第88話
数日後の昼下がり。
悠己が自宅のリビングのソファーでテレビを見ていると、部屋のインターホンが鳴った。
身じろぎもせずテレビから目を離さないでいると、すぐかたわらで携帯ゲーム機に興じていた瑞奈が顔を上げた。
「出ないの?」
「どうせセールスでしょ」
「ふぅん」
瑞奈はどうでもよさそうにゲームに戻った。悠己もテレビ画面に集中する。
流れているのは海外のテレビドラマだ。瑞奈がこの間帰宅した父にねだって契約させた動画配信サービスだったが、今はゲームで忙しいらしい。
もったいないからと悠己が見始めたところ、すっかりハマってしまった。
特殊能力のある探偵サスペンスもので、ちょうどシーズン終わりのクライマックスなのだ。
それから何度かチャイムが鳴ったが、まったくの無反応でいるとあきらめたのか音がしなくなった。
すると直後、テーブルの上に置いてある瑞奈のスマホが振動を始めた。珍しいことだ。
瑞奈のスマホに動きが、というとせいぜいゲームの通知ぐらいのものだが、電話が着信しているようだ。
瑞奈はなぜか「え?」という表情で一度悠己の顔を見た。おそるおそるスマホに手を伸ばす。
「あっ、そうだった」
画面を見るなり、瑞奈は何か思い出したように立ち上がった。スマホを手にしたままリビングを出ていく。
少しして玄関口のほうから、何やらわめき声が聞こえる。瑞奈が人を連れて戻ってきた。
「じゃ~ん! 唯李ちゃん登場!」
影がいきなり悠己の前に躍り出た。満面の笑みでダブルピースをしてくる。
「あれ? 唯李がいる……どうしたの?」
「いやどうしたのってそりゃあんた……」
「あ、ごめんそこだとちょっとテレビ見えないから」
唯李はなにか言いたげに悠己を二度見したが、そのまま素直に退いた。かたわらの瑞奈に近寄って、耳打ちを始める。
「……ちょっと! ぜんぜん寂しがってる感ないけど?」
「んふ、ギャグにきまってるでしょ」
「おい」
低い声でドスを聞かせていく。二人がじゃれ合い出した。
どうやら瑞奈が勝手に呼び出したらしい。遊ぶのは構わないが、うるさくてテレビの音が聞こえない。
「仲良しなのはいいんだけど、テレビ聞こえないから静かにして」
「ゆいちゃんがゆきくんに会えなくて寂しかったんだって」
「は、はあっ!? ち、違いますがな! 何を勝手に言ってくれてますの!?」
にまにまとする瑞奈に対し、唯李は顔を赤くして反論する。ちらりと悠己の顔色をうかがうようにすると、わざとらしく咳払いをした。
「え、えーと、そんなことよりですね! このあいだわたくし、ちょいとばかりよからぬ噂を小耳に挟みまして。何やら悠己くんが、駅前で女の人をナンパ……」
「えっ、なんでそれを……」
そのとき唐突に明かされる衝撃の事実。悠己は思わずテレビ画面に前のめりになる。隣で唯李が強気にふんぞり返る。
「ん? どうしたのかな~? 何か申し開きがあるなら……」
「なんでこの人が犯人なんだ……?」
「ドラマの話じゃなくてね。一回止めようかそれ」
「大丈夫、一応唯李の話も聞いてるから続けて」
「一応ってなんだよ。ほらその、喫茶店で……」
唯李は声のトーンを落とした。いまいち話が見えなかったが、喫茶店、というと一つしか覚えがない。
「あぁ、そのこと。あれはおいしかったなぁ」
「お、オイシイ……? そ、それはどういう……」
「瑞奈もおいしいって言ってたよね」
「うん、おいしかった」
「兄妹でおいしい!?」
喫茶店で食べたホットドッグを、持ち帰りで買ってきて食べた。
あの日の出来事を、かいつまんで唯李に話す。
「目の前でホットドッグ食われたんかあの女……」
「なんで唯李はそれ知ってるの?」
「いやそれね……ウチのお姉ちゃんだったんだけど」
「えっ……? ホットドッグ作ったのが……?」
「違うわ」
あの日は慶太郎が何かおごってくれるというからついていった、とさらに詳しく説明する。それでも唯李はどこか腑に落ちない顔だ。
「でも何か……ライン交換したんでしょ?」
「それより見て、こいつ怪しい……と見せかけておいて味方、と思わせておいて実は真犯人かも」
