第43話 哀れな被害者

「いいじゃんいいじゃ~ん。おせーておせーて」

「もう~しょうがないわね~」


 耳に飛び込んできたのは、いつもの調子の唯李と、まるでさっきとは別人のような凛央の声。

 こっそり横目で盗み見ると、席の傍らに立つ凛央はニコニコと頬を緩ませていて、本当に別人なのではないかと疑ってしまうほどだ。


「ちゃんとノート取ってないの? ダメじゃないのもう唯李ったら」


 そう口で言いつつも、うふふふ、と微笑を絶やさない。

 椅子に座った唯李も甘えるような口調で、しきりに凛央の腕を引っ張ったりしてベタベタしている。


「ねえねえ悠己くん、いいでしょ~秘密兵器」


 唐突に唯李が話を振ってきた。

 凛央の手首を引っ張って、びろーんと持ち上げている。

 どうやら今朝言っていた秘密兵器とは彼女のことらしい。


「四組の凛央ちゃん。ちょー頭いいんだから。テスト勉強教えてもらうんだ~、これで勝つる!」


 唯李が話している間も、なぜかずっと凛央からジリジリと鋭い視線を当てられる。

 なんだか怖いのでなるべく見ないようにしながら、


「へえ、二人は仲良しなんだ」

「そらもうマックスハートよ。りぼんでもちゃおでもないよ」

「もぉ何言ってるのよ唯李ったら!」


 と言いつつ凛央は満更でもない様子。口を結んだりにやけたりと忙しい。

 見た感じ唯李にはずいぶん心を許しているようだが、よほど深い縁があるのだろうか。聞いてみる。


「二人って、もしかして子供の頃からの知り合いとかそういう?」

「ううん、そういうんじゃないけど……去年同じクラスで隣同士の席だったんだよね~。女の子同士でラッキーって」


 どこのクラスも席順は基本男女交互の並びだが、人数か何かの関係で偶然女子同士になった、ということらしい。

 となると別段長い付き合い、というわけでもなさそうだが……。


(……待てよ、隣の席?)


 ピクッと悠己の眉間にシワが寄る。

 二人のなかよし度は実際どうでもよかったが、そうなってくるとがぜん話は変わってくる。


(隣の席キラーVS隣の席ブレイカーの壮絶なバトルはすでに勃発していた……?)


 そしてすでに終焉を迎えていると考えるのが妥当。

 二人のこの様子から察するに、勝敗は火を見るよりも明らか。


(つまり彼女は……隣の席キラーの前にもろくも敗れ去り、すでに完落ちしている……?)


 というのが自然に導き出される答え。

 どうやら隣の席キラーは、男女の見境なく暴れているらしい。


「隣の席キラー恐るべし……」

「……何をしかめっ面してるの?」


 そして当の唯李はまるで素知らぬ態度。

 こうやって凛央を目にするのは初めてのことなので、普段から特別仲良くしている、というわけでもなさそうだ。

 となると凛央はテスト前に秘密兵器扱いされて呼び出され、体よくこき使われているという図が嫌でも浮かび上がる。


(哀れな被害者がまた一人……)


 彼女もまた、隣の席キラーの手の内で踊らされているに違いない。

 悠己がかわいそうなものを見る目で、凛央に視線を送っていると、


「さっきから何をじろじろ見ているの? 何か言いたいことでもあるわけ?」


 きつく返された。うって変わってこの冷たい口調である。

 もちろん言ってやりたいことはあるが、しかしまさか唯李の目の前で「あなた騙されてますよ」とやるわけにもいかないだろう。


 すでに洗脳済みであるからして、どのみち彼女が悠己の言を信じるとは思えない。

 すると何か険悪な空気を感じ取ったのか、唯李が席を立ち上がって、


「こら、だめだよ凛央ちゃんほらまた! そんな怖い顔したら~!」


 凛央の背後に回り込み、背中から両腕を回して、ぎゅっと抱きついてみせる。


「にゅっ!?」


 凛央の口から、未知の生物の鳴き声らしきものが飛び出た。

 みるみるうちに頬が耳がおでこが赤く染まっていく。


「ちょ、ちょっと唯李、や、やめなさいったら!」

「よいではないかよいではないか~」


 背中にしがみつくようにした悪代官唯李が、ひょこっと顔をのぞかせてくる。


「ほら、凛央ちゃん実は萌えキャラだから。怖くないよ?」

「顔真っ赤だね。唯李に負けず劣らず」

「は、はあ? あたしがいつ顔赤くしたよ?」

「しょっちゅうしてるじゃん」

「それはただの熱血です。攻撃力二倍やぞ」


 などとよくわからないことを言いながら、唯李は凛央の髪の毛の先をさわさわと指先で遊ばせ始める。


「この髪もつやつやのさらっさらですよ。いいでしょ~これ、あたしが髪伸ばしてみたらって言ったの」

「へえ、俺もやってみていい?」

「ダメに決まってんだろ」


 冗談で言ったのに真顔で鋭いツッコミをくらった。

 唯李はこれみよがしに凛央の髪に顔を近づけて、鼻をひくつかせる。


「くんかくんか、あ~いい匂いするんじゃ~。どうだ、うらやましいだろ~」


 鼻息荒くドヤ顔を向けられさすがにちょっと引いてしまう。ここぞとばかりに仲良しアピールなのか知らないが少しやりすぎでは。

 凛央は騒ぎ立てる唯李を手で制すると、改めて悠己を睨んでくる。


「ねえ、さっきからその……人のことを哀れなものでも見るような目は何?」


 こちらは相変わらず敵意たっぷりの視線。

 すかさず唯李が慌てて間に入ってきて、凛央の顔の前で必死に手を振りだした。


「ほら凛央ちゃん、ダメでしょまたそうやって!」

「そこの男が気に障るような目でじっと見てくるから」

「いやまぁ、彼はちょっと変わってるからね。ほら悠己くんも、ちゃんとごめんなさいしないと」

「ごめんなさい」

「ほら、根はいい子なんですよ~よしよし」


 唯李は宙で悠己の頭を撫でる仕草をしてみせる。

 だがそれを見た凛央の顔は緩むどころかさらに引きつった。怖い。


(やはり彼女も相当荒んでしまっているな……)


