楽園へ 3

 それから弥琴は一言も発さないまま、菜子に案内された女子寮に入った。

 《ベガ》という名前の四階建ての寮は檸檬色の外壁が特徴で、一目で女子寮と分かる可憐な外観をしている。今までざっと目にしてきたかぎりではあるが、白青島にある建物はどれも欧風建築であることがお約束らしい。

 弥琴を寮監の女性に任せると、菜子はそそくさと去っていった。

 寮は基本的に一室を二人で使う決まりだが、弥琴はまだ所属するコミュニティーが決まっていないため、当分の間は一人部屋を使うようにと寮監に言われた。一人部屋といっても、二人用の部屋を一人で使うという意味であり、備え付けられている家具は全て二人分ある。

 一階の右端の部屋に入り、鍵を閉めると弥琴は一人になった。白のレースカーテンが引かれた部屋は、日没が近付くごとに澄んだ橙がゆっくりと濃くなっていく。今まで暮らしてきた家の自室より明らかに広い、しかし家具がどれも二人分備え付けてあるせいで、意外に狭く感じられる室内を見渡すと、弥琴はしばらく窓を見つめて立ち尽くしていた。

 クローゼットを開けると、女子用の制服が五着掛けてあった。下着類や寝間着、タオル類も全て用意されている。洗い替えも含め、どれも白と青を基調としていて、暖色派な弥琴の好みとはまるで合わない。制服は白の襟に鮮やかなマリンブルーのワンピースで、ベルト代わりに腰で結ぶ白のリボンが映えるデザインになっていた。

 弥琴はハンガーのまま制服を持ち、姿見の前でそれを体に当ててみる。

「……あ、何か可愛い」

 思わず本音が漏れてしまうが、次の瞬間そんな自分がひどく呪わしくなり、弥琴は乱暴な手つきで制服を元の位置に戻した。しかし、しばらくしてからもう一度、クローゼットの中を詳しく物色してみる。

 熱帯に属する白青島は年中気温が高いためか、用意されている服はどれも半袖のものしかないようだ。寝間着は真っ白な長袖のワンピースで、冷房対策用と思われるカーディガンの白はそれよりワントーン暗い色合いをしていた。服や下着のサイズはどれも弥琴の体型にぴったりで、教えてもいないのにと思うと何だか少し怖くなる。

 部屋の外へ出る時は常に制服という決まりは、鍵をもらった際に寮監から教えられた。

「このオレンジのワンピースも、知らないうちに捨てられちゃうのかな。お母さんと一緒に選んで、結構気に入ってたんだけどな……」

 そう遠くないうちに訪れる食事や入浴の際、今の服のままで行くと確実に咎められる。規則として教えられた以上、否が応でも制服に着替えなくてはならない。

 しかし弥琴は嫌だった。制服に袖を通すということは、白青学園の生徒として島で暮らすことを受け入れたという明確な意思表示になる。この現実に納得すらできていないのに、見た目だけでも島の一員になってしまうのはつらい。白青学園の制服は他のどの学校よりお洒落で可愛らしいが、それだけではどうにも誤魔化せない気持ちがまだ渦巻いている。

 弥琴はクローゼットを閉め、二段ベッドを背にしゃがみ込んで膝を抱えた。すると、まるで感情のスイッチが入ったみたいに、途端に目頭がぶわりと熱くなって、抑えていたものが一気に迸りそうになる。

 なぜこんな場所にいるのだろう。なぜ全てが変わってしまったのだろう。両親、友達、音楽教室の先生、知っている人たちにもう一度会いたい。弥琴がこの地にいることを全く知らない人たちに、弥琴はここにいる、今すぐにでも帰りたい、本当はこんな場所になど来たくなかったと伝えたい。

 止まっていたはずの涙がじわじわと溢れ、弥琴は膝をきつく抱いて、声を震わせながら泣いた。

 どれだけの時間、そうしていただろう。不意に、遠くからふわりと流れてくる音色に気が付いた。

 弥琴は涙で濡れた顔を上げ、おもむろに這って窓に近付く。外からバイオリンの旋律が聴こえてきていた。離れた場所で弾いているのか、音色はここより遠い場所から残響のように届いてくる。

「……ドヴォルザークの『ユモレスク』」

 滑らかなバイオリンの音色が、弥琴が大好きな名曲を奏でている。弦楽器なのに、人の歌声と間違いかけるぐらい情感のある響きをしていた。弥琴は窓を全開にして、流れてくる旋律に目を閉じて耳を澄ませる。

