第59話 お弁当再び

 その日、すっかり帰宅の遅れた唯李は、自分の部屋にカバンを放ると、着替えもせず足音を殺して姉の部屋の前に立った。

 こっそりゆっくりドアノブに手を伸ばす。たまにはお返ししてやろうという狙いだ。しかし手を触れる寸前でぐるっとノブが回り、勢いよくドアが開いた。


「ひっ」

「何をしてるのかな? 人の部屋の前で」


 真希がぬうっと顔を見せる。 

 唯李は及び腰になりつつも、手にした伊達メガネを突き出す。


「これ、もういらない」

「飽きるの早。まあうまくいくわけないってわかってたけど」


 じゃあ早く止めんかいぼけぇ。

 と口から出そうになったが、そうすると失敗を認めてしまうことになる。ここはこらえる。


 しかし冷静になってみれば昨日今日とどうかしていた。

 メガネかけて頭いい! なんて小学生でも五分で飽きるやつだ。


「なんていうかね、強化系が具現化系に手を出すようなものでね。つまりメモリの無駄遣い……かな」

「なんかカッコつけてるけど要するに負けたのね」

「相手の土俵で勝負するなんて愚の骨頂よ。そんなのより強みを押していこうと思ってね」


 帰宅途中考えに考え、改めて強みを洗い出した。

 これまでの戦績を鑑みて、効果があったもの。それすなわち。

 唯李はぐっと腕を曲げて二の腕を叩く。


「まあ女子って言ったら、こっちよこっち」

「アームレスリング?」

「ちゃうわ」


 女子の腕といえばもちろん料理。

 料理といったらお弁当。


「初心に戻るっていうかね、結局そこに帰ってくるわけ。原点にして頂点というか」

「意外にそれぐらいしかなかったことに気づいたのね」

「んもうまたそうやって! もうお姉ちゃんにお弁当作ってあげないから!」


 勢いよく踵を返して、大股に自分の部屋に戻る。

 しかし真希がすぐにあとからひっついてくる。ベタベタと腕を触ってきて、


「待って待って~。お姉ちゃんはねぇ、唯李ちゃんのいいところい~っぱい知ってるよ」

「……たとえば?」


 尋ねると、真希の手がすっと下のほうから伸びてきた。

 唯李はすかさずその手首をがっと掴んで、


「どうせこのケツがって言うんでしょ」

「ケツとは言わないけどね。言い方よくないよね」


 もうすっかり手口は読めているのだ。これ以上相手にしている時間はない。

 唯李はしっしと真希を追い払うと、自分の部屋に戻りながら、あらためてお弁当のレシピを考える。


(強み……料理……お弁当……ケツ……尻……臀部? でんぶ? そういうこと……?)

  

 ◆  ◇


 その次の日の朝は、唯李が遅刻ギリギリになって登校してきた。

 椅子を引く音でちらっと隣へ視線を送ると、昨日一日引っ張っていたはずのメガネが見る影もない。


 悠己が「メガネは?」という意味を込めてじっと唯李の顔を見てやるが、当人は「何か?」とばかりに何食わぬ顔で席に座っている。


「……今日メガネは?」

「一晩寝たら視力回復した」


 凄まじい自己再生能力。

 あまりにきっぱりと言い切ったので、これ以上詮索するのもどうかと思い触れないでおく。


 そんなことよりも今はテスト勉強だ。

 やはり家に帰ってしまうとどうにもはかどらない。瑞奈に引っ張られてサボり気味になってしまう。

 少しでも取り返さねばと机に向かう。

 しかしその矢先、おもむろに横から唯李の手が伸びてきた。差し出されたのは花柄の布に包まれた箱状の物体。


「何? これは……爆発物?」

「お弁当。あげる」

「え? なんで?」

「や、なんかその、お騒がせしたかなっていうお詫びの意味を込めて」

「何を?」

「いやだから、あれよほら……そう、昨日の石のお礼!」

 

