本独自の魔物は、時代の流れと共に姿を消し、あるいは異世界の魔物に駆逐され、ほぼ姿を消していると聞いたことがある。


 それに、鬼のトレードマークであるツノが楓には生えていない。


「鬼か……鬼っていうと、日本に古くから伝わる怪物の名前だよね。ツノがないみたいだけど?」


 フィーナが言うと、楓は口を尖らせる。


ぁを怪物呼ばわりとか、やめてけぇじゃぁ。弘前の鬼はな、人間の友達なんず。誤解しないでけぇ」

「に、人間の友達?」

「そう。人間の友達だ。優しい鬼なんだ。だからツノも生えてねぇ」


 楓は得意げに説明を始める。


「おめぇ知らねぇべ? この辺じゃ、昔から人と鬼は仲良しだったんず。津軽の神社の鳥居っこには、ちゃっこい鬼の像が飾られてるし、鬼を祀る神社もあるんだはんでやあるんだからさ

「そう……なの?」

「そういえば聞いたことがあるわね。鬼の神社が弘前にあるってのは」


 言われて思い出した。フィーナは地元のニュースで何度か目にしたことがある。弘前には「鬼神社」という神社があり、心優しい鬼を祀っているのだという。


「私の認識だと、鬼というのは人の宿敵で、倒すべき、克服すべき魔物だと思ってた。その鬼が信仰の対象って、なんかピンとこなかったんだよね」

「そーゆーの、ぁ、あんま好きでねぇなぁ。人と仲良くなる鬼がいたっていいべな」


 人と仲良くなる鬼がいたっていい。


 不思議な言葉だが、そう言われるとそうかもしれないと思える。ここは青森なのだ。「不思議」なことは何ひとつない。


 現に、目の前にいる鬼は、悪意や恐ろしさというものを感じない。一見すると、気安い田舎娘という感じだ。


 青森に棲むあやかしの中には、懐の深いモノもいるのだ。


 フィーナは楓の目をまっすぐ見つめ、やがて小さく頷いた。


「…………そうだね。私の認識はまだ狭いみたい。ごめんなさい、楓。嫌な思いをさせたね」

「にひひひひ、分かればいーのよ。分かれば」


 楓はキバを見せて朗らかに笑った。


 それにしても、とフィーナは思う。鬼がどうしてゴブリンに監禁されていたのだろうか。


「ねえ楓、聞かせてもらえる? どうして檻になんか入れられてたのか」

「ああ、うん、それは……」


 その時、楓の腹がグギュルルルルンと音を立てた。がっくりと楓が地面にヒザをつく。


「ふえぇ、まいねぇだめだじゃぁ。腹が減って動かれねぇ。なんか食うもん持ってねぇべか?」

「いやー、あいにく持ってないなぁ」

「私も食べるものなんて……。あっ」


 真冬が何かに気づいたように声を上げ、懐から袋を取り出す。


 青森のローカルパン、イギリストーストだった。


「おっ、真冬、まだそれ持ってたんだ」

「後で食べようと、余分に買っておいたのよ。楓、これでよければ食べる?」

「食うーー!!」


 嬉しそうに、楓は声を上げたのだった。



◆◆◆



「へへへ、うだでぐむっちゃ甘ぇなぁ。ぇなぁ。人間ってぇもんいっぱい作るっきゃ」

「気に入った? ならよかった」


 林の切り株に腰掛け、楓はイギリストーストを数秒で平らげた。


「いやあ、助かったじゃ。感謝だ、2人とも。さすがのぁも空腹には勝てねぇはんでさ」


 ぺろっと口についたクリームを舐めとり、楓は頭を掻く。


「それじゃ楓、聞かせてもらえるかな。どうして閉じ込められてたのか」

「うん。大変な目にあったんだ」


 楓は切り株にあぐらをかき、事情を話し始めた。


ぁはさ、昔からこの辺に棲んでた鬼でな。昔は人間と絡むこともあったけど、だんだん他の鬼が姿を消し始めたのさ。ぁの姿を見ると逃げ出す人間も出るようになって、山の中さ棲むようになったんず」


 ほんのわずかに、楓の瞳が寂しそうに揺れた。


「で、ひと月くらい前だったかなぁ、ゴブリンっていう小鬼みたいな連中がやってきてな。ぁさ「ボスになってけろ」って言い始めたのよ」

「ゴブリンは、楓をボスにしようとしたのね」

「うん。ぁは断ったんだども、ゴブリンの連中、頼んでもねえのに、リンゴだの何だの、貢ぐようになってな」


 楓は面倒くさそうに頭を掻いた。


「ゴブリン共、段々とここらへんの魔物ば追い出すようになってったんずや。ぁがそぃでも断ってたら、檻さ入れられてまった」

「ずいぶんひどいことするんだね、ゴブリンってのは」


 真冬は腕を組み、「なるほど」と口を開いた。


「ゴブリンの群れは、自分たちより強い存在をボスとして奉ることがある……そう聞いたことがあるわ。だが、ボスとみなした存在が自分たちより弱いと分かったり、反抗的だったりすると、その群れの中から「副リーダー」と呼ぶべき存在が現れ、ボスを殺して食らってしまうのよ」

「えぇ、めちゃくちゃひどっ!」

「強い者を食らうと、その力を得られるとゴブリンは信じているようね。楓も、ゴブリンに「食われる」ところだったんでしょう」


 それを聞いて、楓は不満そうに鼻を鳴らした。


「そういうことかッ! あんのゴブリン共、よくも――!」

「楓、ゴブリンがどこらへんを縄張りにしてるか分かる? 私たちはゴブリンの退治に来たのよ」

「そうなんだよ、山のふもとの人間が困ってるんだって。農作物をゴブリンに荒らされてるって」

「やっぱりなぁ! んだべ! あらんどあいつら、畑ば荒らしちゅうんだな! きまやげる腹立たしいなぁ……!」


 楓が拳を握りしめて怒りをあらわにする。人が迷惑を被っている事実に、この鬼は憤っていた。


「うっしゃ! ぁさついて来いへついてきて! あのゴブリン共、メタメタにやってまるべしやっつけてやろう!」


 すっくと立ちあがり、楓は力強く叫んだのだった。

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