第53話 かわいいチャンス


「図書館で勉強とかあたしも聞いてないんだけど?」


 マンションを出て道路に出るなり、唯李がぼやいた。そしていきなりこの仏頂面である。

 テスト前なのだから何もおかしいことはないのだが、なぜか「勉強とかそんなんありえないんだけど?」とでも言いたげな口調。


「さっきのは瑞奈の手前ね、話がややこしくなると困るので」

「どういうこと?」

「まあ、こっちの話」

 

 万が一「瑞奈も行く!」と始まってしまうといろいろと台無しなのである。

 とりあえず唯李には行き先はヒミツ、ということにして、悠己が先立って路地を歩いていく。

 すぐ隣をうってかわって上機嫌な唯李が、足取り軽くついてくる。


「ねぇねぇどこ行くの? ヒミツってことは、もしかしてあれかなぁ? すごいサプライズ的なものがあるのかなぁ~?」

「やっぱイデオンが最強だよね」

「サンライズじゃねえぞ言っとくけど」


 そんな会話をしながら、コンビニのある大通りの角へとさしかかる。

 するとちょうどその目の前を、白いワンピース姿の女性が横切った。


 まっすぐに下ろした長い黒髪と、すらりと伸びた手足に白のコントラストがよく映える。

 まるでモデルのようなプロポーション。歩いているだけでも人目を引きそうだ。只者ではないオーラを放っている。男性ならば、みな思わず目を留めてしまいそう。


「ちょっと、目。目線」


 すっと手のひらが横から伸びてきて視界を塞がれた。

 目線が気に入らないらしいので唯李の顔に向けると「こっちみんな」と言われた。どうしろと。


「あらっ。唯李じゃないの、どうしたのこんなとこでぐうぜ~ん……」


 そのとき非常に聞き覚えのある声がした。

 振り返るとワンピースの女性――凛央がぎこちない笑みを浮かべていた。

 唯李が驚きに目を瞬かせる。


「え、凛央ちゃん……?」

「ふたりとも、ぐ、偶然ね~。びっくりだわよ~……」


 まさかの遭遇……かと思いきや、実は驚きでもなんでもない。

 今回は凛央と示し合わせて、うまい具合に鉢合わせするように仕向けたのだ。

 

