第46話 応援

 帰宅後、悠己はいよいよ本格的にテストに向けての勉強を始めることにした。

 普段の授業はわりかし適当なことが多いが、テストに関しては毎回それなりの点数になるよう仕上げることにしている。

 勉強はしっかりやっているから大丈夫、と父に無用な心配をかけないようにするためというのが大きい。


 テストまで残すところあと約十日。

 最近は少しサボり気味だったため、今回はなかなかテスト勉強が難航しそうだ。

 リビングのテーブルで教科書やノート類を広げ、改めてテスト範囲の確認を始める。


「ねえねえゆきくふぅ~ん……」


 その矢先、背後からこっそりにじり寄ってきた瑞奈が、甘ったるい声を出しながら首筋に息を吹きかけてくる。

 生暖かい風を感じながらも、悠己は微動だにせず視線を落としたまま、


「邪魔しないで」

「邪魔じゃなくて応援してるの」

「応援しないで」


 もろもろ相手をしてもらえないのが気に入らないらしい。

 瑞奈は置物になっていたバランスボールを引っ張り出してきて、ばいんばいんやって転げ落ちて「ちゃんとして」とボールに文句をつけた挙げ句、マジックで目と口を書き込んでパンチして一人で爆笑していたが、悠己はひたすらガン無視していた。


「ゆきくんもコークスクリューパンチしてみる? 面白い顔になるよ」

「瑞奈もそろそろテストでしょ? ふざけてないで勉強しなよ」

「ごほっ、がはっ」

「なんでいきなり咳き込むわけ?」


 正直言って瑞奈の勉強の成績はあまり……いやかなりよろしくない。

 一時期授業から大きく遅れを取ったことで、ただでさえ頑張らなければいけないのに本人に危機感がまるでない。


「友達を作りをがんばるとは言ったけど、勉強はなにも言ってないし聞いてません」

「また屁理屈を。じゃあ友達はできたの?」

「と、友達は……いまがんばってるの! なんにもしてないわけじゃないんだからね!」

「ならその調子で勉強も頑張って」

「二つ同時に命令は聞けません。それにはスキルレベルが……ゆきくんのテイム力不足です」


 またわけのわからないことを言ってごまかそうとしている。

 瑞奈はその話はもういいとばかりに顔を上げて、


「それより今日のご飯は?」

「今日はスーパーかコンビニで適当にお弁当買ってくればいいか」

「えー、なら牛丼がいい!」

「いいよ駅まで行くの大変だから」

「牛丼牛丼!」


 すっかりお気に入りになってしまったようで、そのうち全種類制覇すると豪語している。

 無視しようにも十秒に一回「牛丼」とささやいてくるので、まったく勉強に集中できない。


 このままだとうるさくてしょうがないので、結局一緒に買いに出ることになる。

 連れ立って徒歩で駅の牛丼屋までやってくると、なんやかやで七時近くになってしまった。飯時にもいい時間だったので、


「もうここで食べていこうか」

「おうちで食べる」


 お家大好き人間。

 周りに人がいるとゆっくり落ち着いて食べられないとかなんとか。

 持ち帰りで二人分購入し、来た道を気持ち急いで戻ると、瑞奈が曲がり角にあるコンビニの前で立ち止まった。


「デザート買いたい」

「結局コンビニ行くんかい」

「だいじょうぶお金ならある」


 この前父に「別に毎週わざわざ帰ってこなくてもいいよ」と言ったら余分に小遣いをもらったらしい。これぞ瑞奈流錬金術。

 背中を押されてコンビニに入店すると、瑞奈はデザ―トが並ぶ棚でしばらく吟味したあと、その中の一つを手に取った。


「お菓子も買っていい?」

「ちょっとだけね。早くして」


 すると「やったぁ」と言って瑞奈はカゴにあれこれ入れてきて、結局デザートとお菓子だけで会計が千円を越えた。

 ちょっと、という言葉に大きな認識のズレがあるらしい。


 帰宅後、瑞奈とともに食卓を囲んで遅めの夕食となる。

 瑞奈は「うましうまし」とネギ玉牛丼をかきこみ終わると、プリンに生クリームとフルーツの乗ったデザートを冷蔵庫から取り出してきて、「一口食べたい? ねえねえ」みたいなお約束をやって、十二分に時間をかけてゆっくりと平らげる。

 早いところ晩飯を済ませて勉強に取りかかろうとしていたのだが、「お風呂入ってくるね」と言って出ていった瑞奈がどたどたと戻ってきて、


「ゆきくん瑞奈のパンツどこやったの?」

「瑞奈の部屋にひっかかってるよ」

「え~うそぉ、なかったよ~?」


 といちいち手を煩わせてくる。

 そして湯気をまとって風呂から出てきたかと思ったら、今度は下着姿のままドライヤーを持ってきて、


「ゆきくん髪乾かして~」


 こうしてガリガリ時間が削られていく。

 悠己自身も入浴を終えて、やっと勉強に手を付けようとすると、ソファに寝転んだ瑞奈がこれみよがしに大音量でテレビを流し始めた。


「……ちょっと音小さくしてくんない? それか消すか」

「うむ、この音量師瑞奈にお任せあれ。オンリョウ退散!」

「変わってないけど。ていうかわざとやってる? さっきからずっと」

「なにが?」


 不思議そうな顔で首をかしげる瑞奈。

 これだけやって邪魔をしているという自覚がないのはそれはそれで問題だ。


 こういうときに自分の部屋にこもれないのがきつい。

 悠己の部屋というか寝室は、大きなベッドが面積のほとんどを占めていて、机もなければ勉強ができるようなスペースもない。

 かたや瑞奈の部屋にはしっかり勉強机があるのに、ほとんど使われていないという。


「瑞奈の部屋使わないなら貸してくれる? そして入ってこないでくれる?」

「やだもう、中で何するつもりなのゆきくん……」

「勉強だよ」


 ぴしゃっとそう返すと瑞奈はむむっと口を結んだが、すぐに切り返してくる。


「それはそうとゆきくん、ゆいちゃんは?」

「は?」


 口をぽかんと開けた悠己の顔を、瑞奈がぴっと指差してくる。


「だから、なんで毎日ゆきくん一人で家に直行で帰ってくるの?」


 そして人差し指をそのまま悠己のほっぺたに突き立て、つんつんとやってくる。

 瑞奈には建前上、唯李とは恋人同士という関係で通っている。

 どうやら彼氏彼女というのは、四六時中一緒にいるものだと思い込んでいるようだ。


「あっ、もしかしてゆきくん振られたんじゃ……。やっぱりゆっくりちんたらしてたらダメなんだ……つかの間の夢なんだ……」

「違う違う。テスト前だから忙しいんだよいろいろお互い」

「そう言って二人はすれ違っていくのであった……」

「だから勉強しないとダメなんだって」 

「一緒に勉強すればいいじゃんここで」


 瑞奈が指で真下を指差す。

 要するにまた唯李を家に連れてこい、ということらしいが……。


「ここで? どうせ邪魔するでしょ」

「やだなぁ。そんな野暮なことはしませんよ」

「そんな余計なことばかり気にしてないで、いいから勉強しなよ」

「えぇ~……じゃあゆいちゃん来たら勉強する」

「本当に?」


 うんうんうんと瑞奈は激しく首を上下に揺する。

 前回のときのように、案外第三者の言葉のほうが素直に聞き入れる……なんてこともあるかもしれない。


(だけどできるかぎりウチのことはウチで……唯李にあんまり迷惑かけるのもなぁ)


 隣でテレビを見ながらケラケラ笑い出した瑞奈を尻目に、悠己はそんなことを考えていた。

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