第85話 夏休み

 学期末のテスト勝負は唯李の惨敗という結果に終わった。

 無事お小遣い減となった唯李は、改めて打倒悠己に闘志を燃やしていた。しかしその後は何事もなく、一学期の終わりを迎えていた。


 夏休み直前の教室は浮かれた生徒たちの声でいっぱいだった。担任による伝達事項も終わり、皆思い思いに談笑をはじめた。

 比較的静かな教室の隅で、唯李は隣の席に向かって声をかける。


「明日から夏休みだねぇ~。休みなのはいいんだけど、ちょっとさみしくなっちゃうかなぁ~」


 しんみりと言いながら、横目で隣の様子をうかがう。

 聞いているのかいないのか、悠己はうんともすんとも言わずに机の中の荷物をカバンの中にしまっている。


「……ねえ聞いてる?」

「うん」

「いや、『うん』じゃなくてさ。……しばらくこうして唯李ちゃんと会えなくなっちゃうかもだよ?」

「よっしゃあ」

「なんでよっしゃあとか言う? 速攻帰る気満点だし」

「だって今日家に帰れば夏休みだよ」

「超ウキウキじゃん、何その小学生みたいな言い方」

「もう一秒たりとも教室にいたくない」

「どんだけ学校嫌いなのよ」


 しばしの別れを名残惜しむ気は微塵もないようだ。

 それだけ浮かれているのも何か理由があるのか。


「……ってことは、夏休みってなんかいろいろ予定とかあるんだ?」

「いや特にこれといって何も」

「それでなんでウキウキだよ」

「学校来なくていいし」

「だからどんだけ学校嫌いなのよ。もうやめてしまえ」

「先生、鷹月さんに学校やめろって言われたからやめまーす」

「小学生もやめろ」


 ふざけておちょくられているだけだった。

 最近、この相手にされなさ具合が以前にもまして上がってきている。


(やっぱり高々と隣の席キラー宣言しちゃったのが……)


 流れ上いたしかたなかったとはいえ、この前の凛央とのごたごたの際、「あたしは隣の席キラーだ」と言い切ってしまったのがまずかったか。

 この調子ではこの先何をしようと、「しょせんは隣の席キラーの戯言」で終わってしまう。


(これもう詰みじゃない? いや待てよ、これから夏休みということは……)


 顎に手を当て、一人長考に入る。

 薄く目を閉じて、首をひねりにひねって……ポクポクポクチーン。

 唯李さんひらめいた。


(夏休み中は学校がない。隣の席じゃない。つまり……隣の席キラーじゃない!)


「なんと、その手があったか!」とどこからか褒め称える声が聞こえてくる。

 そう、目指すべきは脱隣の席キラー。

 隣の席を連想させない、この夏休みの間こそがチャンスだ。

 

 ただ問題はこのまま夏休みに入ってしまうと、ものすごく誘いにくくなってしまうということだ。

 学校で顔を合わせてしゃべった流れで……隣の席キラー風ならいけるのだが、そうでない状態で誘いをかけるのは、とても難易度が高い。そういうの大の苦手。

 ならば今のうちに手を打っておかないと。

  

 一人会議から我に返った唯李は、目を開いて隣を振り向いた。

 意を決して声をかける。


「あ、あのさぁ、夏休みどうせ暇なんだったら……」

 

 しかし隣の席は空だった。

 いつの間にか悠己は、風のように教室から姿を消していた。


◆  ◇



 夏休みに入ってすぐの週末、悠己は慶太郎に呼び出されて駅前にやってきていた。 


「あっつ……」

「お前さっきから暑いしか言わねえよな」

「あっついなぁ……」

「わかったよ、あとでアイスおごってやるから」


 そうなだめる慶太郎の首筋も汗で湿っている。

 時刻は午後三時過ぎ。空は雲ひとつない晴天で、強い日差しが降り注いでいる。


 いつもは賑わう駅前の広場も、直射日光を避けてか人の姿はまばらだ。悠己たちも極力日なたに出ないよう駅入り口の軒下にたむろしている。

 

「なんでよりによってこんな暑い日に……」

「なかなかだよな、お前のその不機嫌さを隠さない感じ」

「そもそも俺じゃなくて園田くんを誘えばいいじゃん」

「誘ったけど断りやがったんだよあいつ。夏季講習が~……とかなんとかって。まあいいわ、あんなのと一緒にいたら寄ってくるもんも寄ってこねえだろうしな」

「虫とか寄ってきそう」

「お前なにげにひどいな」


 慶太郎は手にした扇子で悠己の顔を扇ぎながら、面白そうに笑う。


 ――夏休みこそは彼女を作る!


 一学期の終わり間際、慶太郎が急にそんな宣言を始めたのが事の発端だ。

 そもそも出会いがない、やっぱりナンパだろ、と言い出し、それに付き合わされるハメになった。


 もちろん悠己はやる気ゼロ。

 なんか奢ってやるから、との誘い文句につられてやってきたが、この暑さでは割に合わない。完全に騙された。


「その点お前は余計なことしゃべらなければ一応大丈夫」

「余計なことって何?」

「それだよそれ」

「つまりもう一言もしゃべるなと?」

「お前は黙ってオレの指示に従っておけばいいよ」


 慶太郎は頭にかけていたサングラスを下ろして、周囲に視線を走らせた。学校なら完全にアウトなレベルで髪の色が抜けている。派手な柄付きのシャツと合わせるとうさんくささ満点だ。

