第一章④

「やっぱり……」

 御堂吏とは、庄之助からの手紙に記されていた名前。やはりと思う一方で、爽良はその若さに驚いていた。

 というのも、爽良は手紙を読んだとき、庄之助は御堂という人物に大きな信頼を寄せているのだろうという印象を持った。

 大切な場所の管理人代理を任せ、しかもそれを請けてくれる間柄となると、付き合いも長いのだろうと、勝手に庄之助の同年代を連想してしまっていた。

 しかし、御堂と名乗った男は、せいぜい三十歳前後。そして、その軽くて適当な口調も妙に人懐っこそうな表情も、おぼろげに残る庄之助の印象とはまったくつながらなかった。

「あの、御堂さんは、いつから祖父と……」

 あからさまに探りを入れるような口調になってしまった爽良を、御堂は可笑おかしそうに笑う。

「それはまたおいおい説明するから。それよりも、先にさっきのこと聞いていい? どうしてあそこにいたの? 火が出る前、なにがあった?」

「え……っと」

 尋ねられた瞬間に思い出すのは、少女の霊のこと。ただ、それをそのまま伝えれば異常者扱いされてしまうことは、経験上明らかだった。

「鳳銘館を訪ねた後、道に迷いまして……、女の子に道を聞いたあたりから、具合が悪くなって……、そこから記憶があいまいというか……」

 爽良は、当たり障りのない言葉を慎重に選び、御堂に伝える。──しかし。

「女の子って、水色のワンピース着た、地縛霊の?」

 サラリと返された言葉に、爽良は自分の耳を疑った。

「地縛霊……?」

「そう。大昔に火事で亡くなって以来、ずっと成仏できない子。庄之助さんがずっと可愛がっていたんだけど、庄之助さんが亡くなって以来、避けられてるんだって勘違いして、めちゃくちゃ腹を立ててるみたい。あんなに良くしてもらったのに、霊ってほんと理不尽だよね」

「あの……」

「庄之助さんのみだからなんとかしてあげたいんだけど、俺って寺の息子だし本来はらう方専門だから、すごい警戒されてるんだよね。ずっと捜してるのに見つかんなくて、ボヤの現場はどんどん鳳銘館に近付いてきてるし。……次は鳳銘館を燃やすぞっていう脅しのつもりだろうけど、毎日消火器持って見回りする俺の気持ちにもなってほしいわ」