「なんて、綺麗」

 甲高さがまるでない、ゆるりと丸くて柔らかな音色だ。こんなにも角のないまろやかな響きは、誰もがそう簡単に奏でられるものではない。

 いったいどんな人が弾いているのだろう。弥琴は興味をそそられた。

 背が高く密着した生垣に遮られたこの部屋からでは、そのバイオリン奏者がどこにいるのか全く分からないし想像もつかない。弥琴はほんの少し迷った後、先程まで袖を通すことをひどく躊躇っていた制服に慌てて着替え、やや急いた足取りで部屋を出ていった。

 女子寮《ベガ》の外に出ると、バイオリンの旋律はよりはっきりと聴こえてきた。昼間よりやや冷めた風が、黄昏を引き連れながら音色を離れた場所まで運んでくる。弥琴は影が長く伸びつつある森の中へ、旋律がより鮮明に聴こえてくるほうを目指して入っていった。

 バイオリン奏者は自主練習をしているのか、『ユモレスク』の同じフレーズを繰り返し弾いたり、一度弾き終わっても間髪入れずにまた弾き始めたりしている。奏者のいる場所へ次第に近付いていくにつれて、よりはっきりと響いてくる『ユモレスク』の旋律は、最初に気付いた時とはまた違う印象で弥琴の鼓膜に触れていた。

 音が聴こえてくる方向を探る感覚だけを頼りに森を突き抜けたら、小さな公園のような場所に出た。弥琴は辺りをきょろきょろと見回し、そしてすぐ近くに人影を見つけて思わず立ち止まる。

 灰色の石畳が敷き詰められた殺風景な公園の、乾燥した噴水の縁に腰掛けてバイオリンを弾く少年がいた。僅かな風にほんの少しだけ揺らめく白シャツの裾。海の色を思わせる女子の制服と違って、星のない夜空みたく濃い色をした紺のズボン。半袖の袖から覗く腕は長く逞しく、春にしては暑すぎる外気の中でも全く汗ばんでいない。

 彼の背中は周囲の風景と一体化して見えるほど無防備で、己が構えるバイオリンと音色を自在に操る弓、そして弦を押さえる指の動き以外、他のものは全く目に入っていないようだった。自分以外に誰もいない公園に、いきなり粗雑な足音を立てて闖入者が現れたというのに、彼はまるで気付いたそぶりもなくバイオリンの練習に集中している。

 少年は何度目かになる『ユモレスク』をまた最初から弾き始めた。至近距離で聴くその音色は、寮の部屋で初めて耳にした時や、音を辿りながら森を駆けていた時にはなかった感触で、弥琴の胸を静かに、だが深くまですうっと貫いた。

 なんて美しいのだろう。水みたく流麗なのに、繊細さが波紋のように滲んでいる。最初に耳にした時は、まるで歌っているような音だと思った。しかし今抱いた印象は、それとは全く違う種類のものだった。

 まるで泣いているみたいな音だ。感情をただ迸らせただけのみっともない号泣ではなく、とうとうと流れる涙が頬を伝う様をそのまま音符に換えたような。

 彼の奏でるバイオリンに深く聴き入りながら、弥琴は無自覚のままほろほろと涙していた。なんて美しい。だけど同じぐらい、胸の一番柔く弱い部分がひりついてたまらない。

 少年が曲を弾き終わると、バイオリンの音色は静かに黄昏の中へ溶けていった。喘ぐような息遣いを背後に聞き咎めて、少年はバイオリンを肩に構えたまま、訝しげな仕草で弥琴を振り返る。

 二人の眼差しが絡まるように交錯した。

 凛々しい顔立ちの少年だ。年は同い年か一つ上だろうか。ところどころ無造作に跳ねた黒髪に、切れ長の目がきりりとした印象を与える。やや浅黒い肌にすっと通った目鼻立ちという見た目のせいか、同年代にしては随分と大人びて見えた。

 少年の瞳はまっすぐに弥琴を捉え、いつからそこにいたのかという表情で見つめてくる。しかし弥琴が泣いていることに気付き、些かひそめられた彼の眉がふいにたじろいだ。

「お前」

 少年の一声で、弥琴はようやく我を取り戻す。そして自分が涙していたことに初めて気付き、途端にひどく恥ずかしくなってあたふたとうろたえた。

「や、あの。その、ごめんなさい。えっと、その、何ていうか……。ご、ごめんなさい!」

 いたたまれなくなった弥琴は、そう言って彼にくるりと背を向けるなり全速力で逃げ出した。

 驚いた少年が声を上げるのを無視して、弥琴は元来た道をがむしゃらに駆け抜ける。追ってこられたらどうしようと思ったが、背後に人影が迫ってくることはついになかった。



 陽が沈んで空が藍に染まりきるまで、弥琴は《ベガ》の与えられた部屋でただじっと過ごしていた。

 夕食は六時半から八時までに、男子寮《アルタイル》と女子寮《ベガ》の間にある大食堂《デネブ》で摂る決まりだという。昨夜から今までまともな食事をしていなかった弥琴は、早いうちから人知れずひどい空腹に悩まされていた。しかし他の生徒たちと顔を合わせるのが嫌で、重い腰をなかなか上げられずにいたのだ。

