第40話 番外ネタ 登校

 梅雨の合間の晴れの日、早朝。

 アスファルトの水たまりを避けながら、悠己は一人学校へと続く道を歩く。


「あれれ? 悠己くんじゃありませんか」


 声がしたかと思うと、小走りに影が背後から寄ってきた。

 影は勝手に隣を並んで歩き始め、最近すっかり見慣れた顔が笑いかけてくる。朝から元気そうだ。


「朝会うの珍しいね~?」

「今日ちょっと家出るの遅れたから」


 瑞奈が朝食に目玉焼きを作ると言ってスクランブルエッグになった。味がなかった。

 唯李はいつもどおりらしいが、こうして登校時に顔を合わせるようなことは今までにない。

 つい最近までは完全に他人だったので、悠己が意識していなかっただけなのかもしれないが。

 マイペースに歩いていると、唯李がニンマリと笑いかけてくる。


「実は悠己くんのこと待ち伏せしてた……って言ったらどうする~?」

「見つかってるよ失敗だね」

「待ち伏せって別に命取ろうとしてないけどね」


 からかい口調のこのおかしな振りも、例のゲームの一環ということらしい。

 それにしても朝っぱらからよくやる。


「朝から暇だねぇ」

「まあホントは単なる偶然ですけどね。ちょうど後ろ姿見かけたから」

「そう言いつつ本当は~?」

「……なんでぶり返してくるわけ?」


 楽しそうなので真似してみたら怪訝そうな顔をされた。別に面白くはなかった。

 唯李はすぐ気を取り直したように笑って、


「でもさ、こうやって並んで歩いてたら誤解されちゃうかもね~?」

「何をどう誤解するって?」

「それはほら、あの二人怪しいんじゃないの~みたいな」

「俺は何も盗ってない。俺は」

「あたしはやってるかもみたいな言い方やめてくれる? そういう怪しいじゃなくて」


 そんな話をしているうちに狭い歩道にさしかかった。前も後ろも登校する生徒たちで道が詰まりだす。

 ここであまり横並びに幅を取ると邪魔、というのは悠己も毎朝経験している。しかし唯李はまったく気にするそぶりを見せずにいるので、 


「横じゃなくて後ろに並んで」

「ドラ○エの仲間か」

「じゃあ唯李が前で」

「人を敵から狙われやすいようにするな」


 別にボケているつもりはないのだが勝手にツッコんでくる。

 うまく返したつもりなのか得意げにしながら、唯李が横向きに変なステップを踏んだ。

 そのときちょうど、悠己たちを追い抜こうと早足の男子生徒が背後からやってくるのが視界に入る。


「ほら、危ないよ」

「何が? 誰があぶないデカよ」


 ツッコミに夢中で唯李はまったく気づいていない。

 背後の人影とぶつかりそうだったので、唯李の手首のあたりをつかんで手前に引く。


「え、えっ? ち、ちょっ……?」

「だから危ないって」


 驚く顔へ目配せをすると、邪魔になっていることにようやく気づいたようだ。

 唯李は慌てて背後を振り返って頭を下げる。


「あっ、ご、ごめんなさい!」


 対する男子生徒は無言のまま、うつむきがちに早足で追い越していく。

 唯李は頭をかきながら見送っていたが、気まずそうに悠己を見て、


「あ、ありがと……」

「いいよいいよ、妹もそういう危なっかしい時あるから」

「い、妹ですか……」

「いい人でよかったね。内心ブチギレてるかもしれないけど」

「はいそれは……すいません」

「まぁ俺だったら気にしないけど。こっそり追い抜きスキルを極めてるから、奇行種もうまく避けられるし」

「何をドヤってるの? ていうか誰が奇行種よ」


 気持ち端によりつつ、再び歩道を歩きだす。

 しばらくすると、唯李は思い出したように二の腕のあたりをさすりながら、


「や~でも、急に腕をぐいって引かれてドキっとしちゃったかなぁ~」

「あれ? もしかして今ので惚れちゃいました~?」

「だからなんでそっちがからかってくんの」

「じゃあ引かずに押したほうがよかった?」

「殺す気か」

「いやコロ助ではないけど」

「言ってないけど」


 それきり会話は途切れ、今度はうってかわってお互い沈黙になる。

 あの謎のからかいがないと、意外に話すネタがないのかもしれない。

 信号で止まってなんとなく横を見ると、ちょうど目が合う。はっと瞳を瞬かせた唯李は、やや慌てたような口ぶりで、


「あ、あ~そうだ、昨日のテレビ、滑りまくる話見た?」

「あぁ、昨日のね」

「そうそう、あれめっちゃ笑った~」

「はは」

「悠己くんどの話が面白かった?」

「いや俺見てない」

「ややこしいリアクションやめてもらえる?」


 急に真顔になった。

 そうは言うが勝手に話を転がしていくのも悪いと思う。


「適当に相槌しておけばいいと思ってるでしょ?」

「なるほど」

「またそれも適当だし」

「まあまあ落ち着いて」


 ここはなだめていく。

 またも会話が途切れると、信号が青になった。歩き始める。

