プロローグ
世界樹──小さな世界の中心にそびえたつ大きな大きな樹。
悠久の時を生きる世界樹には様々な言い伝えがある。巨万の富、失われた技術、湧き出ずる知識に不老不死の秘宝、そして世界樹に呑まれたという神の種族。根元に暮らす人々は口をそろえて未知への期待を語る。だがそのどれもが根も葉もない噂話。なぜなら記録も朽ちるほど昔からこの樹への挑戦は繰り返されているが、いまだに頂上へ到達したものはいない。それどころか記録に存在する最高到達点は半分程度の高さ。これらの噂はまさしく子供だましのおとぎ話なのだ。
しかし誰が呼んだか巨万の富。その呼び名だけはあながち間違いでもない。定期的に根本へ赴けば、十分に生活できるくらいの金が稼げる。樹の中へ入れば簡単に小金持ちになれる。最前線に到達すれば、そしてその地の物を得ることができれば、一生遊んで暮らせるだろう。もしも地図の外側に初めての足跡を刻んだならば──人々の野望は膨らむばかりである。
しかし忘れてはならない。調査が進まない理由は単に巨大すぎるからというだけではないのだ。世界樹には魔物がいる。樹を傷つけるものは赦さないとばかりに、世界樹へ挑む者どもを屠る。登れば上るほど強く狡猾になっていくそれらは、天才と呼ばれたものたちをも世界樹の養分へと変えてきた。世界樹の外に出てくることはないが、もし外でも暴れだしたらヒトはきっと滅ぼされる。だが魔物から取れる素材もまた、高値で取引されているのだ。
その根本に住むひとびとは誰もが世界樹を目指し進む。生きるため、浪漫を求めて、金とモノを独り占めし、残虐な欲を晴らすべく。足並みをそろえて登ってゆく。
「馬鹿どもが」
世界樹へつながる大通りに鎮座する一本の木。その木にはたくさんの窓がついている。最上階から2つ下の窓、そこから真っ赤な瞳が道を行き交う人々を見下ろし悪態を吐く。
「ほんと馬鹿」
しかしそのつぶやきは誰にも拾われることなく虚空に溶けた。艶めく真っ赤な髪が風に連れられて世界樹へと向かう。その髪を押さえつけ少女は思う。
──わたしは外に出たい。薄闇の昼間はもううんざりだ。幾重にも重なった葉のせいで、木漏れ日は暗く恵みの雨はすべて木に取られていく。
この強大な悪魔から外へ向かって歩き出せば、たった一週間足らずで外にたどり着けるのに。世界樹以上に果ての無い若葉と光に満ちた世界へ届くのに──
だが出られないのだ。世界樹の根がこの街を包み込んでいる。隙間から明るい光に手を伸ばせば、陰と日向の境目でその指が燃えあがる。わたしたちは外に出られない。この理不尽な呪いを解く鍵も世界樹の中にあるらしい。その幻の集落を見つけて世界樹の呪縛から逃げ出すこと。それがわたしの望みだから。
世界樹の命日 @PM245
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