第41話 言いなり券
東成陽高校二年一組、朝の教室。
喧騒の中、成戸悠己が一人静かに佇むのは、窓際一番うしろの席――通称神席。
悠己が幸運にも席替えのくじで引き当てたこの席が「神席」と呼ばれるのには、この窓際最後尾というポジションの他に大きな理由があり――。
「おはよ」
隣で影が落ちる。
その先で微笑を浮かべているのは、校内でも指折りの美少女と噂され、隣の席になった男子を必ず惚れさせてしまうという「隣の席キラー」こと、鷹月唯李。
唯李はつつましげな所作で椅子を引いて席に座った。机にのせたカバンの荷物を取り出して整理を始める。一段落つくと、一度「ふぅ」とわざとらしく息をついてみせて、若干首をかしげ気味に笑いかけてくる。
「うふふ……」
「……何?」
「んー、なんか不思議な感じだなぁって」
「何が?」
「だって席替えしてまだ一ヶ月もたってないんだよね」
「そうだね」
「なんか全然そんなふうに思えなくて」
「そうかな」
それきり悠己は机の上に視線を戻すが、唯李はなおもどこか窓の外の遠くを眺めるようにしながら、ため息混じりにつぶやく。
「今までこんなことって、なかったような気がするんだけどな~……」
きっと独り言だろうと無視していると、唯李は顔の向きを正面に戻してやっとおとなしくなった。
かと思いきや、急にジロっと視線を当ててきて、
「いや~それにしても今日もあいかわらず陰気くさいね~。マジックインキばりに匂うね~」
声のトーンを上げて、ごちゃごちゃと口やかましくなる。つい先ほどまでの気取ったような態度はどこへやらだ。
なんとか言えと横から圧を感じるが、経験上ここでがっつり相手をすると疲れる。それを朝イチからやってしまうとあとがしんどい。
悠己はちらりと隣に目線を送りながら、顔の前で人差し指を立てて、
「ちょっとごめん静かにしててもらっていい? 一言もしゃべらないでもらって」
「いきなりやたら強い制約かけてくるね? ちょっとごめんで通ると思ったそれ?」
「その声が体に響くというか、しんどくて……やっぱ瑞奈を探して走り回ったのが今になってきてるかなぁ」
「中年か」
「あの日は公園も行ったし」
「ご飯食べて寝ただけでしょ」
「首が痛い」
「固い膝で悪うござんしたね」
「いやでも唯李の膝枕は……」
言いかけると、唯李ははっと目を見張らせて、
「声がおっきい!」
そういう自分の声のほうがよっぽど大きいのはいかがなものかと。
実際今ので近くの席の何人かがぎょっとした顔でこちらを見た。
若干顔を赤らめた唯李はわざとらしく咳払いをして、一度行儀よく椅子に座り直す。今のはお前のせいだと言わんばかりに横目でチラチラ視線を送ってくる。
妹の瑞奈に友達を作らせるため、悠己は彼女を作る……という話になり、唯李の提案により瑞奈の前でだけお互いニセ恋人として振る舞うことに。
そしてその建前上デートをして、その帰りに遅くまで戻ってこない瑞奈を探し回って……というのが先週末の出来事。
「……まったくあの日は膝枕とか勝手にハグとか……プレイ料金請求すんぞこれ」
ぶつぶつと隣の席キラーは今日もまた荒んでいる。
その本性はおそらく過去のショッキングな出来事による何らかの強いトラウマ、そして現在進行系で抱えているストレスのせいで、いつしか隣の席になった男子を自分に惚れさせては振る、という遊びを始めてしまった哀れな子。
それに屈するでもなく、同レベルで真っ向からやりあうのでもなく。
優しく温かくゆっくり見守ることで、惚れさせゲームなどという愚かな行為をする隣の席キラーを改心させ、彼女を本来の姿――きっと心優しい女の子へと戻す。
そう決めたのだ。……あくまで自分に無理のない範囲で。
悠己は生温かい目で隣の視線に応えながら、
「唯李は? 肩とか首とか大丈夫?」
「いや初老の会話じゃないんだからさ……。ねえ、さっきから何してるのそれ? ……うわ、勉強してるよこんなとこで」
「ここ学校だけど? 来週末からテストでしょ」