 その矢先、何事か思い出したように唯李はカバンからスマホを取り出した。


「あれれー既読ついてないなーどうしてだろなー」


 スマホの画面を見つめながら、しきりに首をひねっている。

 こちらの視線に気づくと、急に画面を見せつけてきた。通話アプリのトーク画面が開いている。

 そこには『おはよー! 今日もがんばっていきわっしょい!』との文言が。

 悠己は顔をしかめる。


「これは、だだ滑りしている……?」

「滑ってるとかそういうんじゃなくて。よく見て。よーく」


 目を凝らして見つめる。

 ピンクのカバーがついた、何の変哲もないスマホである。


「機種が古い?」

「そこじゃなくて」

「落とし物?」

「勝手に使ったらヤバイでしょ」


 唯李が「ココ!」と言って画面を指差す。

 トーク相手の名前には成戸悠己とある。


「いつの間に俺のIDを……?」

「ライン交換したよね」


 自分のスマホをカバンから取り出して確認する。

 画面をつけるなり未読のメッセージが届いている、との通知が。


「メッセージが来ている、だと……?」

「ビビりすぎでしょ」

「にわかに信じがたい」

「どんだけよ」


 タッチしてアプリを開くと、『おはよー! 今日もがんばっていきわっしょい!』というメッセージが表示された。

 改めて唯李に確認を取る。


「大丈夫? 送る相手間違えてない?」

「ん~? 間違えてないよ~? うれしいでしょ、女の子からおはようライン来て」

「がんばっていきわっしょいが?」

「はいすいませんね滑ってますよ」


 女の子からおはようラインなるものが来ていたらしい。

 朝イチに誰かから連絡が来ることなどまずないので、スマホはノーチェックだった。


「しかしこれ、なんて返信すれば……」

「あれれ? 返信に困っちゃってるのかなぁ? どうしたらいいか戸惑ってる?」

「どうやっても火傷する」

「大丈夫ですもう返さなくて」

「まぁでもスルーはかわいそうだから一応返信しておくか……」

「さっきから本人目の前にいるんですけどね」

「『御意』っと」

「『御意』ってなによ」


 何度か使ったことがあるのかすぐに変換候補にも出てきた。

 入力して送信。


「届いた?」

「うん、なんか大規模な通信障害とかおきてなければ」


 唯李は自分のスマホを見もせずに言う。どうでもよさそうだ。

 ぶすっと仏頂面になるが、すぐに気を取り直したように笑顔に切り替えてきて、


「やーでもこれは、毎朝おはようラインしちゃう感じ?」

「んー毎朝いきわっしょいはきついっす」

「御意もきついっすけどね。……ねえ、さっきから『御意御意』連投するのやめてもらっていい?」

「や、ちゃんと送れてないかと思って……」

「大丈夫めっちゃ送れてるから。送れてなくても問題ないから」


 拒否られた。返信不要らしい。またしても沈黙になる。

 おとなしく歩いてると、少しして唯李が「あのさ」と口火を切った。横顔を見る。

 むすっとしていたかと思えば、いつの間にかやけにしおらしい表情だ。


「あの、ほんとはこういうの、ウザがられるかと思って、すごい迷ったんだけど……」

「別にウザいとかはないよ、ちょっとびっくりしたけど……。ごめんね、ライン気づかなくて」

「え? あ、うん……」


 唯李は一度目を見張らせてからうなずく。

 そしてそのまま視線を伏せた……かと思いきや、急に勢いよく面を上げて人の顔を指差してくる。


「は、はいでた急に優しい感じになるパターン~! 毎度毎度それでハマりませんから~!」

「は?」

「もうワンパターンなのよね毎回ワンパワンパ! これがほんとのワンパンマンってやつですか~!?」

「え? ワンパンなの?」

「いや誰がワンパンクソザコ女だよ!」


 一人で顔真っ赤にしながら、唯李は勢いよくスマホを操作する。

 するとすぐさま悠己のスマホに『わっしょい! わっしょい!』と立て続けにメッセージが送られてくる。

 急に頭がおかしくなったらしい。ならばこちらも負けじと『御意』を連打して返していく。


「オラオラオラわっしょいわっしょい!」


 さらにわっしょいがガンガン送られてくる。うるさい。

 前を歩く生徒が二人ぐらい振り返った。唯李から半歩距離を取ってたしなめる。 


「もうやめよう、電波の無駄遣いは」

「無駄無駄無駄無駄ぁ!」


 らちが明かないので悠己は返信をやめる。

 するとわっしょい連打が止んで、『完全・勝利!』と送られてきた。

 すかさず本人からもドヤ顔が飛んでくる。


「にやり」

「いやにやりじゃなくて」

「勝った……」

「よかったね」


 朝からこれだと先が思いやられる。

 近づいてきた校舎を見上げながら、悠己は小さくため息を吐いた。

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