第56話 インテリ唯李

 その日の夜、唯李の自室。

 ベッドの上でうつ伏せに肘を付きながら、唯李はスマホに保存された写真を何枚か行ったり来たりさせて、一人ニヤニヤとしていた。


 その写真とは、こっそり瑞奈が送ってきた悠己とのツーショット写真だ。

 二人でソファによりそうようにしながら、唯李が悠己の肩に頭を預けている一枚。

 眠たげな悠己の寝ぐせ頭を、唯李が櫛でとかしている一枚。

 その場では止めに入ったものの、ちょっとこんなの送ってこないでよぉとラインでは返したものの、かなりいい感じに撮れていてこれは瑞奈GJと言わざるを得ない。


(これはもう付き合っていると言っても過言ではない……)


 と思っていたのにだ。

 しかしこの状況はいったいどういうことか。


(思わぬところに伏兵が……)

 

 あの二人、どうにも様子がおかしい。二人とは、もちろん悠己と凛央のことだ。

 凛央とは今でこそ仲良しだが、去年隣の席になってすぐは大変だった。


 なぜかいつもピリピリしていて、基本無口で無表情で顔が怖い。

 話しかけてもほとんどリアクションがなくて、かと言って宿題をやっていなかったり少し遅刻でもしようものなら、ブツブツとお小言が始まる。

 席が隣になる前から、凛央はクラスでもそれなりに悪い意味で注目を集めていて、唯李の中でもちょっとした要注意人物だった。

 

 去年凛央は風紀委員をやっていたこともあり、あちこち周りを注意して回っては噛み付いていた。細かいことを言い出したらキリがない。

 中でも記憶にあるのは、授業中スマホでゲームをやっていた男子を凛央が突然注意しだして、ちょっとした騒ぎになったことだ。

 その結果もちろんスマホは没収。

 凛央を擁護する声は皆無だった。

 当人同士だけでなく、その男子の友人グループともかなり険悪な雰囲気になっていた。どころかクラス全体からはれもののような扱いを受けていた。

 そして凛央本人はどこ吹く風。気にもとめていないようだった。


 さすがにこの人と仲良くなるのは無理かも。

 とさしもの唯李も席替え当初はひるんだが、そんな相手だからこそ余計に嫌われるわけにはいかない。

 持ち前の明るさとノリのよさを発揮して、とにかく根気強く話しかけた。晴れの日も雨の日も、宿題忘れた日も予習やってなかった日も遅刻した日も。


 凛央攻略は依然として難航したが、突破口を開く糸口はささいなことからだった。 というのは何かの拍子に脇をつついたら、くすぐったかったのか凛央がいきなり口元を緩めて笑ったのだ。

 笑顔を見たのはそのときが初めてだったが、それがまあかわいい。

 普段ムスッとしてるけど、笑うと超かわいいとか萌えキャラじゃん……そう思えるようになってからは、徐々に苦手意識も薄れていった。それからはもう押せ押せである。


 とにかくあれやこれやと悪戦苦闘の末に、やっと仲良くなったというのに。

 かたや悠己は一週間かそこらのうちにあの調子とは、いったい何をどうしたというのか。


(あの男、実はコミュ力オバケか?)


 そのわりに、相変わらず他の女子と話したりするような素振りはない。凛央だけ特別なのだ。

 自分が凛央を呼び寄せたのが発端ではあるのだが、まさかこうなるとは夢にも思っていなかった。


(黒髪のクールなキレイ系……。もしかしてああいうタイプが好み……?)


 本人はあまり自覚がないようだが、凛央は唯李の友人の中でも群を抜いて美人と言えよう。


(しかも意外にいい感じなんじゃないのあの二人……?)


 今日のゲーセンでの一幕を見てもそうだが、悠己は妙に凛央を気にかけているフシがある。

 さりげにいつの間にか凛央と下の名前で呼び捨てにしていたり、そののち適当に駅周辺をブラブラしたときも二人でコソコソやっていたりと、非常に怪しい。


 たしかに凛央は少しばかり性格に難のある部分はあるが、それ以外は特に非の打ち所のないハイスペック美少女である。悠己がそこまで過剰な気遣いをする必要などないと思えるのだが。


(むしろ唯李ちゃんをもっとかまえよ~~もぉ~~!)

 

 凛央のほうから悠己を……というのはちょっと考えられない。

 彼女の口から恋愛だとかそういったたぐいのワードが出たことはこれまで一度たりともなく、避けているフシがあるというか、そもそも興味がなさそうなのだ。

 

