第38話 隣の席キラー殺し
その後瑞奈を家に置いて、唯李を送るべく一緒に駅へ向かう。
すっかり元気を取り戻した瑞奈は「ゆいちゃんまた来てね!」と名残惜しげだった。唯李も「また来るね」と笑顔で応えて手を振っていた。
まばらな街灯をたどって、唯李とともに人気のない路地を行く。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「大丈夫大丈夫。むしろ早く帰るとお姉ちゃんに『小学生?』って文句言われそうだから」
唯李はふふふ、と笑ってみせる。やっぱり余裕そうだ。
瑞奈がいるうちは黙っていたが、このまま何も触れないわけにはいかないだろう。悠己はひときわ明るい街灯の下で立ち止まると、唯李に向かって頭を垂れた。
「ありがとう。瑞奈のこと……」
「ううん、もとはと言えば、彼女のふりだとかってバカなこと言い出したのあたしだから」
「いや、そんなことは……」
返す言葉に詰まって、そのまま飲み込む。
すると胸のあたりが締め付けられるような、なんとも言い表し難い感情が押し寄せてきた。
自身なんと言えばいいかわからない。こんな気持ちになったのは、生まれてこの方初めてのことだった。
うつむきがちに押し黙っていると、隣の影が動いた。悠己の前に立ちふさがった唯李は、下から覗き込むような上目遣いをして、にんまりと笑ってみせた。
「どしたの悠己くん? 黙っちゃって。あ、もしかして~……ふふ、惚れた? これは唯李ちゃんに惚れちゃったかなぁ?」
その途端、全身を雷に打たれたような衝撃が走る。
そして悠己ははっと顔を上げて、戦慄した。
今の今まで、すっかり頭から抜け落ちていた。
彼女は……彼女こそが。
これまで数多の隣の席の男子を虜にしてきた、百戦錬磨の隣の席キラーだということを。
悠己は脳内で時間を巻き戻し、素早く独自の推理を展開する。
今までのこの流れ、これはもしや、すべて彼女の遠望な計画のもとに仕組まれた……いや、本人すら想定外のイレギュラーさえも利用する……。
これが隣の席キラーの真の実力。悠己はそこに深い闇の片鱗を垣間見た。
なんて恐ろしい。過去にいったいどんな業を背負ったらここまで……。
それでも自分が今ここで、匙を投げるわけにはいかない。
彼女のことも、温かく見守ってやると決めたのだ。
焦らず、ゆっくりと……そう、焦らずゆっくりだ。
「唯李……」
顔を上げた悠己は、できうる限りの優しい目で、まっすぐに唯李を見つめる。
するとにやにやと緩んでいた唯李の表情が、急に引き締まった。
「あのさ、俺、唯李のこと……」
「は、はい!」
ぴっと背筋を伸ばして直立不動になる唯李。
自分の狙いを見透かされて動揺しているのか、不自然に目をそらされた。
しかし唯李はそれを悟られまいとしているのか、くっと目に力を入れて見つめ返してくる。
向こうもやる気だ。
彼女の心に巣食う悪魔。
表面に現れたそれが悪さをして、いつしか『隣の席キラー』の異名をつけられた。 ひどく手強い相手。下手に手を出せば、彼女の自我そのものを破壊することになりかねない。
そうならないためには真っ向からぶつかるのではなく、あくまで優しく包み込んで彼女を癒やす必要がある。
「俺は唯李のこと、見捨てたりしないよ。大丈夫だから」
「…………は? ナニソレ?」
「え?」
お互い見つめ合ったまま謎の硬直が起きる。
目を点にした唯李は、まるで他になにか言うことあるだろ、と言わんばかりの口調。
ならばと悠己は両腕を唯李の体に回して、瑞奈のときと同じように抱きしめて背中をさすってやる。
「ぴぎゃっ⁉」
悪魔の断末魔が聞こえた。
ついに今、彼女は浄化されたのだ……。
感無量の心持ちでいると、突然伸びてきた手のひらに視界を塞がれた。
ぐっと手で頭部を破壊されそうな勢いで掴まれ、体ごと引き剥がされる。
素早く飛び退いた唯李は、顔を真っ赤にしながら、両腕を胸の前でクロスさせて、
「いっ、いきなり何すんの⁉ せ、セクハラセクハラ‼」
「あれ? ダメだったかな?」
「だ、ダメっていうか、そういうの、じ、順序があるっていうか……いったい何考えてるわけ⁉ ていうかこれ、瑞奈ちゃんにさっきやったやつじゃない⁉ 使いまわしすんな!」
「まあ焦らずゆっくり頑張ろっと」
「何を⁉ 瑞奈ちゃんにはそう言ったけどね、悠己くんはちょっとぐらい焦ったほうがいいよ⁉ 勝手に人のことハグしてすました顔してるけど!」
ぎゃあぎゃあとうるさいのなんの。どうやら浄化に失敗したらしい。
もう遅いし静かに、と唯李に向かって人差し指を立ててみせる。おとなしくなった代わりにギロっとすごい剣幕で睨まれた。
やはりこちらは一筋縄ではいかないようだ。とりあえず今日のところは、これ以上の深追いは禁物。
くるりと踵を返して再び歩きだすと、唯李は黙ってそのあとをついてくる。