 なんだか無理やりこじつけた感がする。

 相変わらずよくわからなかったが、もらえるならラッキーなので余計なことは言わずにもらっておく。

 お弁当をカバンの中に押し込むと、身を乗り出してきた唯李が小声で、


「でんぶはいってるよでんぶ」

「はあ?」

「またまたぁ。好きなんでしょ?」


 などとブツブツ言っているが意味不明なのでスルー。

 それにしてもずいぶん余裕のようだが、よほどテスト勉強が進んでいるのか。



 そしてお昼休み。

 さっそく唯李からもらったお弁当を取り出していただこうとすると、またも唯李の席に女子がひとりふたりと集まってきた。


 こうなるとここでおもむろに弁当箱を広げて食べるのはなんとなくやりづらい。

 さらにこの女子集団の……特に約一名から強い視線を感じるのだ。こちらのリアクションが気になるのかなんなのかわからないが。


 やがて隣がぺちゃくちゃとうるさくなってきてしまったので、耐えきれず悠己はお弁当を持って席を立つ。

 せっかくのお弁当なのだから、静かなところでゆっくり食べたい。

 そう思った悠己は、ふとこのあいだの例の場所に行こうと思いつく。


(凛央は……いないだろうなきっと)


 まさか毎日あそこで食べているというわけでもないだろうし。

 そんなことを思いながら昇降口から外に出て、校舎の裏手へ。

 悠己も二度目なので勝手知ったるだ。


 突き出たコンクリート部分をいくつかまたいで、さらに奥まったところの角を折れて、難なく到着。


「あ」


 ……いた。

 まるで定位置のようにコンクリートのくぼみに行儀よく座り込んだ凛央は、漫画本を片手におにぎりを頬張っていた。


 凛央はちら、と悠己に向かって一度目を上げたきり、すぐに漫画に視線を戻した。

悠己はそんな凛央の態度も気にとめず、傍らに腰掛ける。


「あ、会心撃の巨人だ」


 凛央が読んでいるのは、この前出かけたときに唯李が新刊を買っていた漫画だ。

 しかしよくよく見れば、手にしているのはどこかでレンタルした漫画のようだった。


「お店で借りてくるぐらいだったら唯李から借りればいいのに……」


 そうこぼす悠己を無視して、凛央はひたすらもくもくと目でコマを追っている。

 ページをめくるのもやたら早い。まるで一人で速読選手権でもしているかのようだ。


「……それ面白い?」

「面白いわよ」

「いやその読み方」

「台詞はちゃんと全部読んでるわよ。内容もばっちり理解してるし」

「いや、そういうんじゃなくてさ……」

「唯李が好きだからって言うから、話があうように勉強してるの」

「テスト勉強しなよ」

「勉強はもういやっていうほどやってるの。その……一人で暇だから」

 

 最後に付け加えた一言が哀愁を誘う。

 凛央は食べかけだったおにぎりを口に放り込んで、それから一度悠己の顔を見て、


「本読みながら食べるなんて行儀悪いか。まあ一人だったら気にしないんだけど」


 本をしまいながら言う。まるでお邪魔が現れたとでも言わんばかりだ。

 その傍らには、広げられた布の上にお弁当箱が置かれていた。


「それは?」

「私が自分で作ったお弁当だけど」

「自分で作ったの? お弁当作れるんだ」

「バカにしてるの? お弁当ぐらい別に難しいことないでしょ。作る時間があるか、やるかやらないかの話であって」


 凛央はこともなげに言う。やはりハイスペック。

 味のほどはわからないが、きっちり同じ大きさに切りそろえられた卵焼きと、ぴっちり同じサイズに握られた俵おにぎりが整然と詰まっている。


 他にもほうれん草のおひたしとひじきの煮物、こちらも見た目がよくしっかり仕切りの中に盛られていて、さながら何かの見本のようだ。


「な、なにジロジロ見て」

「なんか、お弁当にも性格が出るのかなって」

「どういう意味それは」


 凛央が怖い顔になってきたのでそれ以上は何も言わず、悠己は持参した唯李の弁当を手にしてふたを開ける。

 するといきなり、どかーんと眼前に桃一色が飛び込んできた。


(これは……ハート型時限爆弾……?)


