第77話 隣の席キラー唯李
呼び止めたのは唯李だった。
唯李はソファから立ち上がっていた。大股にやってきて、正面から凛央に立ちふさがった。
「凛央ちゃん」
まっすぐに見つめながら、もう一度名前を呼んだ。
凛央はうつむいて、唯李の顔を見ようとはしなかった。
その胸元に向かって、唯李は手にしていたゲームコントローラーを差し出した。
「はいこれ。今日はあたしが勝つまで帰さないからね」
凛央の手を取って、無理やりコントローラーを握らせようとする。凛央はかたくなに受け取ろうとしなかった。目線を床に落としたまま言った。
「私、もう帰るから。成戸くんには今言ったけど、私は……」
「凛央ちゃんの話、聞いてたよ。なんか、変なこと言ってるなぁって」
「へ、変なことって……何よその言い方は!」
凛央が腕を押し返す。コントローラーが床に落ちて、無機質な音がした。
色の失せていた声に、感情が戻っていた。凛央はここで初めて唯李の顔を見据えると、強い口調で言った。
「私の話、そんなにわからない? もう邪魔しないから、私のことも放っておいてって言ってるの」
「なにそれ、凛央ちゃんそんなこと言って逃げるつもり? もしかして、あたしに負けるのが怖いのかな?」
「なっ、何を……。またそうやって……ふざけないで!」
凛央は声を荒げた。強く唇を噛みしめ、唯李を睨みつける。
「わ、私……やっぱり唯李のこと……き、嫌いよ! 本当は、ずっと前から苦手で……嫌だったの! 隣の席だったときから……!」
振り絞るように出した声は震えていた。
あれほど冷静で、氷のように冷たかった表情が、嘘のように揺れていた。
非難を口にしているのは凛央のはずだったが、追い詰められているのは彼女のようにも思えた。
唯李は何も言わず、じっと凛央の顔を見ていた。凛央はその視線から逃れるように、大きく首を振ってうつむいた。
「私は、一人が好き、だから……本当はずっと、面倒だって、思ってたのよ! 表向き、仲のいいふりをしてきたけども! だからもう、私に関わらないで! 話しかけてこないで!」
目を閉じて、両手のひらを握りしめて、凛央は大きく叫んだ。
それでも唯李は身じろぎもせず、まっすぐ凛央を見て言った。
「じゃあダメだね、なおさら」
「な、何がよっ!?」
「あたし、超負けず嫌いだから」
「な、何よそれは……だから何だって言うのよ!?」
「だって、あたしは……」
唯李は目線を落とし、言いよどんだ。
わずかに空白ができた。すかさず凛央は鋭くその顔を睨みつけた。けれど唯李はすぐに顔を上げた。真っ向からその視線を見つめ返して、言った。
「――あたしは、隣の席キラーだから」
はっと、凛央の瞳が見開かれる。
その瞳に向かって、声は力強く語りかけた。
「隣の席になった相手は一人残らず惚れさせるの。これまでだってずっとそうしてきたんだから、凛央ちゃんだけあたしのこと嫌いとか、そんなふうには言わせない。だから凛央ちゃんのことも絶対逃がさない。もう完全に落として、あたしのこと大大大好きにさせる。それまでずっと付きまとうから。このまま勝ち逃げしようったってそうはいかないよ」
はっきりとそう、言い放つ。
凛央は呆然としていた。我に返ったように唇を震わせ、声を上げた。
「こ、この前は違うって……隣の席キラーなんて知らないって、言ってたじゃないの! 嘘つき!」
「隣の席キラーは相手を落とすためなら、どんな嘘だってつくから。手段は選ばないんだよ」
「なっ、何よそれ! わ、私は! 前から言ってるでしょ!? 嘘つきは嫌いだって!」
「ふふっ、凛央ちゃんやっぱりなかなかの強敵だなぁ。それでこそ落としがいがあるね」
激しい反駁もものともせずに、唯李は頬を緩ませて笑いかけた。
凛央は立ちつくしたまま唯李の顔を見つめていた。返す言葉を失ったようだった。
「唯李……」
やがて口から漏れたのは、かすれた音で名前を呼ぶ声だった。
凛央は歪みかけた口元を、手で覆って抑えつけた。同時に膝から崩れ落ちるようにして、その場にうずくまった。
「どうして、そこまでして……」
伏せたまぶたから涙がこぼれた。凛央は泣いていた。
なおも繰り返し首を左右に振って、必死に否定の意を示す。
「だって……だって、違うのよ! 私には、そんな資格なんて……! ただの偶然なのよ! 唯李の……唯李の隣の席になったのだって!」
「凛央ちゃん変なこと言うなぁ。ただの偶然って、友達になるのも最初はそういうものでしょ? 凛央ちゃんは、運悪く偶然隣の席キラーの隣になっちゃったんだから、もうあきらめて」
面を伏せた凛央は、大きく肩を上下させ嗚咽を漏らしだした。
かたわらにしゃがみこんだ唯李が、背中に手を添える。今度は優しい口調で、ささやきかけるように言った。
「ごめんね、凛央ちゃん。あたしってほら、ハーレム苦手っていうか、フラグ管理とかそういうの得意じゃないから、周り見えなくなっちゃうときあるし……。だから、凛央ちゃんが一人でご飯食べてたりしてることとか知らなくて……今も、なんで凛央ちゃんが怒ってるのかよくわかってなくて」
「違うの、怒ってるんじゃないの! 最初から全部、私が悪いの! 全部、私のせいだから……」
「凛央ちゃんだけが悪いなんて、絶対そんなことないよ。そんなふうに言わないで」