 となるとやはり悠己のほうがちょっかいを出しているに違いない。

 あの男、かわいい子と見るやすぐに目移りするのでは……という疑いが唯李の中でもたげ始めている。


「この、このやろこのやろ!」


 スマホの画面に映る悠己の顔を、指先でツンツンツンとつつきまくる。

 意味もなく画像ズーム、ズームアウトを繰り返しながら唸っていると、


「どしたの唯李、便秘?」

「ヒィっ!!」


 突然耳元で声がして、びくっとスマホを取り落とす。

 猫のようにベッドから跳ね起きて、身構える。パジャマ姿の真希がニコニコ顔で傍らに立っていた。

 ドアの開いた音も、足音も、気配さえもしなかった。


「出たなアサシン……」

「ふっ、貴様はすでに死んでいる」

「それぜんぜん違うけど」


 警戒する唯李をよそに、真希は勝手にベッドの上に腰掛けて、天使のようなぽわぽわスマイルを向けてくる。


「なにか悩み事? お姉ちゃんに相談してみなさい」

「んー……相談ていうか、ちょっと髪伸ばそうかな~、なんて」

「絶対似合わないからやめなさい」

「なぜ言い切る」

「私ロング好きじゃないの」

「あんたの好みは聞いてない」

 

 間近で視線が交錯して、早くもバチバチと火花が散る。

 かと思えば真希は余裕たっぷりに頬を緩め目を細めて、唯李の髪を手でなでつけてきた。


「むしろ唯李はもっと短いほうがいいんじゃない? ほら、可愛い男の子みたいな」

「気持ち悪い性癖」

「唯李ちゃんちょっとさっきから口悪いかなぁ~」


 シュバッと伸びてきた手が、ぐにぃっとほっぺたをつねりあげてくる。

 結構痛い。いやかなり痛い。


「ご、ごめんらはいぃ……」

「でも急にそんなこと言いだすなんて、何かあったのかな~?」

「べ、別に……」

「何かあったな?」


 唯李はふいっと顔をそらすが、真希はわざわざ回り込んで顔を覗き込んでくる。

 急に鋭くなった瞳はじっと唯李を捕らえて離さず、お前の考えなどすべてお見通しとでも言わんばかりだ。

 観念した唯李はぎゅっと目をつむると、がばっと真希の胸元に飛び込んだ。


「おねえちゃぁああん!!」

「おーよしよしどうしたどうした」


 真希に体を抱きとめられる。例によって尻を鷲掴みにしてきた手を払いのけて、


「とんだ伏兵だよぉ、このままじゃ負けるよぉ……」

「……今度は何と戦ってるの?」

「小悪魔系じゃないかもしれないの」

「は?」

「つまりかっこいい女。賢い。クール。デキる女」

「ふ~ん……?」


 かなり断片的だったが、それだけで真希はなんとなく察したのかうんうんと頷く。


「ライバルが現れてそれで切羽詰まっていると」

「対抗するためにはこっちもフォームチェンジしないと……」

「知的キャラに? それは無理ね」

「なんで」

「だって無理でしょ」

「なるほど」


 無理なもんは無理。納得。終了。

 しかしさすがにそれでは味気ないとでも思ったのか、真希は唯李の目元を指さして言った。


「じゃあとりあえずメガネでもかけてみたら? まずは形だけでも」

「そっか! まずは形からね!」

「伊達メガネあるから貸してあげる。かわいいの」


 一度部屋を出ていった真希は、数分後メガネを手に持って戻ってきた。

 赤いフレームの丸みを帯びた長方形のレンズで、いわゆる真面目くんメガネではなく少し洒落たふうである。

 唯李は嬉々としてメガネを受け取ると、早速目元にかざしてみせる。


「デュワッ!」

「何そのかけ声」

「えっ、知らないの?」

「知らないわよ何それ変なの。そういうとこよ唯李、それがダメなのよきっと」


 冷めた口調でダメ出しをされたが、むしろそっちこそ何もわかってないなと思う。

 まったくこれだからお姉ちゃんは……とブツブツ言いながらも唯李はメガネを装着する。


「ちょっとガバガバじゃない? これ」

「顔が大きくて悪かったわね」

「どう? いけてる? 頭良さそう?」

「ん~~~……」


 真希は口をへの字にして腕組みをした。どうも煮え切らないリアクション。

 唯李はテーブルの上の手鏡を取り、自分の顔を照らす。


「わっ、いい! これ絶対頭いい! 頭よい! 頭ゆいだよ!」

「頭ゆいってすっごい不安になるわね。頭が唯李なんでしょ?」

「見て見て! インテリ唯李ちゃん爆誕! クイっ、クイっ、メガネクイーっ!」


 メガネの中央を指で押し上げて、繰り返しメガネクイっをしてみせる。

 真希はしばらくその様子を無言で眺めていたが、急に優しい目になって微笑むと、


「唯李が楽しそうで何よりよ」

「ありがとうお姉ちゃん! これで目にもの見せてくれる!」

「うんうん、よかったね。ところで唯李、そろそろテストなんじゃないの? 勉強はいいの? そんなことやってる場合?」

「大丈夫大丈夫、まだあわてるような時間じゃない」


 テストに関しては、凛央という心強い味方がいるのだ。

 取り急ぎテストに出そうなとこノートをいい感じに作ってくれる、というのでお願いしてある。

 それにメガネ効果によって頭良くなった感もある。つまり余裕。


「キラーン。どう光ってる?」

「光ってる光ってる」


 これは勝つる。次の学校が待ち遠しい。

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