第86話
道すがら慶太郎はしきりに背後の二人を気にしているようだった。目配せをしながら、低めの声で話しかけてくる。
「正直びっくりだわ、オレ持ってるな~。やっぱこういう見た目でハッタリかましてくと違うんかね」
「いやないわぁ……。こんなのに誘われてついてくるとか……」
「お前は誰目線なんだよ」
悠己としては違和感しかない。
二人とも異性には不自由しなさそうな美人だ。逆にこちらが怪しい勧誘をされてもおかしくはない。
「今いいバイトがあるんだけど……とかってはじまるかも。気をつけた方がいい」
「……なんだよそれ? いいか? お前はオレがなんか言ったら『それな! うわ、マジウケる!』ってやってノリよく合わせろ。そんで向こうの話には、『うんうん、わかるわかる。そうだよね~』って余計なことは言わずに相槌だけ打ってろ」
何やら必死のようだが距離が近くて暑苦しい。
そのうちに目当ての喫茶店に到着した。
入店すると四人がけのボックス席に案内され、男女対面に別れて着席する。悠己の前に真希が座った。
ピークタイムから時間が外れてはいるが、席は八割方埋まっていて混雑している。
最近オープンしたばかりで学校でも話題になっていた店らしく、慶太郎が事前に目をつけていた。
席につくなり、慶太郎が我先にメニューをテーブルに広げる。
「いいですよ全然、オレが出しますんで遠慮なく」
「ん~……あたしはとりあえずアイスコーヒーでいいわ」
「私も一緒でいいよ」
二人ともいまいち食いつきが悪い。
悠己がメニューを眺めて吟味していると、慶太郎がそうそうに店員を呼んだ。
「えっと、アイスコーヒー四つで」
「あとメロンソーダとチリホットドッグ」
慶太郎に続けて悠己が差し込む。
周りの視線が集まったが、「何か?」と逆に見返してやる。
店員が去ると慶太郎がすぐさま耳打ちしてきた。
「……誰が勝手に頼んでいいって言った? なにがチリホットドッグだよそういう場じゃねえんだよ、空気読めよ」
「慶太郎さんのおごりらしいので。ごちそうさまです」
「いやお前は自分で払えよ」
なにかおごるというから今日はわざわざ出てきたのだ。話が違う。
慶太郎はわざとらしく咳払いをして、対面の二人に向き直る。
「え、え~っと、じゃあまず、お名前なんて聞いちゃってもいいですかね?」
緊張しているのか変に声が上ずっている。
少し間があったあと、慶太郎の前に座っているショートカットの女性が低い声で答えた。
「遥香でーす」
スマホ片手に投げやりな口調だ。
続けて隣の真希がにっこりと微笑みながら言う。
「真希で~す」
そして悠己の顔をガン見してくる。ぼうっと見返していると、
「真・希です!」
なぜかもう一回言った。
遥香が目を細めて真希を見る。
「……今なんで二回言ったの?」
「聞こえてないかと思って」
「聞こえてるわよ」
謎の言い合いを始めた。
慶太郎がここぞと手を打って、声を張り上げる。
「あははは! 真希さん面白いっすね~!」
「うわ、まじウケる」
先ほど言われたとおりあわせていくと、真希が睨みをきかせてきた。
その仕草を見てふと誰かを思い出しそうになったが、ちょうど飲み物が運ばれてきて悠己の意識はそちらにそれる。
おのおの飲み物に手を付けて一息つく。一度場が落ち着いた。
対面の真希は元の微笑を浮かべながらグラスを置いた。
「じゃあ、そちらの名前も聞いていいかしら」
「速見慶太郎です! ぜんぜんケイタロウでもケイタでもなんでも、適当に呼んでくれていいですよ!」
食い気味に声を張り上げるが、女性陣のリアクションは薄い。
じゃあ次、と真希が目で促してくる。悠己は何食わぬ顔で答える。
「園田です」
「え? 違うでしょ?」
「え?」
悠己は思わず目を見張る。たしかに偽名ではあるが、なぜ一瞬でバレたのか。
もしかすると相手は凄腕の勧誘員か何かで、気づかないうちに個人情報を抜かれたか。
「やはり怪しい……」
「あっ、す、すいませんこいつ成戸っていうんですよ! 成戸悠己!」
「見ず知らずの相手に本名を名乗るのは危険……」
「あのね、偽名とかじゃないから。私も、この子も」
真希は呆れ気味に言うが口ではなんとでも言える。用心に越したことはない。
「でも成戸悠己……あら? どこかで聞いたような気がするわねぇ~?」
何か思い出すように視線を上向けながら、わざとらしく首を傾げた。
慶太郎が身を乗り出してくる。
「お、おい、お前まさか知り合いなのか?」
「それな、まじウケる」
「そうだよな、お前がこんな美人と接点あるわけないもんな」
じゃあ最初から聞かなければいいのにという話。
すると黙ってストローに口をつけていた遥香が、薄く笑いながら口を開いた。
「ねぇ二人ともさ、高校生? あ、中学生?」
「いやいや中学生はないっすよ~~ひどいっすわ~! あははは!」