「違うの、私が悪いの! もともと、私が……先生に褒められたくて、告げ口して……勝手に勘違いしたせいで! 本当は……何が正しくて悪いかなんて、どうでもよかったの! ただ褒められたくて……本当の嘘つきは私なの! だから私は、自分が嫌いなの!」
凛央はとうとう声を上げて泣きじゃくりだした。
いよいよ話が見えなくなったのか、唯李も当惑した顔で固まってしまう。
今度は頭で考えることはしなかった。
それよりも前に、条件反射的に体が動いていた。
悠己は凛央のそばにかがみこむと、ほとんど無意識に腕を伸ばして、凛央の頭を優しく撫でつけていた。
「大丈夫、俺は凛央のことすごいって十分わかってるから。なんていうか、そんなに片意地を張って無理することないんじゃないかな。瑞奈のことだって見てくれて……そういえば俺、テストのこともちゃんとお礼言ってなかった。ありがとう」
「違うの、そういうんじゃないの、私はっ……」
「でもやっぱり素直に口に出して言ってあげないと。そうじゃないと、わからないだろうからさ」
ちゃんと言ってくれないと、わからない。
それはこの前、悠己自身が瑞奈に言われたことでもあった。
かつて妹にそうしていたときのように微笑みかけてやると、凛央はすがるような眼差しでじっと見つめ返してくる。
「そうよ、素直じゃないから、嫌われるの。本当は私は強くなんてない。どうしようもなく弱くて、弱いから……ずっと逃げつづけて、一人でも大丈夫って、言い聞かせてきて……自分を正当化することしか、できなかったんだから。でも、やっぱり一人は……一人は、嫌なの……」
「そっか」
悠己は頷いて、ただ優しく頭を撫で続ける。
そうしているうちに凛央の呼吸が徐々に落ち着いてきた。おそるおそる顔を上げると、泣きはらした目で悠己をまっすぐに見据えてくる。
「私……さっきあれだけひどいこと言ったのに……怒ってないの?」
「別に怒らないよ。また勢いで変な誤解してるのかなって思ってたから。それにひねくれてる子は慣れてるしね」
ちら、と視線を唯李のほうへやると、きょとんとした顔が返ってくる。
「それにそんな弱い弱いって……ほら、凛央は隣の席ブレイカーなんだから、そんなことないよ。名前からして強そうでしょ」
「それは……。だからそれは、なんなのよ……」
「普段は怖い顔だけども、ここぞで笑顔で相手を形無しにする。それが隣の席ブレイカー。そのギャップが強力なんだって」
そう言って笑いかける。
凛央の目元から険が取れて、涙で濡れた瞳が薄く光った。
そのままお互い見つめ合っていると、いきなり横あいから唯李が体を入れてきた。悠己の手をのけて凛央の頭を撫で始め、無理やりポジションを奪われる。
「そうだよ凛央ちゃん、笑顔だよ笑顔。凛央ちゃん笑ったら超かわいい萌えキャラなんだから、だからそのなに? 隣の席……ブレイク? ギガドリル隣の席ブレイクだよ」
「違う、隣の席ブレイカーだって」
すかさず訂正を入れるが、お前は黙ってろとばかりに手で押しのけられる。
「凛央ちゃん、素直に何でも言って。そうしないとわからないことだってあるし……あたしそれで怒ったり嫌いになったりしないから」
さらに若干セリフをパクられた。
それでも凛央はまるで救いを得たように、唯李へ向かってとつとつと語りだす。
「……唯李が好きって言ったもの、こっそり勉強してもぜんぜん気づいてくれないし……。私のほうが詳しくなると知ったかしたり『なんかあれもう冷めちゃったなぁ』とか言い出すし……」
「そうだったんだ……ごめんね」
「ドタキャンするけど怒ってないよね? っていう感じで卑怯なやり方するし……ちょいちょいしょうもない嘘つくし……。小学生レベルのつまらないギャグドヤ顔でゴリ押ししてくるし……」
「そうだったんだね……凛央ちゃんの気持ち、わかったよ」
「体を触ってくる手つきが妙にいやらしいし……変な目で足とか見たりしてくるし……言動がおっさんくさいときあるし……あとゲーム超下手」
「うん、わかった、もうわかったよ」
まだまだ止まりそうになかったが、唯李は無理やり肩を抱いて終わりにしようとする。けれどここはしっかり聞いてあげるべきだろう。
「唯李、ちゃんと最後まで聞いてあげよう」
「鬼か貴様オーバーキル促すな」
睨まれた。地味に効いていたらしい。
「もしかして唯李怒ってる? 今ので嫌いになった?」
「何が~? そのぐらいで怒るわけないでしょ」
口ではそう言うが若干頬が引きつっている。
すると凛央がまた心配そうな顔をしだしたので、唯李は雲行きが怪しくなるのを感じ取ったのか、
「あっ、違う違う凛央ちゃん今のはね、その、お約束みたいな? し、しょうがないなぁ、ではここで一発わたくしめが……」
そう言って立ち上がるとソファのほうへ近づいていった。置いてあったカバンの中をゴソゴソとやりだす。
「待って、それはもういいよ」
「えっ」
先手を打って止める。おそらく大喜利手帳を取り出そうとしていたに違いない。
「なぜに?」という顔で唯李が固まる。その矢先、荒々しくドアが開閉する音がして、騒がしい足音がリビングに駆け込んできた。
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