いったい何をするところだと思っているのか。これだから相手をしたくなかったのだ。
開いた問題集をペン先で叩いてみせると、唯李は嫌そうに顔をしかめる。
「あ~テストか~、もうそんな時期かぁ~。四年に一回ぐらいにしてくれないかなぁ。ところで悠己くんの頭の出来はいかほど? この前の中間、合計何点ぐらい?」
「忘れた」
「じゃ一番点数よかったのは何?」
「忘れた」
「あたしとしゃべりたくないんなら正直に言ってくれていいけど」
露骨に不機嫌になった。
まあ仏の顔ですら三度までと言うし、唯李が二回もったのなら上出来だろう。
今は勉強中だからしゃべりたくない、とご要望どおり正直に言おうとすると、唯李はニヤケ顔を作ってみせて、
「あ~わかった。あんまりにもひどい点数だったから言いたくないんだ~」
「そんなことないよ、数学は九十点だったから」
「覚えてるじゃん」
「そういう唯李は数学何点だったの?」
「唯李ちゃん英語九十二てーん!」
「数学聞いてるんだけど」
「マスマティックス!」
英訳は返ってきたが点数は答えたくないらしい。
もうこの話題は終了と言わんばかりに、唯李はぷいっと前を向いてしまった。こちらも問題集に視線を戻そうとすると、
「じゃあいいよ、次のテスト勝負しよっか」
またもぐりっと首を回して食い下がってきた。
惚れさせゲームの上にテスト勝負。
めんどくさいからいいよ、と即答しかけたが、基本的に唯李の言うことは頭ごなしに否定せずなるべく受け入れてやる、という方針でいくことにしたのでひとまず頷いてやる。
「わかった、いいよ」
「今一瞬めちゃくちゃ嫌そうな顔しなかった?」
ここは根気強く粘り強く。
そんな悠己の思惑を知ってか知らいでか、唯李はいたずらっぽく笑って首をかしげてきた。
「じゃああたしが勝ったら~……何がいい?」
「それをなんで俺に聞く?」
「勝ったら悠己くんに何かしてもらおうかと思って」
「何かって? 肩揉みとか?」
「優しい息子か」
「肩たたき券のほうがいい?」
「いらねえ」
「じゃあ何だったらいいって?」
「え~? それはぁ~……んーとね……。たとえば~……」
唯李は天井を仰いで腕組みをして、何やら目を細めてみせる。
何を考えているのか、そのうちに一人でにまにまと頬を緩めだした。
「ん~じゃあね~……。券だったら、一日言いなり券とか?」
「言いなり?」
「そう。相手の言うことなんでも聞くってやつ」
にやけながら何を言い出すのかと思いきや。
人を自分の言いなりにするのがよっぽど楽しいのか、やはりこれは相当心が歪んでいる。
「じゃあ俺が勝ったら……唯李は心を入れ替える」
「どういうことだよ」
「じゃあいいよ俺もそのいなり券で」
「超投げやりね。いなり寿司出てくるやつじゃないからね言っとくけど」
はいはいわかりました、と軽く流すと、唯李がしつこく念を押してくる。
「よく考えて? 言いなりだよ? 何でも言うこと聞かないといけないんだよ? 絶対負けたくねー! みたいな感じだそうよ」
「だってそんなの何の法的拘束力とかもないし」
「そういういざとなったらぶっちぎればいいみたいな考えはよくないね」
どうやら見抜かれているらしい。
またもごちゃごちゃうるさくなりそうだったので、とりあえず話を合わせておく。
「まぁでもどのみち唯李には負けないかな。そんな点数言いたがらないレベルじゃあ」
「言うたな? こっちには秘密兵器があるんだからね」
言いながら唯李は熱心にスマホをいじりだした。
秘密兵器というと、プールが割れて中から……というわけではもちろんなさそうだ。
誰かに何事かメッセージを送ったらしい唯李は、顔を上げて不敵な笑みを浮かべた。
「くくく、勝ったも同然……。今のうちに一発芸の練習しておいたほうがいいよ」
「唯李もストッキングとか……気をつけたほうがいいよ」
「何させる気……?」
こうして早くも静かな牽制合戦が始まった。
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