第69話 デビル唯李
その日の夜、悠己の元に唯李からラインが来た。
正確にはリビングのテレビで配信動画の映画をダラダラ見ていて、さて寝るかというところで何気なくスマホを手に取り、ラインが来ていることに気づいた。
『凛央ちゃんになんかやったでしょ?』
『なんかやったって何を?』
メッセージを見てそう返すと、いきなり着信の画面に切り替わった。
驚いて画面をタッチしたら間違えて切った。すぐにまたかかってきたので、今度はしっかり通話ボタンをスライドする。スマホを耳に当てるなり声がすぐに飛び込んできた。
「なんで切ったよ今」
「いやいきなりかかってきたから間違えただけ」
「あ、そう。ごめんね、いきなりかけて……なーんて言うと思ったか」
「じゃ切るね」
「待った!」
耳を離した瞬間に待ったが聞こえてくる。
いたずら電話ならやめてほしいところだが。
「ねえ、凛央ちゃんのこと洗脳したでしょ?」
いきなり不穏なワード。
そういえば今日は二人で遊ぶと言っていたが大丈夫だったのか。
「……洗脳って何? 今日凛央と遊んだんでしょ? 仲良くなった?」
「もともと仲良しって言ってるでしょ? ねえとりあえず明日ヒマ? テストも終わったしヒマだよね。駅まで来て」
この有無を言わさない感じ、唯李にしてはかなり強引だ。
口調からしてなんだか怒っているっぽい。
唯李の言うとおりテストも終わったしで、明日は特にこれと言って予定はなかったが、
「明日かぁ……眠いかもなぁ」
「じゃあ寝ろ。今すぐ寝ろ」
「午後からでいい?」
「ん~~~……? じゃあ午後イチね」
要件はなんなのかと尋ねるが、明日会ったときに話すと言ってきかない。
「じゃあいいやおやすみ」と言ってぶつっと電話を切ると、「なんでいきなり切るかな!?」とメッセージで追撃が来た。キリがないのでさっさと寝ることにする。
「あれ? さっきの電話ゆいちゃん? もう切っちゃったの?」
悠己がソファから立ち上がろうとすると、隣でスマホゲームをやっていた瑞奈が不思議そうに尋ねてくる。
「瑞奈がいるからってそんな恥ずかしがらなくていいのに」
「明日ちょっと午後から出かけるから」
「あぁデートね。お盛んですなぁひゅーひゅー」
「いや別にデートってわけじゃないけど」
「じゃあ何よ」
瑞奈がぐりっと首を曲げて疑いのまなざしを向けてくる。
面倒なのでやっぱりデートということにすると、瑞奈は満足そうに頷いた。
そして急に何か思いついたように、膝を打って立ち上がった。
「そうだ! 明日みんなでテストお疲れさまパーティーしよう! ゆいちゃんも一緒に!」
今回瑞奈は数学でまさかの九十二点という高得点を取ってしまって、かなり勢いづいている。
いつもはまったくお疲れでないからか、テストが終わったとしてもそんな言葉は出てこない。
「今回のテストはまさかのゆきくんにも勝ってしまったし」
「数学だけでしょ」
テストが返却された日から、延々そればかり繰り返している。
とはいえ数学以外は軒並み平均点以下、なんとか赤点は免れるという普段どおりの残念具合。
他を捨てて一点突破したとも取れるが、一点すら突破できていなかったこれまでからするとかなりの進歩と言えよう。実際短い期間でよくやったと思う。
「でもよく頑張ったね。凛央のおかげかな?」
「りお長老により瑞奈の秘められし力が開放されたのだ」
瑞奈はえへん、とうれしそうに胸を張る。
あのあと瑞奈は凛央と連絡先を交換し、ちょくちょくやりとりをしていたようだ。
悠己を介さずに凛央が直接家に瑞奈の様子を見に来ていたこともあり、そのときも二人して部屋にこもっていた。
「パーティって言うけどどうやって? ここで?」
「ふっ、この九十二点の女にすべてお任せあれ。安心して、おデートの邪魔はしませんよ。そのあとでいいから」
瑞奈はゲームを中断して、スマホをいじりだす。
おそらく唯李にもラインを送り始めたか。
「ん~せっかくだからそれとサプライズを……」
「何が?」
悠己が覗き込むと、瑞奈はぱっとスマホを抱え込むようにして隠した。
何やら企んでいるようだが、厄介なことにならなければいいが……。
そして翌日。
ゆったり遅めに起きた悠己は、朝食兼昼飯を済ませて出かける準備をする。
出がけに「今日用意して待ってるからね」と再度瑞奈に釘をさされ、午後イチに家を出た。
あくびを噛み殺しながら歩いて駅へ。やってきたのは駅前のロータリー広場。
以前デートの待ち合わせをしたのと同じ場所だ。
天気がよいこともあり、あたりにはそれなりに人の影がある。
集合時間は午後一時、という話だったが、時間になっても唯李が現れる気配はなかった。
五分、十分、十五分……と過ぎたところで、催促の電話をしようかとスマホを取り出して操作しだすと、目の前で人影が立ち止まった。
「待たせたな……」
目線を上げる。遅れてきた唯李は、なぜか偉そうに腕組みをしていた。
スマホをポケットに戻した悠己は、特にリアクションせずに唯李を見返しながら、
「で、何?」
さっさと用件を言え、と促す。
すると唯李は無言で懐から何か取り出し、すっと目の前に差し出してきた。
「これ、使う」
「は?」
何かと思えば、どこかで見たような「いいなり」と雑に書かれた紙きれだ。
全体がしわしわで、ところどころテープで補修してある。
(これは……言いなり券?)
