第2話 住所録
温かい季節だ。4月か5月かは忘れてしまったが、温かい気温とさわやかな空気についまどろむ。
そんな季節に、大学構内の一番西側にある窓のない教室に私たちは詰め込まれていた。隣にはもちろん大桜である。
いくら窓のない部屋であっても、教室には春の香りが多少なりとも漂う。この香りは何とも不思議な睡魔を伴う。
この魔物と私は1時間ほど境界線のせめぎあいをしていたが、ついには意識が遠のいた。
そのとき不意に、彼が私の顔をぐっと覗き込み、こんな質問をしてきた。「洋菓子と和菓子だったら、どっちが好き?」私は生粋の甘いもの好きだが、正直、和菓子か洋菓子かなんて選び難い。「どっちも好きだよ。選べない」
そう答えると彼は「両方とも試してみようか」と言い、講義室の机に鉛筆で何かを書いた。「それじゃあ20時にここで」そう言い残すと、彼はおもむろに立ち上がり、さっさと講義室を出て行ってしまった。
私は何のことだかわからず、唖然としていたが、落ち着いて机を見てみると、漢字と数字が並んでいた。達筆だが癖が強く読みにくい。さらにしっかり見てみると、なるほど、住所だ。気取った文字だなと少々鼻についた。
授業が終わった後、私は住所録でその住所が示す場所に何があるのかを調べてみた。しかし、調べた限りそこには何もなかった。いったい、彼は私を遅い時間に、そこに連れて行って何をしようというのだ。明らかに怪しい状況だが、私にも好奇心がある。さすがにその好奇心を振り切ることはできず、彼の指定した時間にそこに行ってみることにした。
待ち合わせの時間まで構内にある図書館で時間をつぶし、その後電車に乗って指定の場所へ向かった。
すると、驚くことに、そこには小さな喫茶店らしきものがあった。周りに植えられた花壇は花でうめつくされ、明らかに手入れされた跡がある。看板もつり下がっているし、明かりもついている。中をのぞいてみると大桜が一人で座っているのが見えた。
私はステンドグラスのはめ込まれた美しいが重たい扉をゆっくり開き、店内に入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます