第31話 心技体

「ええと、唯李のこと好きだから、付き合ってくださいって」


 そう言うと、唯李がしきりに口元を手で隠すようにさすりだした。

 何かのサインかと思ったが、もちろんそんなものは決めていない。


「ふぅ~ん、それでオッケーしたんだ?」

「ま、まあ……あんまりにもしつこいもんだから、熱意に負けたっていうか……」

「へえ~あのゆきくんがねえ~~……」


 なぜそこでちょくちょく余計な設定を入れるのか。

 悠己のスペック的にそれぐらいしないと不自然だ、ということなのか。

 まあとりあえずそれはいいとして、いよいよ瑞奈に詰め寄っていく。


「とにかくそんな感じで……さあ俺は彼女作ったよ。これで瑞奈も友達作らないとね」

「う~ん……急に彼女って言ってもなぁ……」

「彼女は彼女でしょ」

「彼女は彼女でも、心技体すべてそろってないとダメです。なので今から瑞奈がテストします」


 瑞奈は「来て」と悠己に向かって言うと、ひとりでにリビングを出ていく。

 あくまで唯李には直接話しかけにくいようだ。


「へ~なんか面白そう」


 またわけのわからないことを……と悠己が呆れる一方で、いつの間にかやけに上機嫌な様子の唯李は、足取り軽く瑞奈のあとについていく。

 どこに行くのかと思いながらそれに続くと、やってきたのは瑞奈の部屋だった。

 瑞奈はドアを開け放って部屋の中を指さすと、


「まずは心。それすなわち、くもりない清らかさ……。ということで、ここの部屋を掃除してみせてください」


 それがなぜ心なのか理解不能。体よく自分の部屋を掃除させたいだけなのでは。

 瑞奈の部屋には今日久しぶりに入ったが、丸まったティッシュだのお菓子のゴミだのが机の上に散乱して、カーペットにも食べかすがまばらに落ちていて、さらにマンガ本やら雑誌やらが無造作にぶん投げられている。はっきり言って汚い。

 

「どう? ちょっとむずかしいかなぁ~?」


 汚部屋を見せつけてドヤる瑞奈。

 しかし唯李は別段驚くこともなく部屋を見渡して、なんともなしに言う。


「まあ、うちのお姉ちゃんの部屋に比べたらかわいいもんだね」

「マジか」

「掃除、すればいいんでしょ?」


 悠己が瑞奈と一緒になってあっけにとられていると、唯李はずんずんと部屋に足を踏み入れ、てきぱきとゴミの片づけを始めた。

 大きめのビニール袋に、ゴミを放り込んでいく素早い身のこなし。

 掃除機をかけるのはまず大きなものを整頓してからね、とまるでいつもやらされているかのような手際の良さ。

 唯李はあっという間にゴミをまとめ、雑誌を一箇所に積み上げ、テーブルの脇に落ちていた漫画を拾い上げる。


「あっ『五等分裂の妹』……これ瑞奈ちゃんの?」

「むっ……そだけど」

「これあたしも今読んでる! 新刊出てたんだ!」


 たしかそれは昨日出かけたときに瑞奈が購入したものだ。

 今のお気に入りだと言っていてあれこれ熱く語ってくるが、悠己は読んでいないので適当に相槌を返したばかりだ。


 瑞奈は話せる相手とわかるやいなや、「あそこのアレが~、誰それが~」と始まって止まらなくなる。

 唯李もさすがお姉ちゃんを自称するだけあって、「うんうん、わかるそれ!」と一緒になって話を盛り上げる。

 あまりに楽しそうなので悠己もつい、


「それってどんな話?」

「なんと朝起きたら妹が五人に増殖! あたしまだ途中だけど面白いよ」

「その話いろいろ無理ない? リアルに五人になったら間違いなく過労死するね」

「誰の顔見て言ってるの!」


 瑞奈がどん、と両手で肩を押してくる。

 ×5の場合突き飛ばされて壁に激突し大怪我すると思われる。


「ゆきくんはちゃんと中身を見てから文句言いなさい!」


 瑞奈が本棚から一冊取り出して押し付けてきた。


「あっ、いいな~。あたしもこれ読んでいい?」 

「瑞奈も一緒に見る!」


 瑞奈がそう言うと、二人は仲良く座布団の上に座って、一冊の漫画を一緒に読み出した。

「ゆきくんは一巻からね!」と言われ、悠己も二人にならって漫画を広げる。

 いつしか掃除はすっかり忘れ去られ、みんなで漫画を読みふける会となってしまった。




「では次のテストに移りましょうか……。心の次は技。技とはもちろん……お料理!」


 やがて新刊一冊をまるまる読み終えると、瑞奈が思い出したかのようにそんなことを言い出し、一同再びリビングへ戻ってくる。

 漫画を純粋に楽しむ……それすなわち心。ということで、なんだかわからないが心は終了らしい。

 ちなみに唯李とは一緒に漫画を読んで、意外に打ち解けたようだった。ちょっとだけ顔を見て話せるようになっている。


「こっちこっち!」


 瑞奈に手招きされてキッチンのほうへ。

 台所の上には、タッパーに入れて冷凍してあったご飯が解凍された状態で置いてあり、かたわらにボウルと生卵が転がっているという謎の状況。


「なにこれは……」

「ゆきくんにオムライスを作ろうと思ってたところ」

 

