第35話 デート3

(ほんとに寝ちゃった……)


 唯李は自分の膝の上ですやすやと寝息を立てる悠己の顔を見下ろす。

 最初は本当に冗談のつもりだったのだが、あれよあれよと向こうのペースに乗せられ、このような事態に。


 少し冷静になってみると、こんな状況をクラスメイトだとか知り合いにでも見られたら非常によろしくない気がする。

 向こうはそのへんまったくの無防備というか我関せずというか。


 あたりを見渡すと、まばらに見られる人影はおじいちゃん、おじいちゃんと子供、おばあちゃんとおじいちゃん。

 ぐらいの構成で、パッと見問題はなさそうではある。なんというか、休日に若い男女が来るような場所ではない感じ。


 ここで誰か知り合いとばったり、というような可能性はほぼなさそうだ。

 もしやそこまで計算ずくでここまで連れてきた……? と一瞬とんでもないやり手を疑ったが、やたら幸せそうな寝顔を見てそれはないな、とすぐ結論する。


「ぐっすり寝やがって。写真撮ったろか」


 スマホの入ったカバンに手を伸ばすが、下手に動いて起こしてしまうのも、と思い返してやめる。

 そこまで気を使う必要性もないのだが、静かな呼吸を繰り返す彼の横顔には、邪魔をしにくい妙な雰囲気がある。


(なんか、かわいいかも……)


 こうしておとなしくしていれば無害だ。平和だ。

 寝顔を眺めているうちに、つい頭を撫でてやりたくなるような、優しく背中をさすってあげたくなるような、不思議な感覚が芽生えてくる。


 自然にドキドキドキと胸が高鳴りだして、半ば無意識のうちに頭に手を伸ばしかけて、触れる寸前で我に返ってぴたりと動きを止めた。

 もしこれで起きてしまったら、言い訳のしようがない。

「かわいかったからなでなでしてあげたよ」なんていつもの調子で余裕ぶって言えるかどうか。


(ていうかあたしだって眠いのに……)


 突然のデートの誘い。

 妹の手前デートするフリ、という口上ではあるが、デートであることに変わりはない。


 昨晩はあれこれ考えてしまい、目が冴えてしまってなかなか寝付けなかったのだ。

 急なことでテンパってしまって姉にデートのことを相談したのもよくなかった。

 あることないこといろいろとふっかけられて、何かもう恐ろしい儀式のようにすら思えてしまっていた。


(まーた騙された、くそ)