「うん、わかるわかる」
「そうそう、わかるわかる~……ってわかっちゃったよ、中学生じゃねえよ!」
慶太郎が二の腕に手刀を入れてくる。そしてチラっと対面二人の顔色をうかがったが、どちらもクスリともしなかった。
少し危険な沈黙が流れたので、フォローすべく悠己は慶太郎の顔を見て言った。
「それな」
「どれだよ」
低い声で肩をどつかれた。マジウケるまで言わせてもらえない。
今のですっかり場が冷え切ってしまった。取り繕うように慶太郎が声を張る。
「あーえっと、オレら東成陽高の二年っす!」
「へえ、東成陽なんだ? って言ったら真希の妹と一緒じゃん」
「え、マジすか!? まさかの妹! 真希さんの妹っつったら美人なんだろうなぁ~」
ここぞと美人、を強調する。真希が笑いながら手を振った。
「やだ美人だなんて、もう~」
「そうだよね~わかるわかる」
悠己が援護射撃を送るが、ギロっと睨まれた。遥香が口元を手で覆って、顔をうつむかせた。
「ぷふっ……なんかウケるんだけどさっきから」
「ウケないわよ、何笑ってんのよ」
「このぐらいで何を怒ってんの? 年下よ? 真希さん珍しく大人げな~い」
「はい? 怒ってませんけど?」
口ではそう言うが目つきが危うい。
空気を読まずに慶太郎が質問を浴びせる。
「じゃあ二人は大学生とかっすか?」
「そうそう、妹いるのよね~~」
真希は質問には答えず、意味ありげな視線を悠己に向けてくる。
「二年だと同級生よね~。もしかして知り合いだったりね~」
「うんうん、わかるわかる」
「いやわかってないでしょ」
キレ気味に返された。
真顔になってはすぐにまた笑顔を作る、さっきからこの繰り返しで忙しい人だ。
「お待たせいたしました」
店員が悠己の注文したホットドッグを持ってきた。
その隙を見計らって、慶太郎がこそっと耳打ちしてくる。
「お前さっきから適当に返してんじゃねえよ、コントやってんじゃねえんだぞ?」
「言われたとおりにしてるだけだけど?」
「うんオレが悪かったよ、もういいから黙っててくれ」
黙ってていいなら、と悠己はホットドッグにかぶりつく。それをよそに慶太郎は二人へ向き直った。
「えっと~せっかくなんで、ラインとか聞いちゃってもいいですか?」
「キミ、それはちょっと早いんじゃない? いくらなんでもさ~……」
「いいわ、交換しましょう」
「だからちょっと真希!」
慶太郎は嬉々としてスマホを取り出し、真希と連絡先の交換をする。
悠己が素知らぬ顔でいると、真希がスマホを突き出してきた。
「そっちの彼も」
「あ、自分はいいです」
「いいから携帯出して」
ここに来て強引だ。目が据わっている感がある。
警戒を強めていると、「じゃあオレがこいつの送っておきますよ」と慶太郎に売られた。
「うわまじ引くわー……肉食……」
遥香が冷やかすような視線を送るが、真希はすました顔でスマホをしまう。
一方で悠己はスマホに届いた通知を確認する。
「見てこれ、名前マキマキだって」
「別にいいじゃんかよ、かわいくて」
「巻き巻き……ぶふっ、めっちゃ急いでる」
「お、お前変なとこでツボってんなよ。イントネーションが違うんだよ」
こそこそやっていると、遥香が口元をにやけさせた。真顔で押し黙る真希の顔を覗き込む。
「なんか面白くなってきたかも~。あたしも何か頼もっかな~、真希は?」
真希は残りのアイスコーヒーを一気に吸い上げると、いきなり立ち上がった。カバンから財布を取り出し、そこから抜いた千円札をテーブルの上に置く。
「私、少し急用思い出したからここで失礼するわ」
張り付いたような笑顔を向けて、身を翻した。遥香が首をかしげながら立ち上がり、
「真希? もう、短気なんだからな~……」
真希の後を追って店を出ていった。
慶太郎は唖然とした顔で見送っていたが、二人の姿が見えなくなるとスマホに目を落とした。
「いや~でも、初ナンパで美女のラインゲットとか、マジオレらすごくね? 真希さんマジどストライクだわ。こうなった行くしかないよな」
ぶつぶつとうわ言のように繰り返す。やたら上機嫌である。
これから本格的に怪しいセミナーなんかに勧誘される可能性もなきにしもあらずというところだが、水を差すようなことは言わないことにした。
慶太郎は鼻歌交じりにメニューを広げだして、
「よっしゃオレもなんか食うかな~。お前の分も褒美におごってやるよ、デザートでも何でも頼め」
「じゃあチョコケーキと……ホットドッグ持ち帰りであと二つ」
「持ち帰りは反則だろ」
瑞奈にも持ち帰ってやろうという魂胆だったがダメらしい。
結局その後も慶太郎のよくわからない恋愛観などを延々聞かされ、二人でダラダラと喫茶店に居座った。
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