大通りに出て駅が見えてきた。唯李はやっと落ち着いたのか、隣を歩きながらわざとらしくため息をついた。
「はぁ……。まあとりあえずニセ彼女は継続だね。そう言っちゃったから、しょうがないよね。そっ、それかまぁ、面倒ならいっそのこと本当につ……」
「でも唯李は最後に大嘘ぶっこいたよね。ギャグキレッキレとか言った矢先に滑り倒したし」
「なんでそうやってぶち壊すようなこと言うかな⁉ 唯李フィンガーもう一発行くか?」
声を荒らげて腕を振り上げる仕草をする。
コロコロと変わる唯李の表情がおかしくて、つい笑みが漏れる。唯李は一瞬固まったあと、振り上げた手を下ろしてふいっと顔をそらした。
「……まったく、これだからもう……」
唯李がブツブツと独り言を繰り返しているうちに、駅に到着した。
入口付近にはいくつか若い男女のグループがたむろしていたりで、それなりにまだ人は多い。
改札前までやってくると、悠己は唯李を振り返って、
「一人で帰れる? やっぱり家まで送ってこっか?」
「いい、いいです! 帰れる!」
じゃここで。
と言おうとすると、不意に悠己の顔を見つめてきた唯李が、急に真面目なトーンに戻って口を開いた。
「……でもあたしも、ちょっとびっくりしたっていうか。悠己くんいっつもぼーっとして、力抜けてる感じだけど、意外にシリアスな面もあるっていうか……やっぱり、お兄ちゃんなんだなぁって。そういうのなんか、すごく、イイなぁって……」
「いやぁ、今回は俺としたことが不覚にも……参った参った」
「……どういうこと?」
「これだけリアクションしちゃうとなあ、嫌な予感するんだよなぁ……ちょっと」
「え?」
◆ ◇
休み明けの早朝。
悠己はいつになっても起きてこない瑞奈を、部屋に叩き起こしに行く。
「ゆっくりだ~ゆっくりがんばるんだ~」
「おそすぎ」
スローモーションで布団の中をもそもそする瑞奈を、悠己は力任せに引きずり出す。すると一緒に隠し持った携帯ゲーム機がゴロッと出てきたので没収。
「なにするのひどい、ゆきくんひどいよ! もう知らない! 家出する! おそくまで帰ってこない!」
「行ってらっしゃい」
「ゆきくんもっと熱くなろうぜ! あの日を思い出そうよ! 止めようよ、優しく抱きしめようよ!」
こうしてまた余計な特技が一つ増えてしまった。
ぐずる瑞奈をなんとか送り出した悠己は、やや急ぎ足で登校した。
いつものように一人で教室までやってくると、ホームルーム前の喧騒の中をひっそりと抜け、自分の席までたどり着く。
静かにカバンを机に乗せ、椅子を引く。その音に反応するように、隣でスマホをいじっていた唯李が目線を上げて微笑んだ。
「おはよ」
「……おはようございます」
あいさつを返すと、悠己は無言で席に座ってカバンから本を取り出し、視線を落とした。
少し間があって、横から唯李の声が飛んでくる。
「ねえねえ、何読んでるの?」
「本」
悠己は目もくれずにそう答える。
すると今度は隣から無言の圧というか、プレッシャーのようなものを感じる。急に唯李が身を乗り出してきた。
「ちょっと待って」
「はい?」
「なんでリセットしてるの?」
「リセット?」
顔を上げると、唯李が仏頂面でじいっとこちらを見ていた。
どうやら責められているようだ。わけもわからず首をかしげると、
「いやあのね、先週いろいろあったでしょ? あたしとしてはそれなりに……距離感的なものが縮まったかなって思ってるわけなんですけど。それがなんでリセット……っていうかむしろ悪化してるわけ?」
「なるほど」
「いやなるほどじゃなくて」
唯李のむすっとした顔を見返す。朝から元気そうだ。
急におかしくなって、口元が緩んだ。読書をやめて、手元で本を閉じる。
「でもなんかいいよね。登校してきて、隣に話し相手がいるって」
「全然話す気ゼロだったくせにどの口が言うか」
「席替えしてよかったなぁ」
「え?」
険しい唯李の表情から毒気が抜ける。
ぽかんと口を開けて、悠己を見つめたまま固まってしまったので、
「どうかした?」
「や、その……そんなこと面と向かって言われたことなかったから、すごく……ううん、超うれしい」
意外なところにツボがあるようだ。
「えへへ……」とはにかんで珍しく素直にうれしそうにしているので、改めて言い直してやる。
「やっぱり窓際は最高だよね」
「ってそっちかい‼」
悠己の一言を皮切りに、唯李は再びガミガミと口やかましくなる。
ふと窓の外へ視線を逃がすと、今日の空は雲ひとつない晴天。透き通るような青。
眺めているだけで、気持ちも自然と晴れやかになる。なんとなく、幸せ。
それに、たまには騒がしいのも悪くないと思った。
「いや勝手にBGMにすんなし! 無視すんな!」
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