 つまり偶然出会ったふうを装い、「じゃあ一緒に遊びましょうか」の流れに持っていくという作戦。……まあ作戦というほどのものでもないが。


 それにしても凛央の変わりようには驚きだった。

 目元がいつもよりぱっちりとしていて、唇にもやや赤みがさしている。どこぞのモデルか何かのお姉さんかと見違えた。


 しかしその見た目にそぐわずひどい挙動不審である。口調からして不自然だった。きょろきょろと目線が落ち着かず、せっかくのクールビューティー感が台無し。

 演技下手くそかと思った。やはり素人には名女優唯李のような真似は難しいか。


「……こんなとこで何してるの?」

「えっ、あ……」


 唯李に尋ねられ、いきなり悠己に助けを求めるような視線を送ってきた。

 まさにノープランの極み。頭脳明晰な凛央のことだから、そのへんもきっちり作り込んでくるのだと思っていたのに。


 もちろん悠己側もノープランなので、自分でなんとかしての視線をそのまま返す。

 凛央は目線をあちこちにさまよわせたあと、なぜかコンビニを指差しながら、


「あ、あ……」

「あんまん?」

「いや、そのっ……」

「おでん?」


 ただ口をパクパクさせてラチがあかなそうだ。とりあえず話をそらそうと悠己は間に入っていって助け船を出す。


「いやぁすごいきれいでびっくりした。見違えたよ」


 そう言ってやると、凛央にしては珍しく恥ずかしそうにうつむいた。

 とはいえお世辞ではなく正直な感想である。


「服が違うとけっこう印象が変わるね」


 改めて上から下に凛央の全身を見下ろしていくと、視界の端にちらちら唯李の顔が見切れる。

「何?」と聞くと、唯李は自分のスカートの端を軽くつまんでみせて、


「これは?」

「服」

「ずいぶん視点のお遠いこと」


 こちらも何やら模様のついたスカートにシャツ、透けるような薄手の白いカーディガンを羽織っている。

 なるほど悠己とは違い、毎回違う服を着ているようだ。つまりそういうことかと思い、


「うんうん、唯李もかわいいよかわいい」

「遅いんだよなあ……かわいいチャンス何回あったと思う?」

「十三回」

「そんなにあった? 不吉な数字選ぶね?」


 割って入ってきた唯李と言い合いになる。

 ふと凛央を見ると、話に入ってくるようなことはせず、うつむいたまま棒立ちで黙っている。


 何をじっと見ているのかと思ったら、なぜか道に落ちている何でもない石を凝視していた。

 これはいかんとすぐさま凛央に向き直る。


「ちょうどいいや、凛央も一緒に行こうか」

「うぇっ?」


 唯李が奇声を上げながら悠己を見た。驚いているようだがこちらこそびっくりだ。

 予定では「わーいいねいいね、凛央ちゃんも一緒に行こう!」とテンション高めにはしゃぐのだと思っていたのに。


「うぇって、友だちでしょ?」

「そ、そりゃそうだけど……」

「え、嫌なの?」

「い、嫌なんて言ってないじゃない!」


 じゃあその煮え切らない態度はいったい何なのか。

 目に見えて凛央の顔色が悪くなっていく。今にも逃げ出さんばかりだ。

 その様子に気づいたのかいや気づいていないだろうが、唯李は凛央の手を取って、


「仲良しだもん! ねー!」


 これみよがしにぐっと両手で握りしめて、ぶらぶらと前後に振ってみせる。

 すると凛央の頬にどんどん赤みがさしていく。


「もう悠己くんなんて置いて二人でいこっかぁ!」


 何か機嫌を損ねたのか、唯李の口調が少し刺々しい。行こっかぁ、とは言うがどこに行くつもりなのか。 

 実は行き先はヒミツというか、今日の予定は最初から凛央任せで何も考えていない。しかし二人で行くというなら、それはそれで悠己の目的は達成だ。

 手を上げて身を翻す。


「じゃ、俺はこれで」

「いやちょい待てい! なんなの!? 行き先はヒミツってなんだったの!?」

「ごめん、別にどこに行くとかって考えてたわけじゃないんだよね」

「……は?」


 唯李は口を開けて固まった。殺気に近い何かを感じたので、すぐさま凛央に話を振ってごまかす。


「凛央はどこに行くつもりだったの?」

「え、ええと、図書館でテスト勉強しようかと……」


 まさかの嘘から出た真。

 唯李が一瞬「ないわー」みたいな顔をした。だからなぜそう露骨に態度に出すのか。

 当然凛央も不穏な気配を感じ取ったらしく、


「え、えっと、唯李は……」

「いやぁその、勉強道具とか……持ってきてないし?」

「そ、そうよね! せっかくの休みにテスト勉強とかやってる場合じゃないわよね!」


 二人とも来週テストだということを忘れているかのような口ぶり。


「勉強はいいから、今日はパーッと遊びましょ、パーッとね!」

 

 凛央は変なテンションでいきなり握り拳を突き上げた。必死に唯李に合わせようとしているのか、明らかにキャラがおかしい。

 本来なら勉強やらないとダメでしょ、と怒るキャラのはずだ。しかし唯李はそれで満足したのか、うんうんと頷きながら、


「凛央ちゃんと遊ぶの初めてだから、なんか不思議な感じ~」


 やはり初めてだった。あっさりボロが出た。


「それで、何して遊ぶの? どこ行く?」

「え、ええとねえ……」


 凛央は口ごもると、またしても悠己に目線を送ってきた。

 パーッと遊ぶと言われても、休日に同級生と遊びに出かけるようなことが基本ないので、悠己も勝手がイマイチわからない。

 ゆえに遊べない、という負のスパイラルに陥っている。そしてそれはおそらく凛央も同じなのだろう。


 パス、とすかさずアイコンタクトを返すと、凛央は「ひえっ」とでも言わんばかりに背筋を伸ばした。目線だけで圧倒した。いつもの眼力はどこへいったのか。

 凛央はしばらく視線をさまよわせていたが、


「そ、それは……ゲ、ゲ……」

「ゲゲゲ?」

「ゲ……ゲームセンター? とか……?」

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