第47話
翌朝、登校した悠己が自分の席でテスト範囲の問題集を解いていると、女子の輪から戻ってきた唯李が声をかけてきた。
身をかがませて悠己の机の上を覗き込みながら、「朝から精が出ますなぁ」と余裕そうな笑みを向けてくる。
なんでこいつこんな余裕なんだ……? と唯李の顔をじっと見返していると、「そんな見とれちゃって、どうかした?」とにやにやしてくる。
あまり気は進まなかったが、一応昨日の瑞奈のことを話してみる。
「……まぁ要するに、ニセ彼女の件がちょっと疑われてるのかなっていう」
「う~ん、そっかぁ~……」
唯李は難しそうな顔で顎に手をあてて唸る。
いくら隣の席キラーといえど、こうなってくると面倒事には変わりない。
そっけない反応もやむなし、と思っていたが、
「まぁでも、あたしがまた悠己くんちに顔出せばいいんでしょ? おっけーおっけー」
唯李は指で輪っかを作ってみせた。意外にも乗り気である。そのへんは徹底してくるらしい。
しかしすぐに思い出したように表情を曇らせて、
「ん~、でも今日凛央ちゃんと勉強する約束してたんだけどなぁ~」
「いや、それだったらそっち優先で全然いいんだけど」
「まあ瑞奈ちゃんのためだからしょうがないよね~。しょうがないか~」
と言いながらスマホを取り出して何やら操作しだした。
もしかして凛央に断りでも入れているのだろうか。それだとこちらが割り込んだようで悪いと思い、
「でも先に約束してたんでしょ? ふたりはマックスハートなんじゃなかった?」
「そうそう、そういうドタキャンかましてもオールオッケーな間柄なの。ほら、凛央ちゃんも『全然大丈夫気にしないで!』って」
唯李がスマホの画面を見ながら言う。もう返信があったらしい。
なんだか体をブルブルさせて地団駄踏んでそうなイメージが浮かんだが、実際どうなのか。
しかし本人がそう言うのなら、おそらく大丈夫なのだろう。
放課後、唯李とともに帰宅する。
一緒にリビングに入っていくと、ソファーに深く腰掛けてスマホをいじっていた瑞奈がぱっと身を起こして、パタパタと駆け寄ってくる。
「わ~! ゆいちゃんだゆいちゃ~ん!」
まさか本当に来ると思っていなかったのか、瑞奈はキラキラと目を輝かせて唯李に抱きついていく。
いつの間にかの好感度マックス。悠己はやや困惑気味にこっそり唯李に目線を送る。
「……唯李と瑞奈ってそんな感じだったっけ?」
「そうそう、唯李ちゃん人気者だから。泣く子も黙るってやつよ」
「それなんか意味違くない?」
そういう本人もこの熱烈な歓迎にちょっとびっくりしている感がある。
ベタベタとまとわりついてくる瑞奈に対し、若干腰が引けてしまっている。
「おほ~お尻やらか~」
「ち、ちょっと! 瑞奈ちゃん!」
前回の一件やら何やらがあって、瑞奈の中でなにか変化があったのだろう。
単純にこいつはいける、と舐めきっているだけなのかもしれないが。
瑞奈はさわさわと唯李のお尻を撫で回しながら、
「ゆきくんもやってみる?」
「おっ、いいの?」
「ダメに決まってんだろ」
「何をさらっと乗っかろうとするわけ?」と唯李に睨まれてしまい本人OKが出ない。
瑞奈が不満そうな顔をして、唯李につっかかっていく。
「え~付き合ってるのに~?」
「そ、そういうのはまだまだ先なんです! 健全なお付き合いですから!」
唯李がしっしっと手を払う仕草をすると、瑞奈は口をとがらせながら悠己のそばに逃げてきた。頭に手を置いて撫でてやる。
「今日はちゃんと服着てるね。えらいぞ」
「えっへん」
瑞奈はすまし顔でにやりとしてみせる。
Tシャツにハーフパンツという部屋着ではあるが、上下ともにしっかり着衣している。
これに関しては注意しても一向に改善しなかったので、なるべく褒めて伸ばす方針にした。
