第44話 隣の席キラーからの刺客

 その翌朝。

 いつもより少し遅めに登校してきた悠己が昇降口にやってくると、隣の下駄箱のからにぎやかな騒ぎ声が聞こえてきた。


「おはようございます! 凛央さんカバンお持ちします!」

「ぶはは、それどこの番長だよ!」

「お前らもちゃんとあいさつしないと怒られんぞ~。退学だぞ~」

「くすくす、なにそれウケる~こわ~い」


 ぎゃははは、と男女数人のやかましい笑い声が遠ざかっていく。

 下駄箱の前には一人だけ残された女子生徒が、黙々と靴を履き替えていた。

 何気なく視線をやると、バタンと下駄箱の扉を閉めた彼女と運悪く目が合ってしまう。


 さらりと伸びた黒髪に、我の強そうな目。面にはなんの表情もない。

 よくよく見れば女子生徒は昨日の、かの隣の席ブレイカー……凛央だった。普段は番長キャラらしい。また因縁をつけられてカツアゲでもされたらたまらんと、そそくさと靴を履き替えて逃げ出そうとすると、


「ちょっと、待ちなさい」


 呼び止められてしまった。

 凛央は腰に手に当てて目の前に立ちふさがる。


「成戸くん、だったわよね。ちょうどいい、君に少し話があるの」

「今月は厳しいので勘弁してください」

「……何が?」

「話ならここでどうぞ」

「いいからちょっと来なさい」


 かなり強引だ。変に逆らえない雰囲気。

 言われるがまま、人気のない特別教室の並ぶ廊下の前へ連れて来られる。

 凛央はカバンからスマホを取り出すと、軽く操作して顔の前に突きつけてきた。


「これはどういうこと? ずいぶん仲が良さそうだけども」

 

 画面に映っていたのは、制服姿の男女がコンビニ前の路上で向かい合っている写真……のようだ。

 腕ガタガタで撮ったのか、写真がブレていて何がなんだかよくわからない。


「これは……残像拳中に撮ったやつ?」

「……何それは。しらばっくれるつもり? これは君と、唯李よ」

「これが俺と唯李……? なんでそんな写真持ってるの?」

「それは……その、タレコミがあったのよ。その筋から」

「どの筋?」

「なんでもいいでしょ。それよりもこれ……もしかして、成戸くんと、唯李って……つ、付き合ってる……のかしら?」

「そんなわけないじゃん」


 ここで「今は妹の前でだけニセ彼女」だとか余計なことを言う必要は一切ない。

 にべもなく返すと、凛央はおそるおそる……といった表情からわずかに頬を緩めた。


「なるほど付き合っているわけではない、と。じゃあこれはどういう状況?」

「たまたま一緒に帰っただけだと思うけども、いつだかはわからないなぁ」

「たまたま? おおかた隣の席になったのをいいことに、君が無理やり唯李のことを誘ったんでしょ?」


 どうやらいろいろと誤解を受けているらしい。

 その口ぶりから察するに、凛央は隣の席キラーのことは知らないように見えるが……ここは一つ確かめてみるべきか。

 

「そっちこそ唯李に告白したの?」

「は、はあ? こ、告白って何が!?」


 さすがの隣の席キラーも、同性に告白させる、というところまでは徹底していないようだ。

 しかし今後百パーセントないとも限らないので、念のため釘を刺しておく。


「告白しても絶対振られるからやめたほうがいいよ」

「当たり前でしょ? だいたい女同士でなんでそんな……」


 凛央は心底不審そうな顔をしたが、何かに気づいたように顎に手を当てて、


「なるほど……ということは、そっちは告白したいけど振られるのが怖くてできない……という状況かしら? ボロを出したわね」

「いや別にそういうわけでは……」

「ふん、どうだか。一応忠告しておくけど、唯李はモテるのよ? 君のことなんて眼中にないぐらいにね」

「それは知ってる」

「けど唯李は誰にでも優しいから……つまり君は唯李の優しさを勘違いして、調子に乗っている、ということなの」

「優しさ……?」

「だから変に恥をかきたくなければ、これ以上唯李につきまとうのはやめなさい。話しかけられても無視して、『俺は他に友達たくさんいるから。今は女より野郎たちとバカしてるほうが楽しい』とでも唯李に言いなさい」

「それはなぜ」

「唯李の負担になっているのよ。君のような勘違いの輩をいちいち相手にするのも」

「勘違いの輩……」

「……どうして人の顔を見て言うの? とにかく私の言うとおりにしなさい。クオカードあげるから」


 凛央はカバンをゴソゴソやって財布を取り出した。

 中からカードを取り出すと、一枚差し出してくる。

 カツアゲどころか逆に五百円分のカードをゲットした。思わぬところでラッキーだ。


「やった」

「意外にものわかりがいいじゃない」


 満足げな顔をした凛央とその場で別れて、教室へ向かった。

 自分の席につくなり、すでに着席していた唯李がさっそく話しかけてくる。


「おはよー。お勉強の調子はどう?」


 いつもどおりの笑顔だ。

 しかしカードを受け取った手前、五百円分は無視しないといけないだろう。

 悠己は問いかけには答えず、ふいと目線をそらして窓の外を眺める。


「あれー無視ですかー?」

 

 さらに無視。 


「虫ですか~?」


 窓枠に羽虫が止まっている。

 スマホを取り出していじりだすと、


「無視すんな」


 とうとう唯李が消しゴムをちぎって投げてきた。

 しかしもったいないことに気づいたのかすぐにやめて、悠己と同様にスマホを触りだした。

 するとすぐさまスマホの画面に通知が来る。唯李からメッセージだ。


『むしすんな』


 とてもしつこい。

 話しかけられても無視しろ、とは言われたが、文字でのやり取りは禁止されていないので、


『唯李はかまってちゃんだね』

『あ?』


 続けて「しばくぞ。」と書かれた変なスタンプが送られてくる。


『あたしが、かまってあげてるの』

『おかまいなく』

『あーわかった。押してダメなら引いてみろみたいな?』

『そもそも押してないし』

『せやな』


 唯李がスマホ片手にジロっとやってくるが、こちらはなおも無視。


『でもこういうのってアレだねー。こっそりやりとりするカップルみたいねー(ニヤリ』

『指がムダに疲れる』

『そうやってすぐ破局させる』

『いいからテスト勉強すればって思う』

『ほんとブーメランだよ。頑張れば唯李ちゃんを言いなりにできるかもチャンスなのに』

『お手』

『先走らないでくれる?』

『やはりストッキングか』

『それ昨日一晩考えてわかった。頭にかぶせる気でしょ』


 そこで返信をやめると、唯李はとうとう我慢の限界に達したのか身を乗り出してきた。


「ていうかなんでしゃべらないわけ?」

「俺は他に友達たくさんいるから。今は女より野郎たちとバカしてるほうが楽しい」

「ウソつけ」

 

 食い気味に否定された。

 しかしこれで言われたとおり五百円分ぐらいは働いただろう。


「よし」

「いや『よし』じゃなくて、何その言わされてる感満点なやつ。どうせあれでしょ、速見くんとかに……罰ゲームかなんかで」

「いや違う、あの人……名前忘れたけどあの……」


 名前なんだっけ……と悠己が一度天を仰ぐと、


「あ」


 当の本人の顔が窓の外に見切れた。

 

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