その日、王子さまは消えました

甘雨

その日、王子さまは消えました

 王さまとお妃さまは血相を変え、方々に兵を派遣して王子さまを探します。しかしいつまで経っても見つかりません。

「ええい!まだ見つからぬか!」

 王さまが怒鳴りました。

「あの子に何かあれば、私は…」

 王妃さまは泣き崩れます。

 王子さまは品行方正、国の将来を担うに相応しい後継者として国民に親しまれ、愛されていました。数日後には隣国のお姫様との結婚式を控えており、2人を盛大にお祝いしようと国中が湧いていました。顔を知る国民はそこらじゅうにいるはずでした。しかし王子さまは見つかりません。


 ずっと、ずっと、見つからないのです。


 


 虫の声さえ聞こえない静かな夜。小さな荒屋で若い娘がそっと息を引き取りました。ボロボロの家で、隙間風が吹き荒ぶ過酷な環境のなか眠るように目を閉じた娘の顔は、どこか満ち足りていて、口元は小さく弧を描いています。 

 それを見届けた小さな影は、そっと外に出ました。


「〜♪」

 外から歌声が聞こえてきました。

「闇夜に抱かれよい子はねむる。悪い夢から解き放たれる時が来た。さあ立ち上がり、神さまのもとへ」

 女は口ずさみながら、目の前の焚き火に木を投げ込みました。焚き火は一瞬で木をのみ込み、ゴオッと音を立てて燃え上がります。

「わるい子、わるい子。間違えたきみは、小さな人形ヒトガタが崩れるまで、ずっとずっと、悪い夢を見続けると良い」

 また強い風が吹き炎を大きく揺らした頃、女の横に小さな猫が現れました。猫は言います。

「村にもう人はいないよ」

「そう」

 女はピタリと歌をやめると、小さく頷きました。

 またヒューと風が吹きます。女と猫の間を通り抜けた風は、枯れ葉をくるくると巻き込みながらしばらく踊り、やがて何かに引っかかり止まりました。そこには高そうな服を着た青年が、死んだようにぐたりと壁に寄りかかっていました。

 瞳は半開きで濁り、虚に夜空を見上げています。


 女は懐から紙を取り出すと焚き火に投げ入れ、立ち上がりました。『魔女さまへ』そう書かれた手紙は瞬く間に燃えて炭になります。

「もう行くの?」

「ここにいる意味は、もうない」

「ふぅん」

 ゆらりと闇世に溶け込むように、女は歩き始めました。

 猫は女の跡を追いかけようと数歩歩き、ふと、来た道を振り返ります。

 女が投げ入れた紙はすでに跡形もなく、燃料を燃やし尽くした焚き火はだんだんと弱く小さくなっていました。入れ替わりに、暗闇が村全体を覆い始めます。月の光も届かぬほどに。誰にも見つけられぬほどに。

「あの王子もバカだよな。───魔女の知り合いに手を出すなんて」

 猫は尻尾をゆらし、女を追いかけました。




 それから幾ばくかの月日が経った頃、鹿を追いかけた猟師が森の奥深くに迷い込む、小さな事件がありました。数日かけてなんとか生還した猟師は、酒屋で不思議な話を語ります。


「森の中に巨大な空き地があったんだ。こんな森の奥を開墾したなんて聞いてねえし、地図にもねえ。いやに奇妙だった。ひとつの村が入るくらいの大きさだ。あれは何だったんだろうなぁ…」

「そんなこと聞いたこともねぇなあ」

 話を聞いていた木こりは首を傾げました。

「おかしなことは、それだけじゃねえ」

 猟師はそう言ってくたびれたカバンに手を入れると、何かを掴んで抜き出しました。


「だだっ広い空き地にさ、これだけが、ポツンと落ちてたんだよ」


 それは少し前に消えたと噂になった王子によく似た、小さなおもちゃの人形でした。




 夕暮れ時。汽車の中で退屈そうに外の景色を見ていた魔女は、地平線の先にうっすらと青い色を見つけて、ぽつりとつぶやきました。

「海を見に行こうか」

 猫は嫌そうに答えます。

「ぼく、水嫌い」

「魚が食べれる」

「うぅぅぅ」

「貝も食べ放題」

「…まあ、海に行くのもやぶさかでないな!」


 魔女はひとつ頷くと、立ち上がって電車の窓を開け放ちます。猫は寄り添うように魔女の肩に飛び乗りました。次の瞬間、トン、と魔女が窓枠を蹴ります。


 ふわり、強い風に吹かれ舞い上がった魔女の黒い髪が、猫の視界を覆いました。猫はふと、数ヶ月前のあの真夜中の出来事を思い出しました。パチパチと燃え尽きた、あの手紙の断片を。


『こんな願い事をするのは間違えていると、わかっています。けれど私は、どうしてもこの手紙を書かずにはいられません。

 唯一の家族である妹は王子に見染められ、恋人となり王都に連れて行かれました。しかし数日前に、死にました。平民と付き合っていては、隣国の王女を娶るのに体裁が悪いと殺されたのです。

 そして先ほど口封じに、妹が生まれたこの村に兵士がやってきました。もう私には時間がありません。

 魔女さま。私は許せないのです。どうか、どうか、あの王子に罰を───』


「王子、どうしてるかな」

「何か言った?」

「何でもなーい」

「ふぅん」


 魔女はたった今飛び降り、通りすぎてゆく電車を眺めながら、どうでも良さそうに合図を打ちました。

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その日、王子さまは消えました 甘雨 @kinak01

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