 悠己は改めてそんなクラスメイトの立ち姿を眺める。


「慶太のその頭は大丈夫なの?」

「余裕っしょ。夏休み終わりに染め直せば」

「染め直すんだ、ふっ」

「なんだそのバカにした感じ。わかったよ、じゃあこのまま学校行ってやるよ」

「うぉ、かっけーっすね先輩」

 

 別にどうでもいいので持ち上げておく。

 ちなみに慶太、というのは悠己だけがやる呼び方だ。


 単純に「郎」まで呼ぶのがめんどくさいという理由だったのだが、変に気に入られてしまったようだ。

 しかしよくよく思えば、学校以外でこうして彼と顔を合わせるのは初めてのことだ。

 去年同じクラスになって知り合ってから一年とちょっと。なんだかんだで付き合いは長いのだが、今回のように誘いを受けたのは初めてだ。


「ずっと前に『なにが悲しくて野郎と休みの日に遊ばないといけないんだよ』とか言ってなかったっけ?」

「いやそれはさ……これから女子を混じえて遊ぶんだろ?」

「ナンパだかなんだかしらないけど、やるなら早くしてくれない? 暑いし」

「そうは言っても誰でもいいってわけじゃねえのよ。これぞ! っていうのがなかなかいなくてだな……」

「いいから早く早く」

「早く飯食えみたいなノリで言うのやめろよ。言っとくけど、お前も一緒に来るんだからな?」


 そう言いながらも遠巻きに物色するばかりで、なかなか行動に移す気配がない。無駄に時間だけが過ぎていく。


 実はやってきてからかれこれ一時間以上こんな調子だ。

 軽々しくナンパナンパと言うから、よほどこなれているのかと思いきや、これが初めてだという。


 そもそも相手を選べる立場なのかという疑問もあるが、悠己としては「もうあきらめた、帰ろうぜ」という流れになってもらえればそれでいい。


「まあ実際な、やってみると難しさがわかるよな。現場の空気感というか」

「わかったわかった。やっぱりナンパとか無理でしたごめんなさいまで3、2、1……」

「おいなに勝手にカウントダウンしてんだよ…………あっ!」


 急にサングラスを外した慶太郎が、じっと目を凝らしだす。

 その目線は今しがた駅入口から出てきた二人組の女性を追っていた。


「どしたの?」

「いたぞ……! まさに理想の……! こりゃもう行くしかねえ!」

「ほんとに行くの?」

「行くっつったら行くんだよ! ほら、行くぞ!」


 口では威勢よく言いながら、慶太郎はしきりに悠己の腕を引っ張ってくる。

 小走りに女性二人組の背後までやってくるが、慶太郎はここにきて尻込みしたのか、なかなか声をかけようとしない。


 後押ししてやろうと物理的に背中を押してやると、慶太郎は足をもつれさせながら二人の前に躍り出た。


「こ、こんちは! あ、あのう、ちょっとお、お時間よろしいっすか!」


 引きつった笑顔を浮かべながら声をかける。行く手を阻まれた形で女性二人が足を止めた。


 一人は明るい色の波がかったセミロングヘアーに、薄手のロングスカート。

 もう一人は黒髪のショートカットに、パンツスタイルという動きやすい服装。


 片方がおとなしく優しい印象があるのに対し、もう片方はやや活発でボーイッシュな雰囲気がある。ぱっと見悠己たちより年上のようだ。


 二人は立ち止まって慶太郎をちらりと一瞥した。まるで道端の石でも眺めるようだった。立ちふさがるアロハシャツの男は見るからに怪しく不審者感がすごい。


「あのぅ、ちょっと、道を聞きたくて……」


 慶太郎は突然道を尋ねはじめた。ここで迷子のふりはかなりつらい。見ているこっちが恥ずかしくなってきた。

 そうそうに障害物を回収しようとすると、長い髪の女性が悠己の顔に目を留めた。


「……あら? あらら?」


 首をかしげぎみに距離を詰めてくる。悠己は思わず一歩後ずさる。


「あらぁ、こんにちは~」


 微笑を浮かべながら声をかけてきた。

 わざとらしい言い方のように感じたが、とりあえず悠己もあいさつを返す。


「こんにちは」


 ニコニコ顔でじっと見つめ返される。さらにこちらが何か言うのを待っているようなそぶりだ。


「……えっと、何か?」


 聞き返すと、彼女はむっと一瞬眉をしかめた。

 しかしすぐに笑顔を作って慶太郎へ向ける。


「何か、ご用かしら?」

「あ、その! もしよかったらそのへんで、お、お茶でもどうかな~って」

「お茶?」


 するとももう一人のショートカットの女性が、彼女に向かって耳元で何事かささやく。

 こちらは不機嫌そうな態度を隠さない。ちらちらと視線を送りながら、「いやいやないでしょ……」とでも言っているような気がする。というかちょっと聞こえた。

 

 とはいえそれが自然な反応だろう。

「すいません、ちょっとした罰ゲームです」とでもいってさっさと引き上げようとすると、


「いいですよ」

「えっ? ちょっと真希?」

「遥香も別にいいでしょ? ちょうど喉乾いたし」


 真希と呼ばれた彼女は、黒髪の女性を無理やり頷かせた。

 なんとなくふわふわとしているかと思ったら、ここぞで有無を言わせぬ迫力がある。


「ま、マジっすか! よっしゃやった! じゃあ行きましょ行きましょう!」

 

 慶太郎がぱっと顔を輝かせる。まさかのオッケーが出てしまった。慶太郎の先導で、一行は近くにある喫茶店に向かうことになった。

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