 ハート型に盛られたご飯の上の桜でんぶが、弁当全体にあちこち飛び散って引火している。

 先ほど悠己が爆発物と言ったのも当たらずとも遠からずだったようだ。

 持ち運んでお弁当を揺らしてしまったのも悪いが、そもそもでんぶ入れすぎ問題。


 爆発の直撃をくらって「新手の嫌がらせか……?」と悠己が固まっていると、凛央が何事かと覗き込んできた。ぱたっと一度ふたを閉じる。


「何で閉じるの」

「いやちょっと」


 凛央のお弁当の横で、はたしてこれを見せていいのものか判断に悩む。

 だが当の凛央は、なにか勘違いしたのか急に優しい口調になって、


「……そうよね、こんなところで寂しくお弁当だなんて、作ってくれたお母さんに申し訳ないわよね」

「お母さんは今はいないけど」

「……え? あ、ご、ごめんなさい」

「いや別にいいけど」


 というかよくぞそんなブーメラン発言を……と思ったが、凛央は自分で作っているからお母さんは関係ないと言えば関係ない。

 まあ仮に母が作ったものだとしても、別に申し訳ないとは微塵も思わないが。


「ということはそれは……成戸くんが自分で作ったの?」

「いやこれは唯李からもらった……」


 と正直に言いかけて、ちょっとまずったかなと思う。

 案の定凛央は目の色を変えて身を乗り出してきて、


「ゆ、唯李のお弁当……? ち、ちょっとわけてもらえない……」

「イヤ」

「なら交換しましょ交換!」

「無理」

「一口、一口!」

「しつこいなあ」


 本当にしつこいので仕方なくふたを開けて、惨状を見せつけてやる。

 ちらしでんぶ弁当を目の当たりにした凛央は、真顔で悠己の顔を見つめてきて、


「なにこれは」

「これはまあ、ちょっと揺らしちゃったからね」

「おいしそうじゃない。その肉巻きちょうだい」


 しかしさして気にしていないようだった。強い。

「ひとつだけね」と言うと、凛央は素早い箸さばきで肉巻きをかっさらって口に運んだ。目を閉じてゆっくりと咀嚼を繰り返し、じっくり味わっている。


 うっとりヘブン状態の凛央を尻目に、悠己も散らばったでんぶを一箇所に集めつつ、お弁当に箸をつける。


「ちょっと! もっと味わって食べなさいよ!」

「そんな一口ごとにちんたらやってたら食べ終わらないよ」

「じゃあ私にわけなさい。食べてあげるから」

「なぜそうなる」


 もうこれ以上はやらん、と体で弁当をガードすると、凛央は恨めしげに睨みつけてきた。


「ていうかそれ、よくよく考えたら嘘でしょ? 私をからかうための。だいたい彼氏でも何でもない相手に、唯李がお弁当なんて作るはずがないわ」


 それはまったくもっておっしゃるとおりだ。

 しかし本当に唯李が渡してきたのだからどうしようもない。 


「……でも妙なのは、確かに唯李の味なのよね……。前にわけてもらったことがあるからわかるわ」

「このでんぶが?」

「いやでんぶは抜きで」

「味覚えてるのか……」

「そうやって引き気味に言うのはやめなさい。意外に覚えてるものよ」


 味覚もハイスペックだということか。 

 しかしこうなると別の意味でちょっと怖い気もする。

 うるさいので食べるペースを気持ちゆっくりめにすると、凛央はいよいよ不審そうな目つきで詰め寄ってきた。

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