「もう何も考えないで見れば? ていうかちゃんと人の話聞いてる? さっきから」
横から口うるさいので一度動画を止める。携帯ゲーム機を握ったまま瑞奈が口をとがらせた。
「聞いてゆいちゃん、ゆきくんずーっとそればっかり見てるんだよ」
「老後みたいな生活してるね? 高校生の夏休みそんなのでいいと思ってる? まったく、こんな冷房効いた部屋でぬくぬくしおってからに……ねえ、ちょっと寒くないこの部屋」
唯李は稼働中のエアコンを見上げながら二の腕をさする。夏らしく薄い半袖Tシャツに、ショートパンツという肌色の多い格好をしている。
「そんな薄着してるからだよ」
「じゃあダウン着て外出てみろ」
「別にここで寒いの我慢することもないと思うけど」
「……ん? あーはいはい、この戦いについてこれないやつは置いていく系ね。それか、あ~……もしかして、あれかな? 警戒しちゃってる? 安心していいよ、夏休みの間は隣の席じゃないから。つまり隣の席キラーじゃないから」
「ふぅん。じゃ何キラー?」
予想外の返しだったのか、唯李は顎に指先を当ててしばらく考え込みだした。たっぷり時間を取ったあと、にやっと得意げな顔になる。
「夏休みの間は……そう、夏を制する……夏キラー!」
「殺虫剤みたいだね。それだけ考えて出てくるのそれ?」
「んなっ……そ、そうだよこの虫めが!」
自分でダダ滑りしておいて怒っている。
この口ぶりからすると、隣の席キラーよりもさらに直接的に殺す気らしい。
「勝手に大喜利っぽくして人が滑ったみたくしないでくれる?」
「俺のせいじゃないでしょ。でもやっぱ隣の席キラーはさ、」
「トナリノセキキラー? ってなに?」
瑞奈が不思議そうな顔で話に入ってきた。身振りをまじえながら、慌てて唯李が遮る。
「あ、ああ、こっちの話こっちの話」
「あぁ、またゆいちゃんのしょうもないギャグか」
瑞奈はどうでもよさそうにゲームに戻った。
一呼吸置いて、隣で唯李が声をひそめる。
「危な~……。ねえ忘れてない? 瑞奈ちゃんの前ではニセ彼女状態ってこと」
「あぁ、そういえばそうだったっけ」
「やっぱりな」
向こうもこんな調子であるからして、気を抜くと忘れそうになるのはいたしかたない。それならと聞いてみる。
「じゃあなんかあります? ご希望の偽恋人ムーブ」
「なんていうかね、細かい気遣いというか、そこはかとない優しさを示すというか……たとえばさっきも『大丈夫? 寒いなら冷房の温度上げようか?』とかさ」
「大丈夫? 寒いのは代謝が悪いのでは? ちゃんと運動してる?」
「気遣うと見せかけて煽ってくるのは論外ね」
悠己は立ち上がると、壁際の収納クローゼットへ近づいた。
扉を開けてハンガーにかかっていたパーカーを手に取り、ソファへ戻ってきてそのまま唯李に手渡す。
「どうぞ」
「かたくなに温度は上げないわけね」
「唯李を調節したほうが早いかと思って」
ブツブツ言いながらも唯李は「ありがと」と上着を受け取った。袖に腕を通すと、何かに気づいたように首をかしげた。
「あれ、でもこれって誰の……」
「俺が着てるやつだけど」
「えっ……」
唯李は口を半開きにして固まった。袖に通した腕を引っ込める。
「や、やっぱり大丈夫かな! なんか暑くなってきたかも!」
脱いだパーカーを膝の上で折りたたみ始めた。顔色がいくらか赤くなっていてたしかに暑そうだ。
「これじゃ暑い? じゃあもっと薄い上着は……」
「や、大丈夫、やっぱり冷房これぐらいでちょうどいいね、うん。ちょうどよくなってきた」
「なんだ。早くそっちで調節してくれたらいいのに」
「誰が変温動物だよ」
いったん落ち着くと、ふたたび悠己は動画の再生を始めた。瑞奈はゲームに夢中になっていて、静けさが戻る。
ソファに腰を落ち着けた唯李も一緒になってテレビを見ていたが、飽きたようだ。呼びかけるように口を開いた。
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