「ちょっと待っ……」

「庄之助さんが亡くなって以来そういう霊がゴロゴロいて、困っちゃうよね。もう俺もいい加減疲れたし、そろそろ片っ端から祓っ──」

「み、御堂さん……!」

 御堂は世間一般で妄言だと判断されかねない内容を、平然としやべり続けた。爽良の頭ではとても処理が追いつかず、衝動的に口を挟む。

「どした?……ってか、まさか違う霊だった?」

「そうじゃ、なくて……。あの、……視えるんですか……?」

「は?」

「……霊が、視えるんですか?」

 しばしの沈黙。

 御堂はこてんと首をかしげ、爽良を見下ろす。

「……なに、その質問」

「なにって……、だって地縛霊とか祓うとか……」

「は……? えっと……、ちょっと待って。君さ……」

 御堂は立ち止まり、悩ましげに手で額を覆う。──そして。

「まさか、誰にも話さずに生きてきたの?」

 信じられないといった表情で、爽良にそう問いかけた。

「それは……、だって……」

「マジか。……でも、さっきの霊もハッキリ視えたんでしょ?……どうすんの、そういうとき。視えないフリしてこらえてたの?」

「当然です……。どうせ信じてもらえませんし、両親からも気味悪がられますから……」

「冗談でしょ……。びんすぎて言葉が出ないんだけど。そんなんじゃ、鳳銘館に呼びたくもなるよな……」

「あの……、庄之助さんも視えてたってことでしょうか……」

「それも知らないの?……視えるどころの騒ぎじゃないよ。あの人は極めて特殊。あの人の血筋なら君も相当強いはずなのに。……本当に、ご愁傷様」

 口調こそ軽いものの、御堂は心から同情しているように見えた。そんな反応をされたことは過去に一度もなく、爽良は逆に戸惑う。

 すると、御堂は爽良の背中をぽんとたたいた。

「とにかく、俺の前ではなにも隠す必要ないから。視えたものはそのまま教えて」

「……は、はぁ」

「大丈夫、全部信じるから。君に視えるものは全部、俺にも視える」

 ふいに、心がぎゅっと震えた。

 そんな、誰からもかけられたことのない言葉をキッカケに、数々のつらかった記憶が次々と脳裏によみがえってくる。

 もしあの頃に同じ言葉をかけられていたならどんなに救われただろうと、想像しただけで胸が詰まった。

 けれど、これまで誰にも頼ることなく、なにもかもをひた隠しにしたまま大人になった爽良にとって、初めて出会った同類への頼り方なんてわからない。

「どした?……大丈夫?」

 急に黙り込んだ爽良を心配してか、御堂が顔をのぞき込んだ。

「……すみません、大丈夫です」

 爽良はできる限り平静を装い、首を縦に振る。

 やがて、視線の先に、鳳銘館の生垣が見えた。

 ほんの数十分前に来たばかりだというのに、ずいぶん久しぶりに感じられた。

 御堂は先に敷地に足を踏み入れ、入り口で立ち止まる爽良に手招きをする。

「どうしたの? 庄之助さんの部屋に案内するからおいで」

「……あの、犬が……」

「犬?……ああ、大丈夫大丈夫、今は出てこない」

「でも、繫がれてなかったから……」

「大丈夫だって。ほら」

 御堂は爽良の腕を引き、玄関の戸を開けると爽良を中へと促した。

 爽良は犬の気配にビクビクしながら小走りで玄関に入り、ほっと息をついたのも束の間、目の前に広がる光景に息をむ。

 まず驚いたのは、あまりに広い玄関ホール。

 三階まで吹き抜けになっていて、正面には見たことがない程大きなステンドグラスの窓があり、さまざまな色のガラスで美しい幾何学模様が彩られていた。

 タイル張りの土間には飾り格子の戸が付いたシューズボックスが置かれ、ホールにも同じデザインのチェストが並び、中に美しい陶磁器がずらりと並んでいる。

 ホールの左側にある階段にはベルベットのじゆうたんが敷かれ、りの柱一本一本に違う模様が刻まれていた。

「……すごい」

「元々は華族が住む邸館だったって話は聞いてる? 庄之助さんがここを買い取ってすぐにアパートに改装したんだけど、この玄関ホールはほとんど当時のままなんだって。家具もそのままだし、手摺りの装飾は他の部屋にあったものを再利用したんだとか。なんていうか、ひとつひとつ丁寧に造られたのが伝わってくるよね。ま、とにかく古いから今もしょっちゅう修繕してるけど、この雰囲気を壊さないようにいつもかなり気を遣ってるよ」

「すごく素敵です。それに、なんだか懐かしいような……」

 鳳銘館に来たことなんてないはずなのに、それは不思議な感覚だった。すると、御堂が小さく笑い声を零す。

「わかる。庄之助さんって、まさにこういう空気の人だったし」

「……こういう、空気?」

「うん。うまく言えないけど、こういう空気」

 わからなくもないと、爽良は思う。

 ここに立った瞬間に覚えた温かみは、庄之助との記憶を思い出したときに込み上げてくる、優しく包み込まれるような心地とよく似ていた。

「とりあえず、庄之助さんが使ってた部屋に案内するね。管理人室だから、もし君がここのオーナーになって管理人もやる場合、住むことになる部屋だよ。共同玄関だから靴はここで脱いで」

 御堂はそう言うと、玄関ホールの右手にある戸のかぎを開ける。ノブには、「管理人室」と書かれた木の表札が下がっていた。

 ドキドキしながらそっと中を覗き込むと、戸の向こうはすぐにダイニングキッチンがあり、そのさらに奥に少し広めの洋室が見える。

 ダイニングキッチンの右側にある、飾り格子に色付きガラスがめられた大きな窓が、とても印象的だった。外から色とりどりの光が差し込む光景は美しく、幻想的な雰囲気を醸し出している。

 部屋は全体的に年季が入っているけれど、目で見てわかるような傷みはなく、とても大切に使われてきたことが感じ取れた。

れいですね。それに、すごく広いですし」

「管理人室は1DKだから、貸してる部屋より一室少ないんだけど、その代わり広いんだよ」

「なるほど……」

 ただ、広いといっても部屋の中はほぼ空っぽだった。庄之助の遺品が残っていると思い込んでいたけれど、確認できるのは、いくつかの家具のみ。

「庄之助さんの私物、ほとんど残ってないんですね」

 爽良は部屋をぐるりと見回し、御堂に尋ねる。すると、御堂は少し困ったように肩をすくめた。

「ね。俺も知らなかったけど、生前に片付けてたみたい。まるで、自分の死期を知ってたみたいに」

「そんなこと……」

「べつにあり得るよ。さっきも言ったけど、あの人はいろいろとずば抜けてるし。ただ、そこに置いてあるチェストや椅子は、ここを手放した華族が置いていったものらしくて、気に入ってたみたいだよ。ここに住むなら使ってあげて。きっと喜ぶから」

 御堂はそう言いながら、大切そうにチェストをでた。その表情を見ていると、御堂がいかに庄之助を慕っていたか、聞くまでもなく伝わってくる。

 そして、同時に、ひとつの疑問が浮かんだ。

「……あの」

「うん?」

「……庄之助さんは、どうしてここを私に……、管理を任せていたあなたにではなく、私にのこそうとしたんでしょうか」

「うん?……なんで?」

「だって……、父は庄之助さんと絶縁していますし、お葬式にすら出ず、そもそも亡くなったことを知ったのだって一ヶ月も経ってからです。……あなたの方が、よほど……」

「よほど、息子みたいだって?」

「…………」

 あっけらかんと言い放つ様子を見て、もしかしたら、似たような質問に答え慣れているのかもしれないと爽良は思った。

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