 またオムライスとはレパートリーに乏しい。

 材料だけは用意してある、ということで瑞奈はさあどうぞと唯李をうながす。


「つまりあたしがオムライスを作ればいいの?」

「ん~……ゆいちゃんにはちょっと難しかったかなぁ~?」

「別に難しいってことはないと思うけど……」


 そう言いながら唯李はキッチンに立つと、コンロやフライパンなどの調理器具を一通り見渡しながら、


「やっぱりちょっとうちの台所と勝手が違うなぁ」

「言い訳は無用」


 ボソっと言う瑞奈に唯李はくすりと笑ってみせる。かなり余裕そうだ。


「これ冷蔵庫の中のものも使っていいの?」

「どうぞご自由に」


 瑞奈は一瞬「他になにか使うものあるの?」という顔をしたが、すぐにわざとらしく険しい表情を作ってみせて、唯李の背後で偉そうにベガ立ちを始める。

 やがてとんとんと小気味よく包丁を刻む音や、カチャカチャと手際よく卵を溶く音がして、ライスを炒める香ばしい匂いが漂ってくる。


 悠己も一度席を立って、瑞奈とともに唯李の手際を眺める。

 機敏にフライパンを回す姿はすっかり板についている感じで、いつも学校で見る姿とはだいぶ違った印象を受ける。


(やっぱりこき使われているのかな……)

 

 もしやそういった家庭環境が彼女の人格形成に暗い影を……などと椅子に戻って考えていると、テーブルの上に形の良いオムライスの乗った皿がゆっくりと置かれた。

 湯気の上がる卵の表面には、ケチャップでハートマークつきだ。


「瑞奈は料理にはうるさいからね」


 瑞奈は舌なめずりをしながら、出てきたオムライスをあちこち角度を変えて眺める。

 本当に好き嫌いがうるさい。


「どーぞ、お召し上がりください」


 かたわらに立った唯李が笑顔でそうすすめると、瑞奈はスプーンでオムライスの端っこをすくい上げた。くんくん、と匂いをかいだあと、一息に口の中に放り込む。

 そしてもぐもぐと咀嚼を始めると、


「ウっ……」


 と何か言いかけて手で口元を押さえる。

 それからゆっくり飲み下したあと、


「……まあまあかな」

「今うまいって絶叫しかけたでしょ」


 ちょっと一口、と悠己はとぼける瑞奈からスプーンを奪い取って、同様に口に運ぶ。

 先日の瑞奈のオムライスはケチャップをかけて炒めただけのものだったが、こちらは刻んだ玉ねぎや冷蔵庫に余っていたウィンナーを細かく切って混ぜ込んである。

 肝心の卵も、表面はふんわり中はとろっとしていて、ほとんど文句のつけようがない。


「すごい、おいしい……こうも違うとは」


 やるなあ、と思わず感嘆の声が漏れると、すぐそばで唯李がふふん、と胸を張る。


「まあいつもやらされて……やってますから」


 言い直したのが少し気にかかるが、この前の弁当といい料理に関しては文句なしの腕前のようだ。


「瑞奈のと、ぜんぜん違う……」


 悠己からスプーンを奪い返した瑞奈が、再度オムライスを口に入れてぼそりと言う。

 先ほどのテンションとは一転して元気がないように見えたので、


「しょうがないよ、瑞奈はまだそんなに回数こなしてないし」

「ゆいちゃんがまさかオムライス特化だったとは……」

「いや……というか瑞奈この前クッキー食べたでしょ? あれ作ったのは、何を隠そう唯李だから」

「えっ、てことは隣の席の人って言ってたのゆいちゃんのことだったの⁉」

「そうだよ」

「なんやと! はよそれを言わんかい!」


 ぺしん、と悠己の肩を叩いた瑞奈は、ぱっと椅子から降りると、唯李に向かって仰々しく頭を下げる。


「その節は……おいしゅうございました」

「そお? ならよかった」

「あの味が、忘れられぬで候」


 突然唯李にすり寄っていく瑞奈。

 要するにまた作れということらしい。


「えっと、今はちょっと材料とかもないから……また今度ね」

「今度……おっしゃ! イヤァッホォオウ‼」


 言質をとった瑞奈はその場で拳を突き上げて飛び上がる。

 こうなると瑞奈も唯李を認めざるを得なくなっただろう。


「瑞奈、それでもう気はすんだ?」

「それとこれとは話が別」


 意外に粘る。

 ぱっと唯李から距離をとった瑞奈は、表情を硬くして腕組みをすると、


「最後は心技体、の体です。これは読んで字のごとく……」


 びしりと唯李に向かって指先を突きつけた。


「ボディチェックをします!」

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