 しかし七時を過ぎた頃、弥琴はついに耐えられなくなった。この場所に馴染みたくない気持ちに変わりはないが、空腹のままでは眠ることもできない。そう思った弥琴は、勇気を振り絞って《デネブ》へ行く決心を固めた。

 《デネブ》は渡り廊下を通じて《ベガ》と繋がっている。時折すれ違う女生徒たちは、やはり弥琴に不躾な視線を投げつけては通り過ぎていく。好奇心より明らかに嫌悪の色が濃い眼差しを受け続けるのは、覚悟していた以上に心を痛めつけられるものだった。ましてや皆が皆同じ反応を示すのだから、弥琴の中に積もり積もっていく不快感もひとしおだ。

 これから先、周囲からずっとこんな視線を向けられながら過ごすのだろうかと考えると、落ち込むというより逆に苛立ちが勝ってくる。しかし自分から突っかかることはないと思い、弥琴は何があっても完全無視を貫くことを心に決めた。

 寮内の案内標識を辿って大食堂《デネブ》に入ると、弥琴はさらに多くの温度のない眼差しに晒されることとなった。

 弥琴が《デネブ》に一歩足を踏み入れた瞬間、それまで適度に明るく賑わっていた室内が水を打ったようにしんと静まり返る。瞬きよりも早く一切の音が消えたことに、弥琴はさすがに驚いて立ち竦んだ。

 生徒たちの視線が槍と化して、一度に何本も胸にぐさぐさと突き刺さってくる。ぎこちなく賑わいを取り戻していく様は、明らかに弥琴は異質だと声高に叫んでいるとしか思えなかった。

 弥琴は嫌悪感や不愉快を越えて、内心ひどく腹を立てていた。すれ違う人、顔を合わせる人全員になぜそんな反応を向けられねばならないのか。食堂になど来ず、ずっと部屋に閉じこもっていればよかったと後悔したが、他に食べ物がある場所を知らない以上、これはどうしたって避けられない現実でもあった。

 七時台は夕食のピークらしく、どのテーブルも数名単位のグループで埋まっていた。その固まりが、織田が言っていたコミュニティーをそのまま指すのかは、新参者の弥琴にはよく分からない。

 食事はビュッフェ形式で、品数はホテルのディナー並みかそれ以上に多かった。中高生に出す料理としては、あまりに贅沢すぎやしないだろうか。しかし盛りつけも鮮やかで華があり、見るからに美味しそうな料理の数々を前にすると、荒んでいた気持ちも幾分かは引いていって、弥琴は心の中で素直にはしゃいでいた。

 弥琴は好きな料理を取り終えると、比較的空いている窓側のテーブルの隅に座った。意気揚々とした顔で手を合わせ、己の欲求のままに取り分けた料理をゆっくり頬張っていく。学校の給食にしては、うっとりするほど美味しかった。一度だけ母に連れていってもらった、有名ホテルのビュッフェランチを思い出す。一般の公立校は勿論、私立校でもこんなサービスは望めないだろう。

 刺々しかった気分が、見た目も味も素晴らしすぎる食事のおかげで丸くなっていた頃、弥琴の耳にあからさまな囁きが飛び込んできた。

「ねえ見て、あそこ。黄昏の魔女がいるわ」

「ああ、ほんと。ねえ、噂は本当だったのね」

「見て。嫌らしいくらいあの絵にそっくりよ。気持ち悪い」

「仕方ないわ。だって黄昏の魔女だもの。ああ、恐ろしいったらありゃしない」

 浮ついた気分が、冷や水を浴びせられたように一気に引いた。弥琴は食べ進める手を止めて、声のする方向を耳だけで探る。

 何列か後ろのテーブルの通路側で食べている女子たちだと、わざわざ振り返らずとも弥琴にはすぐ分かった。彼女たちは数列前のテーブルで食べている弥琴をこそこそと見やっては、やけに明瞭な囁き声で盛り上がっている。いや、囁いているのではない。囁くという建前を演じながら、弥琴にはっきり聞かせようとしているのだ。

