第84話 奇跡の92点
「中島~。成戸~」
名前を呼ばれた瑞奈は、席を立って教壇に上がった。
流れ作業で教師から答案用紙を手渡される。受け取って、席に戻った。
ブツの取り扱いには細心の注意を払わなければならない。
瑞奈は手で用紙を隠しつつ、おそるおそる得点の欄に視線を走らせた。
(……マ?)
赤ペンで、でかでかと92の表記。
一瞬受け渡しミスかと目を疑った。
しかし間違いなく名前の欄には成戸瑞奈とある。
(きうじう、にてん……?)
まさかの90点越えである。
まずは得意教科を伸ばそうという凛央の方針により、数学は重点的にやった。と言うかほぼ一点張り。一つでも高得点を取れればのちのち自信がついてくるという話だった。
たしかに手応えはあった。が、まさかここまでとは。
~30ドンマイ!
30~セーフ!
~40まあまあ。
~50なかなか。
~60やるやん。
~70超やるやん。
~80え?やってんなこれ。
~90え、引く。
90~神
(つまり神!)
いつもなら即テスト用紙折りたたみ芸を披露するところだが、今回に限ってはその必要はない。
瑞奈は堂々と机の上に用紙を広げ、気持ち椅子によりかかりぎみになる。
(とうとうやってしまいましたなあ……)
ついに神となる日が来た。
これで兄も自分を見直すことだろう。
しかしまだ落とし穴がある。ここでドヤるのは少し早い。
秘技スコア・スティールを発動。
悟られることなく、周囲のテストの点数を盗み見る。
これにより全体の雰囲気を把握し、おおよその平均点を割り出す。
72、64、88、77、95。
(勝っ、た……)
平均はおそらく70後半と見た。
平均点が95とかいうしょうもないオチではない。
(隠してる隠してる。こそこそしとるわ。かわいそうにできが悪かったのかなぁ)
通路を挟んだ隣の席を見て、にんまりとする。
瑞奈はこの気弱そうなちびっこ女子を、勝手に仮想ライバルとしている。
端っこを折って隠しているが折り方が甘いせいか、スコア・スティールからは逃れられない。
折込み名人の瑞奈からすると、手前に折り込むのは初心者。上級者は裏側に折り込む。こうすれば事故ることはない。もう一つの秘技ヒドゥン・スコア。
ところで肝心の彼女の点数はというと……84。
(……は?)
なぜその点数で隠す必要があるのか。
84は不本意です本当はもっとできるんですけどアピールか。いちいち癇に障るヤローだ。隠すようで見せつけているともとれる。
次に返された国語は45点だったがこれはノーカン。というかいつもどおり。
その次に返された英語は48点だったがこれはノーカン。というかいつもどおり。
まあまあなかなか。
そしてその日、足早に帰宅した瑞奈は、答案用紙を前に頭を悩ませていた。
誰もいないリビングで一人、92点のテストを眺める。
(いかにして最大限のインパクトを……サプライズを……)
どうやって兄に見せつけてくれよう。
じゃじゃーん、と正面きってやるのはあまりにも芸がない。
この程度で大騒ぎするような小物と思われるのもちょっと。
ここはあの隣の女子のように、隠してるけどもできてます感を演出したい。
やるにしてもあくまでさりげなくだ。
頭をひねりにひねって案を出す。
この奇跡的な出来の92点の答案用紙を……
トイレの壁に貼っておく。
おやつと一緒にテーブルにおいておく。
勝手に貼られた風を装い自分の背中に貼っておく。
悠己の財布に入れる。
悠己の枕の下に差し込んでおく。
一周回ってゴミ箱に捨てておく。
結論が出ないままに時が過ぎていく。
結局最初に出た案……トイレの壁にテープで貼り付けを行った。
もともと何もないまっさらな壁だ。すぐに異変に気づくはず。
やがて悠己が帰宅した。
リビングに入ってくるなり、テーブルにカバンを置いた。
帰りにがけにスーパーで買い物をしてきたのか、カバンがパンパンである。
悠己はカバンからまず鶏肉と玉ねぎを取り出した。学生カバンから取り出されると毎度不思議な気分になる。
「チョコあんぱ~んある?」
「ないよ」