瑞奈にしてみたら服を着ているだけで褒めてもらえるので、とてつもなくハードルが低い。
「下着つけないでいると、さらなる解放感が得られることに気づいた……」
「もっと頑張りましょう」
褒めて伸ばすのもそう簡単ではない。
瑞奈は悠己と唯李の手を同時に片方ずつ取ると、「そんなことよりふたりとも立ってないで座って座って!」と言って腕を引いて、ソファに座るよう勧めてくる。
さらにせわしなく動き、一度台所に引っ込んだかと思うとグラスに飲み物をついで持ってきた。お茶のようだが二つとも水かさがバラバラ。
瑞奈はそれをテーブルの上に置くと、
「どうぞ、ごゆっくり。お勉強頑張ってね」
優しい笑顔を残してリビングから出ていった。
まるで自分が母親にでもなったような態度だが、一番勉強を頑張らなければならないのはお前だぞと言いたい。
それにしてもいったいどういう風の吹き回しか。
なんとなく瑞奈が出ていったリビングの入り口付近に視線を送ると、ちらちら陰から覗き見ている顔と目があった。
瑞奈は一度頷くなり、ぐっと握りこぶしを振りかざして「今だやれ、いけ!」とジェスチャーをしてくる。
昨日も「付き合ってるなら、もっとこう……スキンシップがね」というようなことをブツブツ言っていた。
どうやらニセ彼女の件を疑い始めている……というよりか、単純に仲が全然進展しないのが気に入らないらしい。
ちなみに隠れセコンドをする瑞奈は、角度的に唯李からも丸見えである。
案の定隣で苦笑いされた。代わりに弁解を入れる。
「なんかその、このままだと俺が唯李に振られるんじゃないかっていう心配をしてるらしくて……」
「へ、へえ~……それはお兄ちゃん思いだこと。それで?」
「要するにこう、ちょっと軽くスキンシップをしてみせればいいのかなと」
「す、スキンシップ? そう言ったって、何を……」
「んー……じゃあ前みたいに、無難に膝枕とか?」
お互い顔を見合わせて、謎の沈黙が起こる。
唯李は何か言いたそうだったが結局口にはせず、こほん、と咳払いをすると軽く座り直して姿勢を正した。意外にもオッケーらしい。
かと言ってこの状況で嬉々として膝に飛びこむのは少しためらわれる。
「なんかちょっと恥ずかしいな」
「へ、へえ……悠己くんにもそういう感情あったんだ……」
「人をロボットみたいに言うのやめてくれる? 妹に見られてると思うとちょっとね」
「そりゃそうね。マニアックなプレイみたい」
視界の端では、ガッツを見せろと瑞奈が両こぶしを握ってポーズをしてくる。
はいはいわかりましたよと、横倒しに頭を唯李の膝に乗せると、頬に体温と柔らかい感触が伝わってきた。
さらに太ももに顔を押し付けるようにぐでっと脱力すると、やや動揺気味の声が頭上から降ってくる。
「ち、ちょっと、そういう寝方……?」
「これが一番太ももの肉の感触を味わえるんだよ」
「な、何その変態っぽい解説! ていうか変態でしょ!?」
「そんな騒ぐこともないでしょ、たかが膝枕ごときで」
「なんかもうすっかり慣れてんなおい」
下から仰ぎ見ると、唯李はぷいっとそっぽを向いた。
と同時に頭がガクガクと揺れ始める。
「はい一回二回さんか~い」
「リフティングやめて」
「軽い頭だなぁ~。中身空っぽかな~?」
たまらずぱっと上半身を起こす。
無言で顔を見つめると、唯李は軽く首をかしげながら、
「あれ、怒った?」
「わりと」
「わかりづらいな」
すると「ああんもう何やってんの!」と言わんばかりに拳を振り下ろす瑞奈の姿が目に入った。
さらにその視界を塞ぐように唯李が身を乗り出してきて、少し気がかりそうな表情で顔を覗き込んでくる。
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