 唯李を見守り更生させると決めたからには、被害者のアフターケアも責務のうちだ。

 さしあたっては凛央にも同じ隣の席キラーの被害者たちを紹介してあげるのがいいかもしれない。

 こちらを覗き見ているであろう慶太郎と園田のいる教室入口付近を指差す。


「あそこに仲間がいるからさ、よかったら一緒にどう?」

「……は?」


 ギラっとした目つきで、凛央が戸口のほうを振り返る。

 誰もいなかった。二人ともすばやく身を隠したらしい。


「……仲間がなに?」

「いや、あそこに……」


 ともう一度視線を送ると、慶太郎が必死に「もうよせ戻ってこい」と手招きをしている。

 遠目に見ても凛央の威圧オーラが危険だということなのか。


「ちょっと失礼」


 やはり無策でやり合うには厳しい相手だ。

 一度慶太郎たちの元へ戻ると、「お前あんまムチャすんなよ」と迎え入れられる。

 しかしすぐに二人ともやや興奮気味に顔を見合わせて、


「いやでも見たかよ? 驚きだな、花城もいつもあんなふうにニコニコしてりゃだいぶ違うだろうに」

「うむ。普段相当疎まれているらしいがあの笑顔は……アリだな。あの笑顔でアメとムチをうまく使い分けられたら、注意されたとおりなんでも言うことを聞いてしまうかもしれぬ。それこそまさしく精神を破壊して相手を言いなりにする、隣の席ブレイカー……」


「なるほどそれが隣の席ブレイカー」と悠己は園田の言葉に感心して頷くが、慶太郎がすぐに渋い顔をして、


「いや待てよ、さっきから何が隣の席ブレイカーだよ無理くりだろそれ。だいたいオレの隣の席キラーパクリやがって、センスのかけらもねえわ。なあ悠己」

「え? いいじゃん隣の席ブレイカー。響きがかっこいい。強そう」

 

 そう返すと、慶太郎は目頭を押さえて黙ってしまった。


「さっきから何をこっちを見てヒソヒソしているの? 目障りなんだけど?」

 

 そして気づけば凛央が目の前に立っていた。厳しい目つきで悠己たち三人を見回したあと、なぜかまた最後に悠己で目を留めた。

 すかさず園田の顔を見て、そちらに視線を受け流す。


「花城凛央。ここで会ったが百年目……」


 ここぞと園田が一歩踊り出た。ねちっこい笑みを浮かべて、凛央に詰め寄る。


「こうして相まみえるのは初めてかな? そう、僕が園田賢人だよ」

「……誰?」


 そっけなく返される。園田は一瞬沈黙しかけたがめげずに、


「目に入れたくないのもわかる。君の目の上の瘤とも言える存在……学年トップの男を」

「誰? 邪魔なんだけど」


 軽くあしらわれるがそれでも引こうとしない園田の腕を、慶太郎が慌てて横から引っ張る。


「おいもうよせ、邪魔だって」

「認識したくないというのもわかる。どうあがいても、もう一歩手の届かない学年トップの男を……」

「お前この前五位だったからトップでもなんでもねえだろ。ただのキモオタでは?」

「それは違う! 前回はたまたま……そう、隣の席キラーに調子を狂わされたんだ! 去年の成績を平均すれば僕が圧倒的一位のはず……っ!」


 学年トップクラスのキモオタがしつこく弁解をしていると、


「凛央ちゃんどったのー」


 と声がして、凛央の肩越しに唯李が顔を覗かせた。

 びくっと背筋を伸ばして凛央は、張り詰めた調子から一変、ぎこちなく表情を緩めだす。


「だ、大丈夫よ、なんでもないの。ちょっと目障りだったから……」

「ダメだよケンカは~」


 一同を見渡しながら、唯李が仲裁に入ってくる。

 唯李には弱いのか、さしもの園田と慶太郎も突然あさってのほうへ顔をそむけだした。 


「それよりトイレトイレ! 凛央ちゃんも連れション行く?」


 唯李が急かすように言うと、凛央はいきなりぼっと顔を赤くして、


「ゆ、唯李。その言い方はちょっと……」

「おほほ。では凛央さん、お小水に参りましょうか」

「……それもどうなの?」


 去り際、凛央が最後に悠己たちをひと睨みすると、「やーめーなーさい」と唯李が手で遮りながら、にこっと笑いかけてきた。


 その笑顔がなんとなくうさんくさく見える悠己をよそに、隣の席キラースマイルを受けた慶太郎と園田がほんわりとした顔になる。


「……あれはあれで、なかなか……いいな」

「うむ。美少女二人が仲睦まじく……」


 唯李たちの後ろ姿を眺めながら、しみじみと頷きあう二人。

 その隙にこっそり場を離脱した悠己は、やっとのことでトイレに向かった。

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