 実際来てみたら楽しい。なんだか常にふわふわ浮かれてる感じ。かと思えば今のように胸がキュッとなったり。

 ドキドキと脈打っていた胸の鼓動が時間とともにだんだんと落ち着いてくると、悠己の気持ちよさそうな寝顔に引きずられるように、猛烈な睡魔が襲ってくる。


 ただでさえ周りは眠りを誘うような環境。

 唯李はぼーっとした目で悠己の寝顔を見つめたまましばらく睡魔と戦っていたが、いつしか首をうなだれ、うつらうつらと船を漕ぎ始めた。




 目が覚めて、はっとする。

 何かに落ち着けていた頭を持ち上げると、すぐ耳元で声がした。


「あ、起きた」


 あっ、となったときにはもう遅い。

 いつの間にか起きて普通にベンチに座っている悠己。

 そして、その肩にもたれかかって眠っていたであろう自分。


 その事実に気づくなり、眠気など一発でどこかに吹き飛んでしまった。

 唯李はカっと顔を赤らめて、悠己の胸元に詰め寄る。


「な、なんですぐ起こしてくれないの!」

「起こしたらかわいそうかなって思って。あと寝顔かわいかったし」


 笑いかけられて、さらに顔が火照りだすのを感じる。

 全身の血が顔面に集まっていくような気さえした。


「ね、寝てたのっていつから? どんぐらい⁉」

「結構長かったかな。なんか柔らかいなって思って目が覚めたら胸が目の前にあって、いい匂いするしラッキーって思ったけども苦しくて……」

「待って、もうわかったからそれ以上しゃべらないで」


 ご丁寧に情感を交え事細かに説明をされるが、なんだか言葉責めによる辱めを受けている気がする。

 どうやら盛大に眠りこけて前のめりになって、胸を悠己の顔面に押し付けて起こすという破廉恥行為をしたらしい。


 細かい時間までは覚えていないが、すでに日が傾きかけているところを見るに、熟睡していたのは相当長い時間だったのではないかと察する。

 これはかなりのやらかしである。真希に知られたら多分尻を叩かれる。


「ご、ごめん。あたし、寝るつもりじゃ……」

「いいよいいよ、先に寝たの俺だしね。デートなのに二人して寝ただけだったね。あはは」


 悠己は腹を立てることもなく唯李を責めるでもなく、ただそう言って口元をほころばせた。

 相変わらずののんびりとした口調に、ほんわりと胸のあたりが温かくなり、ほっと安堵の息が漏れる。

 唯李はすぐに落ち着きを取り戻すと、一緒になって笑った。


◆  ◇ 


 唯李が目覚めて一段落すると、「そろそろ行こうか」と悠己は立ち上がる。

 夕暮れの遊歩道を歩いて公園を出て、それからバスに乗り、最寄り駅まで戻ってくる。


 バスが駅に到着する間際になって、隣に座った唯李が「どうする?」と目線を合わせてきた。

 時間を確認すると、なんだかんだで時刻は夕方五時を回ろうとしていたところだった。


「そろそろ瑞奈も帰ってるだろうから、晩ご飯買って帰ろうかと思って」

「あ……そう」


 向こうは駅から電車だ。バスを降りたらそこでお別れになる。

 唯李が何か言いたそうな顔をしているので、こちらの都合で勝手に決めるのも悪いかと思い念を押す。


「それでいいかな?」

「え? あ、あたしは別に……」

 

 唯李は意外に受け身で、瑞奈のようにどうこうしたいと主張してこないから少しやりにくい。

 そんなふうに思っていると、そのときふと、楽しげに唯李の手を引く瑞奈の姿を思い出す。

 このまま別れるのも少しもったいないような気もしたので、


「時間大丈夫なら、唯李もウチで一緒に食べる? 瑞奈があれだけ自分から他人に話しかけたりするのって珍しいから、たぶん唯李が来たらうれしいんじゃないかな」

「え?」


 驚いた顔をした唯李は少し迷うそぶりをみせたが、「そ、そこまで言うならしょうがないな~」と言って、すぐに承諾の意を示す。

 悠己は早速瑞奈に『晩ごはん買って帰るね』とラインを送ると、停車したバスを降りて、駅の中にある牛丼屋へ唯李とともに向かった。


 この前買って帰ったときに、瑞奈がまた食べたいといたくお気に入りだったのだ。

 お店の前までやってくると、メニューを眺めながら何がいいか聞こうと瑞奈に電話をする。

 しかし何コールしても出ないままに、留守番電話につながってしまう。

 先ほど送ったラインにも既読がついていないので、家で寝ている可能性が高い。


 仕方ないのでそのまま唯李の分とあわせて適当に三人分購入し、帰路につく。

 いろいろ聞かれても困らないように、といくつか唯李と打ち合わせをしながら、自宅まで戻ってきた。


 ドアの鍵を開けて中に入ると、リビングの明かりはついていなかった。

 やはり瑞奈は寝ているのかもしれない。そう思いながら玄関の敷居をまたいだところで、すぐ異変に気づく。

 いつも外に履いていく瑞奈の靴がない。


「瑞奈ちゃん、まだ帰ってないの?」

「みたいだね」


 とりあえずリビングへ入っていって荷物を下ろし、再度すぐにその場で電話をするが、瑞奈はやはり出ない。

 一応ラインを確認しようと思ってアプリを開こうとすると、ちょうどスマホが震えてメッセージが届いた。


『友達と遊んでるので帰りが遅れます』


 との文言。それきりスマホは沈黙した。

 悠己はスマホをしまって、唯李に向き直る。


「ごめん、ちょっと俺出てくる」

「え? どこへ?」

「悪いんだけど、家にいてくれる? 瑞奈が帰ってきたら携帯に連絡してもらっていい? あとお腹減ってたら先に食べちゃっていいよ」


 一方的にそう告げると、悠己は唯李を置いて家を飛び出した。

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