あのとき唯李が破いて丸めて投げてそれきり……だと思っていたが、どうやらそれを後で拾ってテープで張り直したらしい。
なんとかそこまではわかるとしても、それを悠己に突き出してきて「これ使う」とはいったいどういう了見か。
「……どういうこと?」
「これ使うの。言いなり券」
「いや使うのじゃなくて、それは唯李の言いなり券でしょ?」
「そんなことはどこにも書いてませんけど?」
「いやいやいや」
この女ふざけるときはたいてい意味不明だが、今日は輪をかけて意味不明である。
あくまで冷静に取り合わずにいると、唯李は言いなり券をくるくると細長に丸めて、鼻先に突きつけてきた。何やらそのまま鼻の穴に押し込もうとしてくるので、腕ごと手でのける。
「お? なんだ? 逆らうんかぁ?」
「やめてください」
「ん? ビビってんのか~?」
非常にめんどくさいノリ。なぜか逆ギレ気味に口を尖らせてきて、やたらと機嫌が悪そうである。しかしこんな扱いをされる覚えはない。
「昨日電話のときから変だったけど、なんかあったの?」
「なんかあったも何も、悠己くんが変なこと言ったせいで、凛央ちゃん怒り状態で暴れだしちゃってなだめるの大変だったんだからね? 落ち着かせたあとも、延々接待プレイしたんだから。あたしがあとで食べようと思ってたプリンあげたりして」
「それでなんか怒ってるの?」
「まあそれは別にいいんだけど! ていうか、あたしのことデビルとかなんとかって陰でバカにしてたんでしょ? 凛央ちゃんと二人して。あたしねぇ、そうやって裏でコソコソやられるの嫌いだから。あんまり舐めてるとねぇ、目からビーム出すよ? ガード不能のやつ」
唯李はくわっと両目を見開いて、ぐっと顔を近づけてくる。
デビルだなんだと言い出したのは凛央だったはずだが、なぜか悠己のせいにされているらしい。二人が実際どんな話をしたのかは不明だ。
おおかたまた凛央が早とちりをかましたのか、唯李の勝手な決めつけですれ違いを起こしたのか。
ひとまずこの場は一度なだめようと、悠己は唯李の顔の前で手をかざしながら、
「ごめんごめん、別に唯李をバカにしてたとかそういうわけじゃないんだけど。ただかわいそうだよねって」
「バカにしてるじゃん。どういうことよかわいそうって」
がるるると至近距離で威嚇してくる。いつにもましてやたら好戦的だ。
よく見ると普段より目元がくっきりしていて、目の周りを縁取るようにかすかに薄く黒いラインが入っている。
さらに頭には黒いリボンをくっつけて、黒いブラウスにところどころ赤の模様の入った黒いスカート、黒いニーハイソックス。
唯李の私服はたいてい明るい系の色だが、今日は珍しく暗い色でまとめている。
「今日は雰囲気ちょっと違うね。黒い服珍しい」
「そうよ、今日は小悪魔通り越してもう悪魔なの。わかる? そんなデビルデビル言うならデビル形態見せてやるよってね」
「それで黒い服? でもそういう格好もけっこう似合うね、かわいい」
「んふっ」
唯李は一瞬口元をほころばせかけたが、すぐに手で覆って隠した。
キリっと真顔を作って睨みつけてくる。
「そういうの効かないから。もう鬼の形相よデビルだけに」
「鬼なのか悪魔なのかどっち? ていうか今、素で笑わなかった?」
「笑ってませんが? ちょっと鼻から息が抜けただけ」
「それを笑うと言うのでは?」
唯李はべえっと舌を出してすぐに引っ込めた。
そしていきなり握りこぶしを悠己の肩にべちっと打ち付けてくる。
「これは凛央ちゃんのぶん!」
「痛いな、何すんの」
「言いなり拳。ふっ、言いなり券を甘く見た罰よ」
などと言ったあと、今度は手にした言いなり券でぺちぺちと悠己の頬をはたいてきた。
「言いなり券はもういいって言ったよね? めんどくさいって言ったよね~?」
「意外と根に持つね」
「反省してる?」
「してるしてる」
「ほんと? じゃあはい」
再度言いなり券を突き出してきて、最初の流れに戻る。
悠己は盛大にため息をついてみせるが、唯李はじっとこちらを見つめたまま、無言の圧をかけてくる。
「まったくしょうがないなぁ……」
「はい、しょうがないいただきました~!」
悪魔のわりにやたらテンションが高い。溢れ出る小物感。
しかしまあ、こちらはあくまで優しく見守ってやる立場にいるわけだから、ある程度のわがままには目をつぶるべきだろう。
こうやって相手をしてやることで、多少なりとも唯李のメンタルがよい方向へ向かうのであればそれもいいかと悠己は思い返した。
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