「しいたけの森は?」
「食べたいなら自分で買ってきなよ」
お菓子のたぐいはないらしい。今日はちょっとだけ機嫌が悪そうだ。この前もなんで袋五円もするんだよと謎にキレていた。
しかしあのテストを見たらきっと手のひらを返すに違いない。
悠己はかばんの中身をすべて取り出し、仕分けして冷蔵庫に入れたあと、部屋を出ていった。
洗面所から水の流れる音がして、トイレのドアが閉まる音がした。瑞奈はここぞと出ていって、トイレの前で待機する。
しかし数十秒もしないうちに悠己は出てきた。不審そうな顔が見下ろしてくる。
「……何?」
悠己はまったく気づいていない様子。どうやら貼る位置を誤ったようだ。位置的に便座に座らないと視界に入らないかもしれない。
ということは悠己の大待ちになってしまう。それはいけない。
その後、悠己は米とぎなどをしだして、夕飯の準備を始めてしまった。
完全にタイミングを見失う。やはり罠を仕掛けてエモノを待つみたいなのは性に合わない。というか耐えきれない。
瑞奈はトイレに貼ったテスト用紙を剥がすと、キッチンへ持っていって直で悠己の目の前に付きつけた。
「この点数が目に入らぬか!」
「なに? ちょっと邪魔」
ろくに見もせずに手でのけてくる。
いつもの悪ふざけと思われているのか。オオカミ少年ならぬオオカミ少女。今後は少し控えよう。
「どうかこの点数をお目に! おなしゃす!」
いろいろあきらめてへりくだっていく。まさかここまで相手にされないとは思わなんだ。
頭を下げてテスト用紙を差し出すと、悠己はようやく紙に焦点を当てた。
すると半分寝ぼけていたような目が、ゆっくりと見開かれていく。悠己は持っていた菜箸を床に落とした。
「き、92……?」
「ゆきくん珍しくいいリアクションするね」
「な……なんだと、バ、バカな、そんな……」
「相手がまだ変身を残してたときのリアクションするね」
わざとらしすぎる。
きっとふざけているに違いないがそんなに信じられないか。
「いやぁ、しかしよくできてるなあこれ」
「偽造じゃないよ?」
悠己は目を細めて答案用紙を宙に透かすようにする。
なぜにそこまで疑うか。
「これ平均点は?」
「平均点95とかじゃないよ」
やはり鋭い。
しかし平均点は76。テストの解説中に正式に発表されたので間違いない。
「他のテストは?」
「まだ返ってきてないよ」
だいたい返ってきている。
今それを見せるとプラマイで相殺されてしまうので後回しにする。
「やっぱ凛央の力か……すごいなぁ」
「んも~! なんでそうやって! 瑞奈ががんばったんだよ!」
「冗談だよ。よく頑張ったね」
「言い方が軽い!」
「……よく、頑張ったねぇ」
「イケボっぽく言ってるつもりかもしれないけどちょっとキモいよ」
少し辛辣に返したらちょっとへこんだようだった。自信があったらしい。
向こうも向こうでちゃんと最初から素直に褒めないのが悪い。
「よし明日はチョコあんぱ~ん祭りにしよう」
瑞奈の頭を撫でながら悠己が言う。
溜飲は下がったけれど、これで終わりとなるとちょっと物足りない。
報告がてら、テストの写真を撮って凛央に見せてやることにする。自慢ついでに唯李にも。
「ドン!」と擬音付きでテストの写真をスマホで送りつける。
しばらくすると「ドン!」と同じく擬音付きで唯李から写真の返信があった。
唯李の答案用紙っぽいが、あちこち折り目がついていて点数がよく読み取れない。すぐ返信する。
『めっちゃ折り目ついてて草』
『もう職人の域よ』
『なんでこんなぐしゃぐしゃなの?』
尋ねると唯李からの返信が途切れた。
かと思えばまた『ドン!』と擬音付きで写真が送られてくる。
英語の答案用紙だ。86点。
『え、引く』
『いやそんな悪くはないでしょ』
『ゆいちゃんって頭いいんだ』
『あ、そう? 頭ゆいな感じ?』
『もっとがんばらないとな』
『どういう意味やねん』
うわぁもっと頑張ろう。
瑞奈は決意を新たにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます