第36話 捜索

 マンションから表に出ると、外は思いのほか暗くなっていた。

 自然と足が早足から小走りになる。悠己は首を振って周囲を見渡しながら、街灯が光り始めた路地を行く。

 

 まず向かったのは近所の公園。

 ここは昔から、瑞奈と二人でよく遊びに来ていた場所だ。

 さほど大きくもなく、遊具といえばブランコ、滑り台、それに加えて砂場ぐらいのものだ。小さい頃の瑞奈は、公園行こう行こうとよく悠己を誘ってきた。


 暗くなる頃に迎えに来た母に、一人で乗れるようになったブランコをこいでみせて、砂場に作ったお山を見せてあげて、母と手をつないで帰る。それが日課だった。

 母が亡くなってからはめっきり寄り付かなくなったが、それでも過去にも何度か、瑞奈が一人でじっとブランコに腰掛けて、ずっと誰かを待っているのを見かけたことがある。


 暗がりを見渡しながら、そんな光景が一瞬脳裏をちらつく。薄暗くなった公園には人の影はなかった。いつもよりずっと狭く感じて、不気味なほど静かだった。

 

 次にやってきたのは、その少し先にあるスーパー。

 ここは瑞奈が一人で出入りして買い物できる唯一と言っていいお店だ。

 

 昔から母とよく一緒に買い物に来ていて、ここだけは慣れている。

 初めて瑞奈が母に頼まれて買い物をしたときも、一人でお買い物できて偉いねと褒められてうれしそうにしていた。


 店内はピークタイムを過ぎているようで客の数もまばら。ひとしきり中を探し回るが、それらしき姿すら見つかる気配はなかった。 

 

 瑞奈が一人で行くような場所なんて、それこそこの二つ以外、思い当たるフシがない。

 もし他にあるとすれば、この前行った駅反対側の映画館、アニメショップのビルだが、一人でそっちまで行ったとは考えにくい。

 そもそもこんな時間まで一人で出かけたきり、という状況がこれまでにないことなのだ。


 先ほど唯李と来たばかりの道を走って取って返す。

 息を切らしながら駅までやってくると、休むことなく構内を探し回る。


 週末の人混みの中、いるかどうかもわからない所から、小さな瑞奈の影を見つけ出すのは途方もないことのように思えたが、悠己はただ無心に体を動かした。


 西口から連絡通路を走り抜けて東口へ。

 映画館のエントランス、売店を回り、アニメショップのビルを一階から最上階まで全フロアをくまなく探す。

 その間何度か瑞奈に電話をかけてみるが、相変わらず留守電につながってしまう。


 再度駅へ舞い戻り、あてどなくその周辺を往復するうちに、ふと目に入った壁時計の時刻が八時を回ろうとしていることに気づく。いい加減そろそろ時間が遅い。

 とりあえず唯李を帰さないと、と思い悠己は一度急ぎマンションに戻った。

 

 自宅のドアを開けると、唯李が浮かない表情で玄関口まで出てきた。

 瑞奈がまだ帰っていないことは明白だった。 

 いよいよ事の深刻さを察したのか、心配そうな顔をした唯李が、


「悠己くん、汗ふかないと……」

「もう遅いし、唯李もそろそろ帰らないと。駅まで送ってくから」

「でも、瑞奈ちゃんは……」

「大丈夫、唯李を送ってそのまま警察行くから」

「け、警察? ああでも、そっか……」


 言いよどむ唯李とともに家を出て、一緒に階下へ降りていく。

 そしてエントランスホールから外へ出ようとした間際、向かいから勢いよく建物の中に入ってきた影が、悠己の二の腕にぶつかった。


「ごっ、ごめんなさ……」


 何事か口にした小さな影が、バランスを崩して転びかける。

 そして目深にかぶった帽子のつばで顔を隠すようにうつむいたまま、逃げるように通り過ぎようとした。


「瑞奈!」


 呼び止めると、小さな赤いリュックを背負った背中は、ビクっと身をすくめて立ち止まった。

 振り向いて悠己を見上げてきた顔は、ひどく怯えた目をしていた。


「あっ、な、なあんだ。ゆきくんか……」


 瑞奈はそこでやっと、ぶつかった相手が自分の兄だということに気づいたようだった。

 慌てて深くかぶった帽子を取ると、手で頭をかきながら、ぺろっと舌を出して笑ってみせる。


「友達と遊んでたら、遅くなっちゃった」

「なんで電話出ないんだよ」

「……た、楽しすぎて夢中になっちゃって、気づかなかったの」


 そう言いながらも、瑞奈は悠己の目を一切見ようとしなかった。

 代わりに隣に立った唯李が何か言いたげに、ちらりと悠己の顔を見た。

 悠己はそれを目で制すと、ゆっくりと瑞奈の頭に手を乗せ、ぽんぽんと優しく叩いた。


「そっか。楽しかったんならいいよ。でも次からあんまり遅くならないようにね」


 あくまでいつもの口調で、優しく、諭すように言ってやる。


「お腹すいたでしょ? 牛丼買ってきてあるから、早く食べよう」


 そう言って、うつむいたままうんともすんとも言わない瑞奈の手を引こうとする。

 だが手に触れる寸前、瑞奈は激しく腕を振って、悠己の手を振りほどいた。


「なんで……なんで怒らないの? うそだって……わかってるんでしょ? 友達ができたとかって……全部、うそだから!」


 面を上げた瑞奈が、きっと鋭く睨みつけてきた。

 悠己は瑞奈をまっすぐに見返して微笑む。


「そんなことで怒ったりしないよ」


 瑞奈は一度悠己から目をそらして顔をうつむかせたが、きゅっと唇を噛むように口元を歪ませると、再び勢いよく頭を上げた。


「なんで、ゆきくんは、いつも、いつもそうやって……! お母さんが……お母さんがいなくなったときも、ゆきくんはなんにもなかったような平気な顔してて! 瑞奈は悲しくて悲しくて、誰とも話したくなくて、ご飯も食べられなくなったのに……おかしいよ! ゆきくんは変だよ! どうして、どうしていっつもそうなの!」


 耳をつんざくような甲高い叫び声が、あたりに響き渡る。

 それでも悠己は微動だにせず、瑞奈が言い終わるのを待ったあと、ゆっくりと口を開いた。

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