「ねえ知ってる? 今日の昼間にあの子が《サザンクロス》へ来た時、あの絵がいきなり落ちて割れたそうよ」

「ええっ、何それ。怖い」

「あの子が落としたの?」

「決まってるじゃない。聞けば《シリウス》にある『暁の乙女』も、同じ時刻にいきなり落ちて割れたそうよ」

「怖いわね。伝説どおり、災厄を招く魔女が来たのね。ああ怖い、怖いわ。気持ち悪い」

「ほんと。何で来たのかしら。黄昏の魔女なんていなくなってしまえばいいのに」

「気味が悪いわ。でも見て。こんなに見られてるっていうのに全く気付いてないわよ」

「鈍感すぎじゃない? 無神経にも程があるわ。自分のことだって分かってないのかしら」

「さすが魔女、どこまでも図々しいこと。嫌らしい。あなた以外他に誰がいるっていうのよ」

「ねえ、あなたのことよ。不幸と災厄を招く黄昏の魔女」

 その瞬間、頭の奥で何かがぶちっと切れる音がした。

 弥琴はフォークをがちゃんと置く。そして、突如響いた耳障りな音に反応する周囲には目もくれず、後列のテーブルで固まって食事している女子のグループに歩み寄っていった。

 背中越しに声だけ聞いていた時は分からなかったが、グループのメンバーは全部で五人いた。その容貌から察するに、弥琴と同い年か一年下ぐらいだろう。

 あからさまな侮蔑を浮かべる彼女たちを、弥琴は負けじと眦を吊り上げて見下ろした。

「あんたたち、さっきからうるさいわね。ひそひそ声があからさますぎて耳障りなのよ。いったい何なの。人のことを魔女、魔女って失礼にも程があるでしょ。うざったいし腹立つからやめてくれない?」

 現れるなり怒り腰でまくし立てた弥琴に、最初は呑まれたようにぽかんとしていた彼女たちだったが、すぐに嘲りの入ったせせら笑いをする余裕を取り戻した。

「あら。あたしたち、あなたの名前なんか一言も出していないのに、言いがかりをつけてくるなんて。魔女っていう自覚があるのね」

 通路側で足を組んで座る女子が蓮っ葉に言い返す。着席しているにもかかわらず、その物言いや態度といい、立っている弥琴のほうが逆に見下されている気分になった。きっと彼女がこのグループのリーダー格なのだろう。

 弥琴はふんと鼻を鳴らすと、胸元まで伸びた赤みがかった茶髪をハーフアップで纏めた彼女に、心の中で継姉Aというあだ名をつけた。

「何が言いがかりよ。さっきからずっと人の顔をちらちら見ながら、あからさまに噂してたくせに。嫌らしいのはどっちよ」

「うるさいわね、魔女のくせに生意気な」

「うるさいのはどっちよ。あたしは魔女なんかじゃないわ。いい加減にしてくれない!」

 テーブルに左手を叩きつけて怒鳴った弥琴に、対立の様子を窺いながらも食事を続けていた周囲の生徒たちがびくっと震えて静まり返る。

 しかし、御伽噺によく出てくる、主人公を徹底的にいびり倒す傍ら、己の利だけはしっかり得ようと振る舞うそれを彷彿させるリーダー格の女子こと継姉Aは、激情をぶつけられても全く動揺しない。むしろ意地悪い笑みをさらに深くして立ち上がり、憤怒に瞳を見開かせる弥琴を罵るように言い放つ。

「いいえ、あなたは魔女よ。あの絵……『黄昏の魔女』に描かれた女と気持ち悪いくらい同じ顔をしてるもの。白青島には昔から、『黄昏の魔女』と『暁の乙女』の二枚の絵が同時に落ちた時、学園に大きな災厄と不幸が起こると言われているの。絵が落ちるきっかけを作った人間が、その災いを島全体にもたらすのよ」

「何それ、ばかばかしい。そんな迷信」

「いいえ、迷信なんかじゃないわ。この白青島に古くからずっと言い伝えられてきた伝説よ」

「勘違いしてるみたいだけど、あんたの言う『黄昏の魔女』とやらの絵を落としたのはあたしじゃないわ。あれは事故。留め具が外れてたまたま勝手に落ちてきただけよ。あたしはあの絵に触れてすらいないんだから、変な言いがかりをつけられたら迷惑だわ」

「いいえ、至極真っ当よ。現にあなたがここにいるじゃない。あの絵のモデルと同じ顔をした黄昏の魔女。あなたが魔女である証なんてそれだけで十分、いえ、充分すぎるほどよ」

 何だ、それは。弥琴は呆れ果ててしばらく言葉も出なかった。しかし、同時にふつふつと怒りが湧き上がってくる。本心とは裏腹に連れてこられた初めての土地で、今日が初対面の人間になぜここまで悪意と敵意をぶつけられなければならないのか。こんなにも道理の通らない理不尽に遭遇したことは一度もない。

 絶句したままの弥琴に、継姉Aは勝ち誇った笑みを浮かべる。固唾を呑んで事態を見守る周囲の眼差しが、怖々と見ていた先程よりも一層冷ややかで毒のあるものに変わっていくのを肌で感じた。

「……ざけんな」

「は?」

 継姉Aが間の抜けた声を発するより早く、弥琴はすぐ側にあった空の椅子をがんと蹴り飛ばした。

「ふざけんなーっ!」

 物と物がぶつかり倒れる音が派手にこだまし、継姉Aやそのグループの女子たちだけでなく、周りにいた生徒全員の顔から一瞬で色が失せた。

「何が黄昏の魔女よ、ばかばかしい。あんたたち、よほど性根が腐っているみたいね。ふざけるのも大概にしなさいよ、ひねくれ成金がきんちょども! あたしは魔女なんかじゃない。あんな絵なんてそもそも知らないし、モデルに似てるから云々とか言われるのも不愉快だわ。だいたい好きでこんなとこに来たわけでもないのに、来て早々の挨拶がこれ? 偏屈島に閉じ込められて頭おかしくなってるんじゃないの。人として最低最悪よ、あんたたち! 何回でも言うわ。あたしは魔女じゃない。絶対に魔女なんかじゃない。寝言は寝て言え、この根っから極悪性格女!」

 大食堂全体に響き渡る声でまくし立てた弥琴を、誰もが唖然と見つめていた。体中から湧き上がった怒りの全てをぶつけられた継姉Aは、鼓膜が痛むほどの怒声に眉と頬を引き攣らせながらも、なおも強がって侮蔑の笑みを浮かべてみせる。

「まあ、なんて口汚い。どこの馬の骨とも分からぬ者は、やっぱり底が知れるわね」

「残念、あんたの意地汚さには負けるわ。超がつくお金持ちの選ばれし子供たちってみんなこんなに性格が悪いの? 大した器でもないのに、精一杯の虚勢張っちゃってお疲れさま。言っとくけど、あたし腹式呼吸で話してるから声には自信あるのよ。何ならもう一回、完膚なきまでに怒声と罵声を浴びせてあげようか?」

 弥琴はふんと鼻を鳴らす。先程の弥琴の激怒ぶりに恐れをなしたのか、うまい応酬がすぐには出てこなかったのか、継姉Aはそれには言い返すことなく、ぐっと唇を噛み締めて黙った後、あからさまに不快げな舌打ちをして吐き捨てるように告げた。

「そこまで言うなら証拠を見せてみなさいよ」

「証拠?」

「そう、証拠。あなたが黄昏の魔女じゃないという証拠よ。そこまで言うんだったら、その矜持をここにいる全員に見せてみて。今日の夜十一時半に《青の浜》の奥にある《月の洞窟》へ行って、洞窟の奥にある祠の一番大きな御影石を取ってきて。そしてそれを明日の朝食の席に持ってくるの。それが見事できたなら、今後一切あなたのことを黄昏の魔女と呼んだりしない」

「《青の浜》の向こうの《月の洞窟》?」

「そう、《青の浜》。《夏の庭》に一番近い砂浜よ。野外劇場《アルデバラン》の崖裏にある階段を下りていって、崖伝いに歩いていけば《青の浜》に辿り着く。そしてそこから少し行けば洞窟が見えてくるわ。その《月の洞窟》の奥にある祠の御影石。三つあるうちの真ん中の大きなものを取ってきて、明日の朝食の時にここへ持ってきてみんなに見せるの」

「……要するに一人で肝試ししてきて、その度胸を見せてみろと?」

「あら、怖いの? できないならいいのよ、無理しなくても」

 継姉Aの言葉にかちんときて、弥琴は躊躇なく言い返した。

「まさか。受けて立つわ。今日の夜十一時半に《青の浜》の向こうにある《月の洞窟》へ行って、その奥にある祠の一番大きな御影石を取ってくればいいのね。分かった。やってやるわ。目にもの見せてやるから首洗って待ってなさい!」

 弥琴は突き出した親指を下に向け、ぷいと背を向けて自分の席に戻る。そして何事もなかったかのように食事を再開させ、先程の一部始終を目撃してさらにこちらを気にしてくる生徒たちの視線を無視し、足早に《ベガ》の自室へと戻っていった。

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